ある少年の物語
姫井美咲編〜中編〜



008

その日の夜。
夜中に目が覚めてしまい眠れなくなった蓮は、宿屋を出て村の中を歩いていた。
その行動に特に理由があったわけではない。
眠気を復活させるための気分転換になるかと思ったのだ。
「さすがに自然が多いだけあって、夜はかなり涼しいな」
都会の中でも田舎の部類に入るであろうこの村。
自然に囲まれているこの場所の夜は、比較的過ごしやすい部類に入るように感じられた。
「さて、こんな夜中に僕がうろついてると色々と問題があるからな。そろそろ戻ろうかな」
宿屋から出て、すでに数十分は経過しただろうか。
そろそろ眠気も戻ってきただろうと判断した蓮は、宿屋の方角に向かって踵を返そうとする。
「……ん? あれは……」
そんな蓮の目に、薄暗い道の中に静かにたたずむ少女の姿が飛び込んできた。
つい先ほど会って会話をしたばかりの少女の姿が。
「美咲さん?」
特に理由はなかったが、蓮は衝動的に美咲に声をかけていた。
あえて理由を挙げるとすれば、なんとなくという他ないだろう。
「あれ、蓮くん? こんな時間にどうしたの?」
「いや、それはこっちのセリフだよ。夜中の一人歩きは危険だよ?」
「そういう蓮くんこそ、こんな時間に村を徘徊しているじゃない」
「僕はほら、ちょっとやそっとの危険は危険じゃないからさ」
「そっか。蓮くんはとっても強いんだもんね」
実際、蓮は退魔士という特殊な職業なのだ。
一般人の危険と蓮の危険の度合いは大きく異なっている。
「で、本当にどうしたの? 困ってることがあるなら相談に乗るよ?」
相談に乗ったところで、美咲の問題が解決するとは限らない。
話して楽になることもあるかもしれないと思い蓮はそう口にしたのだ。
「うん。特に困ってるってわけじゃないだけどね。……昔を、思い出してたんだ」
「昔?」
昔を思い出していた。
そう口にした美咲の表情からは、幾分か寂しげな感情が読み取れるような気がした。
「そう、昔。こんな星が綺麗な夜にはね……思い出しちゃうんだ」
「思い出すって、何を?」
そこまで言って、蓮は少し後悔した。
他人の過去の話を必要以上に詮索するべきではなかったと感じたのだ。
「私ね、今は一人っ子なんだけど……少し前には、弟が一人、いたんだ」
弟が一人、『いた』。
『いる』、ではなく、『いた』という過去形。
その言葉の意味するところを、蓮は瞬時に理解した。
「いた、ってことは、弟さんはもう……?」
「うん。いなくなっちゃった。連続失踪事件の被害者として、ね」
こんなところにも、連続失踪事件の被害者がいた。
その現実が、連続失踪事件なんて自分には関係ないと思っていた蓮の心を少しだけ痛める。
「もう数年以上前のことだけどね」
「……辛い経験をしたんだね」
「あはは、今じゃもう、その時の気持ちなんて、ほとんど覚えてないんだけどね」
それは嘘だ。
家族を失った痛みを、そう簡単に忘れられるわけはない。
そう思う蓮だったが、あえてそれを美咲に伝えたりはしなかった。
必要以上の干渉は必要ないと感じたからだ。
「蓮くんは、過去のことを思い出したりはしないの?」
「僕? 僕は特に、そういうのはないかな」
「本当に?」
「本当に」
蓮は嘘をついた。
蓮も過去に、美咲と似たような経験をしたことがある。
だが、蓮は、そのことを美咲に伝えることはしなかった。
必要以上に自分の過去を暴露することには抵抗があったのかもしれない。
「そっか。悲しい経験がないのは良いことだね。うん、良いことだ」
明るい口調でそう口にする美咲の様子は、普段と何ら変わりがないように見えた。
だが、蓮の目には、美咲が少しだけ無理をしているように感じられた。
自分の過去を思い出してしまったからだろうか。
いつもなら感じられないような美咲の僅かな変化に、蓮は無意識に気付いていた。
もっとも、それを美咲自身に伝えることはしなかったのだが。
「さて。それじゃ、綺麗な星も堪能したし、私はそろそろ家に戻るね」
「そっか。おやすみ、美咲さん」
「うん。おやすみ、蓮くん」
満天の星空の下で蓮と挨拶を交わした美咲は、自分の家の方向に向かって歩き出した。
美咲の姿が見えなくなるまで、蓮はその後ろ姿を見守っていた。
「……過去の思い出、か」
思い出したくない過去の思い出。
大切な人を失った悲しみ。
その悲しみを乗り越えられる日は、一体いつ訪れるのだろうか。
そんなことを思いながら、蓮は宿屋に向かって歩き出した。


