ある少年の物語
姫井美咲編〜後編〜



013

謎の少年と出会った次の日。
蓮と美咲は、少年が言っていた××市の○○町にやって来ていた。
「昨日の少年が言っていたのはこの街のはずだけど。 昨日と同じで、特に異変みたいなものは感じられないね」
「うん。凄く平和な街って感じがするね」
平和そうなこの街で、少年の言う『面白いこと』など起こるのだろうか。
そんな思いを二人が持ったのかは定かではない。
だが、同じく平和そうな街で起きた騒動のことを考えると、 あり得ないとは言い切れないのも確かだろう。
「とりあえず、歩いて探索してみようか」
いつまでも立っていても仕方がない。
蓮と美咲は、人が往来する街の通りを歩き出す。
「蓮くんの剣術って、かなり本格的だよね」
「ん? そうかな?」
「そうだよ。昨日、あの少年と戦ってるときの蓮くん、凄く格好良かったもの」
「まだまだ未熟な若輩者なんだけどね」
「それでも、素人の私から見れば、特殊な技能を持っている人って憧れちゃうな」
専門的な職業に就く者には、特殊な技能の一つや二つはあるものだ。
美咲にそんな能力があるのかは、蓮には分からない。
だが、自分の退魔師としての能力を褒めてくれる美咲という存在は、 蓮にとってなかなかに嬉しいものであるに違いない。
蓮の特殊な技能を見た大半の人間は、恐怖や侮蔑の感情を蓮に向けることが多いからだ。
「僕から見ると、美咲さんもたいがい凄いと思うけどね」
「私が?」
「うん。何の能力もない人が、こんな危険な場所に赴こうとしているんだからね。 それは、かなり勇気のいることのはずだから」
「そっか。そういう考え方もできるんだね」
蓮の言葉に、美咲は、様々な感情が同時に訪れているような複雑な表情を浮かばせた。
自分に勇気があるという蓮の言葉を、心の中で復唱しているようにも見えた。
「でも、私に勇気なんてないんだよ?  ただ、弟を奪った『連続失踪事件』の結末を、この目に焼き付けておきたいだけなんだから」
「それだけ、美咲さんが弟さんを大事に思っていた証拠じゃないか。 それは、誇るべき大切な感情だと思うよ」
「……誇るべき大切な感情、か」
「そう。大切な家族を失った悲しみは、決して忘れちゃいけないんだ」
それは、蓮自身にも言えることなのかもしれなかった。
過去に大切な人を失った悲しみを知っているからこそ言える言葉なのだろう。
その意味は、美咲にもきっと届いているに違いない。
「ふふ、蓮くんってば、凄くカッコイイことを言うんだね。私、惚れちゃいそうだよ?」
「美咲さんなら大歓迎さ」
「あ〜、言ったな〜? 私、結構甘えん坊なんだよ? きっと蓮くんを困らせちゃうんだよ?」
「甘えん坊な子は好きだし、困らせちゃうぐらい好きになってくれるなら、僕は嬉しいよ」
「もう、蓮くんの色男! 本当に惚れちゃっても知らないよ?」
「はは、本当に惚れてくれる日を楽しみに待ってるよ」
美咲の言葉が本気か冗談かは定かではない。
いや、おそらくただの冗談に違いない。
蓮も、冗談だと分かっている上での対応をしているのだろう。
当然だ。
会って数日の二人に愛が生まれるなんて、ゲームや漫画の世界でしかあり得ないことなのだから。
「ところで、さ」
「ん?」
それまでの流れを断ち切るように、蓮が唐突に話を変える。
多少戸惑った美咲だったが、すぐに蓮の話題転換に対応する。
「美咲さんって、何歳なの?」
「……え?」
心底驚いたような表情。
まさか、目の前の相手に自分の年齢を聞かれるとは思っていなかった。
そんな感情が、美咲の表情や仕草から伺えた。
「だから、美咲さんって、何歳なのかな、と思ってさ。 ほら、美咲さんって、見た目の割に、結構大人っぽいところとかあるじゃない?」
「……知りたい?」
「うん。できれば教えて欲しいかな」
「……どうしても、知りたい?」
「どうしても知りたい」
「…………」
「…………」
しばしの沈黙。
両者とも笑顔ではあったが、浮かべる笑顔の種類は正反対な意味を持っているように思えた。
数秒か数分か。
長い沈黙を、美咲の意外な行動が破ることになる。
「ていっ!」
「っ!?」
美咲の不意打ちのデコピンが、蓮の額を直撃する。
痛い。
まず浮かんできた感情はそれであった。
続いて、これは聞いてはいけなかったのか?
という感情が浮かんできた。
しかし、好奇心というものは抑えきれるものではない。
蓮もまた例外ではなく、美咲の行動の真意を蓮は美咲に問いかける。
「な、なぜデコピン?」
当然の疑問だろう。
年齢を聞いただけで、割と本気のデコピンをされるなんて誰が想像できるだろうか。
「蓮くんがいけないんだよ?」
「ぼ、僕が悪いの?」
何か僕が悪いことをしましたか?
そう聞き返そうとした蓮だったが、美咲の表情を見て、それをすることをやめた。
「だって、幼気な少女に向かって、あろうことか年齢なんて聞くんだもん」
「それだけで、僕はデコピンをされたの?」
「それだけって……女の子はデリケートなんだから、年齢なんて聞いちゃいけないんだよ?」
「デリケートって……美咲さんはデリケートとはほど遠い」
美咲さんはデリケートとはほど遠い女の子だと思うんだけど。
その言葉を言おうとした蓮は、言葉の途中で発言を止めた。
その理由はただ一つ。
目の前の美咲の表情が、鬼のような、 相手を簡単に殺せるような、素晴らしすぎる笑顔に変わっていたからだ。
「……ほど遠い、何かな?」
「…………」
殺される。
自分の命はおそらくここで終わる。
そう感じさせられるほど、美咲の笑顔は恐ろしかった。
恐ろしすぎた。
今の美咲を相手にしたならば、蓮などものの数秒でノックアウトされてしまうだろう。
「……すみませんでした。私が悪かったです、美咲様」
「うん。分かればよろしい」
ああ、悲しきかな、男という生き物のかくも弱きことかな。
所詮、最弱の少年が、最強の少女にかなうはずなどないのだ。
それからしばらくの間、蓮が、美咲のご機嫌を伺いながら調査をしていたのは言うまでもない。
弱肉強食の世の中に乾杯。
どこからか、そんな理不尽なナレーションが聞こえてくるような気がした。


014

恐怖の美咲事件(蓮命名)もさながらに。
蓮と美咲は、昨日と同じように街の中を探索する。
だが、そこはやはり、何の事件も起きていない街の中だ。
しばらく歩いたにも関わらず、何か異変が起こるということはなかった。
「もう街の半分ぐらいは調べたはずなんだけど、何も起こらないね」
「うん。昨日みたいな気配もまだ感じないしね」
「これは、あの少年に騙されたと見るのが妥当かな……って、美咲さん?」
「…………」
蓮は、自分達が、昨日の少年に騙されたのではないかと思い始めていた。
美