009

「それじゃ、行ってきます、お父さん」
「行ってらっしゃい、美咲。退魔師様がおられるから心配はないとは思うが、気をつけてな」
次の日の朝。
蓮と美咲は、村の出口付近で博の見送りを受けていた。
蓮がいるとはいえ、博も父親なのだ。
一人娘が心配になるというのも無理のない話だろう。
「美咲さんは、僕が必ずお守りします。どうかご心配なさらないでください」
「よろしくお願いします、退魔師様」
そこで見送りの挨拶は終了し、蓮と美咲は、村から駅への道のりを歩き始めた。


010

「××市には……980円か。結構遠いみたいだね」
「うん。なんだか、軽めの旅行をしてるみたいだね」
「行き先が地獄の旅行、かな?」
「もう、蓮くんってば、そういうことを言わないの」
「はは、ごめんごめん」
美咲の言葉通り、目的が連続失踪事件の調査でなかったなら、初めてのデートと言えたかもしれない。
だが、悲しいかな、これは仕事であり、デートや旅行とは似ても似つかぬものなのだ。
「さて、次に電車が来るのは何分かな」
「今が10時過ぎだから、次は……」
「10時10分の次の電車は……25分が一番速いみたいだね」
「いつも思うけど、この地区って、田舎の割には電車の本数が多いんだよね」
「確かに、時刻表を見た感じじゃ、1時間に5本ぐらいの電車が出てるね」
「私としては、便利でいいんだけどね」
蓮の中の田舎のイメージの一つに、電車やバスの本数が極端に少ないという想像があった。
実際、蓮が今まで訪れた田舎の多くは、その条件に見事に当てはまっていた場所が多い。
たまに、この村のような田舎もあるにはあったが、そう頻繁に遭遇することは少なかった。
美咲の中の田舎のイメージも、蓮の中の田舎のイメージと共通している部分があるようだ。
『間もなく、二番線に電車が参ります。黄色い線より内側でお待ちください』
しばし雑談を楽しんでいた二人の耳に、間もなく電車が到着するというアナウンスが聞こえてくる。
程なくして電車は到着し、二人はすぐに電車に乗り込んだ。
「目的の街ってどんなところなのかな?」
「実は、僕もあまり行ったことがない場所なんだよね」
「そうなの?」
「うん。仕事柄、結構色んな場所には行くんだけど、 まだ僕も未熟な退魔師だからさ。結構頻繁に、行ったことがほとんどない場所に行くこともあるんだよ」
様々な仕事をこなしているので勘違いされることが多いのだが、 蓮は、退魔師の中ではまだ未熟な部類に入る。
もちろん、戦闘に関しての実力については、退魔師としては十分なものだろう。
ただ、年齢が若いため、退魔師としての経験とかその辺のことが少しだけ不足しているのだ。
こればかりは、色々な仕事を体験して経験を積んでいくしかないのも事実なのだが。
「蓮くんの剣術、早く見てみたいかな」
「そんなに面白いものじゃないよ?」
「そうだろうけど。『本物』の剣術っていうのを見たことがないから、さ。 一度、『本物』っていうのを見てみたいんだ」
「美咲さんに危険が迫ったら、嫌でも見せることになるだろうね」
「そっか。それじゃ、危険が迫ってくるようにお願いしておこうかな?」
「それは勘弁してください。危険なんて、ない方がいいに決まってるんだからさ」
「そうなんだけどね。私の夢の一つが叶う瞬間が来そうだと思うと、 多少の危険はいいかな、なんて思っちゃったりして」
「夢は叶わないから夢って言うんだよ?」
「それ、どこかで聞いたことがあるようなセリフだね」
「僕もそんな気がする」
そんな様子で、目的地に到着するまでの間、二人はしばし雑談に勤しんでいた。
これから行く場所で何が起きるのかという不安を消すためという意味もあったのかもしれない。
もっとも、二人とも、そんな難しいことを考えているわけではないだろう。
ただ単純に、何気ない会話をするのが楽しいのだ。
ある時は美咲から話しかけ。
またある時は蓮から話しかける。
お互いを知らない二人の会話は尽きることがなく続いていく。
最終的に目的地に着くまで、そんな二人の会話が途切れることはなかった。


011

電車を降り、地図で確認した場所へと二人は歩く。
数十分程度歩いたところで、目的の場所へと到着した。
「う〜ん、大変な事件が起こったばかりの割には、特に変わったことはなさそうだね」
「うん。どこから見ても普通の街、って感じだね」
連続失踪事件という大きな事件が起きたにも関わらず、街は驚くほど平静を保っていた。
連続失踪事件が起きた現場に行けば警察ぐらいはいるだろうが、普段と違うのは精々そんなところだろう。
「さて、それじゃ、少し街の中を見て回ろうか。離れずに着いてきてね、美咲さん」
「了解だよ、蓮くん」
いつまでも街の様子を眺めていても仕方がない。
そう判断した蓮は、ゆっくりと街の中に足を踏み入れる。
特に問題はなさそうだとはいえ、大きな事件が起こった現場であるには変わりがない。
そんな何が起こるか分からない場所の調査ということで、蓮の歩みは自然と警戒しながらの歩行になる。
対して、美咲はと言えば、あまり緊張している様子は見受けられない。
前を歩く蓮のことを信頼しているのかもしれない。
ただ恐怖や不安を必死に隠しているだけという可能性もあるのだが。
「……!」
「ん? どうかした? 美咲さん」
人の波に紛れて街の中を歩いていた美咲が、ふいにその場に立ち止まる。
美咲が止まったことに気付いた蓮が振り返ると、美咲は、 何やら驚いた顔をして近くの建物の方向を向いていた。
「蓮くん、あそこ! あのビルの中に、何かの影が見えたの!」
「あのビルの中に?」
やや興奮気味の美咲は、視線の先にある6階建て程度の広めのビルを指さした。
そのビルの中には、人影のようなものが全く感じられなかった。
その事実も相まって、一瞬、蓮は美咲の言うことが信じられなかった。
本職の自分が気づけなかったことに、素人の美咲が気づけるものだろうか。
だが、美咲の様子を見ている限りでは、それが冗談などのたぐいではないように思えた。
「よし、あのビルの中を調べてみよう。危険があるかもしれないから、絶対に僕から離れないでね」
「うん、気をつけるよ」
美咲に離れないよう注意を促して、蓮はそのビルの中に入っていく。
後ろからは、蓮と距離をあけないように早足で歩く美咲がついてくる。
「内装の綺麗さから見るに、まだ建ててから日が経ってないみたいだね」
「そうだね。いかにも、最近建てましたって感じがするよ」
ビルの内部は、外見から判断できる通り、かなり綺麗な状態を保っていた。
机とかパソコンとかの必要機材らしきものが何もなく、 人が全くいないということ以外は、何の変哲もない普通のビルのように思えた。
「この階にも何もない、か」
1階、2階、3階。
それぞれの階をくまなく調べてみたが、生き物のたぐいは全く見つからなかった。
美咲の勘違いだったかもしれないと二人は感じ始めていたが、 念のためという意味もかねて4階以降も調べてみることにした。
そこに、目的の存在はいた。
「! 蓮くん! あそこ、あの柱の影に何かいる!」
4階に上がって中を調べている最中、再び美咲が声を上げる。
やや興奮気味の美咲は、4階に何本かある大きな四角い柱の内の一つを指さしていた。
「あの奥から二本目の柱だね?」
「うん。あの柱の影に何かいるのを感じるの!」
美咲がどの柱のことを言っているのかを確認する蓮。
確認後、蓮は静かに腰に差してある剣を抜く。
「そこにいるのは誰だ! 大人しく出てこい! 10秒以内に出てこなかった場合、攻撃を開始する!」
柱の影にいるらしき相手に向かって蓮は威嚇をする。
10秒以内という条件を付けてはいたが、蓮は、 威嚇の相手が大人しく出てくるなどとは毛頭思っていなかった。
剣を抜いたのは、攻撃することになるであろうと確信していたからだ。
「10秒経った! 悪く思うなよ!」
瞬間、蓮は、『敵』が隠れているであろう柱に向かって走り出す。
いや、走り出すというのは正しくない。
正確には、柱に向かって突進した、だ。
「秋月流攻式一の型!」
目にも止まらぬ早さで柱との距離を詰めた蓮は、柱に向かって薙ぎ払いの一撃を入れる。
薙ぎ払った刀は柱を真っ二つに分断し、上側の柱だったものが音を立てて崩れ落ちる。
「……いない?」
崩れた柱の影には、生き物らしきものは見当たらなかった。
それは、そこに誰もいなかった、あるいは、敵が蓮の攻撃を避けたことを意味する。
「いや〜、怖い怖い。全く、好戦的なお兄さんだなぁ」
「……!」
その声は、二人の後ろから聞こえてきた。
二人がこの部屋に入ったとき、二人の後ろには誰もいなかった。
それはつまり、敵が、蓮の攻撃を避けただけでなく、 蓮の目をかいくぐって蓮の後ろに移動したことを意味する。
「……ゆ、佑樹!?」
振り返った美咲が、驚きの叫び声をあげる。
美咲のそばに瞬時に戻った蓮が、その真意を美咲に問う。
「知り合いか? 美咲さん」
「…………」
蓮の問いに美咲は答えない。
そんな美咲の真意が分からず、蓮は再び美咲に問いかける。
「美咲さん?」
「……あ、ご、ごめんね、蓮くん。ちょっと驚いちゃって」
美咲の様子を見ている限りでは、『ちょっと』驚いた程度の動揺ではないように思えた。
なぜ美咲がそれほど驚いているのか。
その意味を、蓮は美咲の言葉の続きで理解することになる。
「あの子の容姿……私の弟と全く同じなの。いなくなってしまったはずの弟と……」
「弟さんと?」
「うん。でも、あの子は、ずっと昔にいなくなってしまったはずなのに……」
そこで蓮は、昨日の夜の美咲との会話を思い出していた。
過去に消えてしまった美咲の弟。
今調査している、連続失踪事件の被害者。
「本当に……本当に佑樹なの!?」
おもむろに、美咲が弟と同じ容姿の相手に叫びかける。
相手は、それをあらかじめ知っていたかのように言葉を返す。
「そうだよ、お姉ちゃん。僕だよ、佑樹だよ」
その軽々しい口調も相まって、少年の真意が美咲には分からない。
分かるはずがない。
消えたはずの弟と同じ姿の相手が目の前にいるのだ。
混乱するなという方が無理な話だ。
「秋月流攻式五の型!」
そんな美咲と少年の会話に、蓮の剣術が割って入る。
上空に飛び上がった蓮は、重力の力を利用して剣を下段に構え、少年に向かって突き出した。
今度こそ当てる。
それぐらいの気持ちで行った下段付きだったが、 残念ながら、今回も蓮の剣が少年に命中することはなかった。
振り下ろされた剣は地面に命中し、蓮の手には、 堅いコンクリートと衝突した時の鈍い感触が伝わってきた。
「フフ……全く、好戦的なお兄さんだなぁ」
先ほどと同じ言葉を口にしながら、少年は静かに微笑んでいた。
その表情からは、圧倒的な余裕のようなものが感じられた。
「お前は一体何者だ? なぜこの街にいる?」
「それは言えないなぁ。でも、僕を倒せたら、教えてあげてもいいよ?」
蓮の敵意を向けたまなざしなど意に介さずといった様子で、少年は不適に蓮を挑発する。
そんな安い挑発に乗る蓮ではなかったが、目の前の相手を倒せば、事件の手がかりを見つけられる。
そう判断した蓮は、少年に向かって、殺意と呼んでも差し支えないような敵意を向ける。
「秋月流攻式六の型!」
少年に向かって突進し、蓮は手に持った剣を勢いよく上方に向けて振り上げる。
だが、蓮が剣を振り上げる瞬間、少年は後ろにバックステップをして蓮の振り上げ攻撃を避ける。
「ハッ!」
避けられることも計算の内だと思える勢いで、蓮はさらに振り上げた剣を下段に振り下ろす。
勢いよく振り下ろされた剣は、またしても少年をとらえられず地面を叩き割った。
「攻式六の型から攻式八の型!」
すぐに蓮は、地面を叩き割ったばかりの剣を真っ直ぐ少年に向かって突き抜いた。
その勢いで風が巻き起こり、突き抜かれた剣は少年の左頬を僅かに傷つけた。
「フフ、その調子だよ、お兄さん」
何が楽しいのか。
少年は、自分が傷つけられているにも関わらず、不適に笑い続けていた。
「ハァッ!」
少年の頬の左側にある剣を、蓮はそのまま左方向に水平に振りきる。
少年は、当たる寸前のところで顔を反らし、振りきられた剣を交わす。
「そりゃあ!」
振り切った剣を交わされた蓮は、交わされた勢いを殺さず、遠心力を利用して身体を回転させる。
回転させた勢いを利用して、さらに一撃、回転水平斬りを少年に叩き込む。
再び少年は、当たるギリギリのところで斬撃を交わす。
だが、交わしきれなかったのか、少年の左腕辺りに僅かな切り傷が浮かび上がった。
「うん、いいね。キミなら、僕の相手をするのに不足はなさそうだ」
蓮の斬撃をことごとく交わし続けた少年が、余裕綽々といった様子で微笑んだ。
微笑んだとは言っても、その微笑み方は、ある種の不快感を露わにさせるたぐいのものに違いなかった。
「いいよ、合格だ。キミなら大丈夫そうだから、教えてあげよう」
得体のしれない少年が、自分に何を教えようと言うのか。
その真意が分からない蓮は、ただただ混乱の極みにいた。
しかし、数秒後の少年の発言によって、その疑問は僅かではあるが解決に向かうことになる。
「明日、××市の○○町に行ってごらん。きっと面白いものが見られるはずだよ」
そこまで言ったところで、少年の身体から、白い光のようなものが浮かび上がる。
初めての経験ではなかったので、蓮は、その光の正体を瞬時に理解する。
「またね、少年退魔師くん」
「ま、待て!」
少年の周りの光は徐々に光度を増していき、辺りを静かに包み込んでいく。
徐々に強くなっていく光は、蓮の視界を徐々に遮っていく。
その刹那、蓮は確かに『今日は楽しかったよ』という少年の声を聞いた。
今日は楽しかった?
僕は全然楽しくなかったよ。
そんな蓮の心の声が聞こえてくるような気がした。
やがて、辺りを覆っていた光は収まりを見せ、その場にいたはずの少年の姿はどこにもなかった。
「美咲さん、無事か?」
そこで蓮は、柱の影に隠れていた美咲に声をかけた。
忘れていたわけではないが、どこかに行っていないかどうかを確かめたかったのだろう。
「うん、私は大丈夫だよ」
「そっか、良かった」
美咲の無事を実際に確かめて、蓮は安堵した。
もちろん、美咲を巻き込まないように戦ってはいたのだが、それでも心配にはなってしまうのだ。
「でも、さっきのは本当に弟だったのかな?」
「それは今の段階ではなんとも言えないかな。 でも、弟さんが本当に消えてしまったのなら、さっきの少年が弟さんではない可能性の方が高いだろうね」
「そっか。そうだよね」
あの少年が美咲の弟かどうかは定かではない。
美咲の話が本当ならば、美咲の弟は消えてしまったはずなのだ。
蓮の言葉通り、あの少年は美咲の弟ではないと考えるのが妥当なところかもしれない。
ならば、あの少年は一体何者なのか。
その疑問を確かめるためにも、さらに調査をしていく必要があるだろう。
「さて、それじゃ、気を取り直して、もう少しだけ街を調査してみようか」
「うん、そうだね。また何か起こるかもしれないからね」
まだ何かが起こるかもしれない。
そんな可能性も考えられたため、二人はもうしばらくこの街で調査をすることにした。


012

「結局、何も起こらなかったね」
謎の少年と出会った後、しばらく街の探索を続けていた二人。
だが、あれ以降、何か特別なことが起きることはなかった。
念のため、連続失踪事件の現場を訪問し、 そこにいた警察から話なども聞いてみたが、有力な情報と呼べるものは得られなかった。
「そうだね。あらかた調べ終わったと思うし、そろそろ帰ろうか」
「うん。大分時間も経ってきちゃったしね」
美咲の言葉通り、昼前に始めた調査作業も、時間はすでに夕方近くになっていた。
この街についてはあらかた調べ終わったということで、 この街の探索はこれで終了しようということになった。
「それで、次はどうするの?」
「そうだね。あの少年の言っていたことも気にかかるし、 とりあえず、明日は××市の○○町に行ってみようかと思ってるよ」
「そっか。それじゃ、明日も頑張ろうね」
「明日も頑張ろうって……まさか、明日もついてきちゃったりするのかな?」
「もちろんそのつもりだよ。……ダメかな?」
「ダメって言ってもついて来ちゃうんだろう?」
「うん、もちろんだよ」
「…………」
「…………」
無言の見つめ合い。
様々な感情が、二人の視線の間に過ぎっていた。
数秒か数分か。
見つめ合いの時間を終わらせたのは蓮だった。
「……ま、ここまで付き合ってもらったんだから、この際だし最後まで付き合ってもらおうかな」
「あは、さすが蓮くん! 話が分かるなぁ」
「はは、ありがと、美咲さん……」
袖振り合うも何とやら。
ここまできてしまった以上、もはや蓮が美咲を置き去りにして仕事をすることはできなかった。
だが、嬉しそうな美咲の表情を見ていたら、 そんな細かいことはどうでも良くなってくる気がするから不思議なものだ。
「それじゃ、明日も頑張ろうね、蓮くん」
「ああ、頑張ろう、美咲さん」
明日は今日以上にハードな仕事になるかもしれない。
そんな不安があるのも事実だったが、美咲と一緒なら、多少は不安も和らぐような気がした。
そんなこんなで、今日の仕事はなんとか終了し、 二人は元来た道を引き返し、美咲の村へと戻って行くのだった。


後編へ続く



もどりますか?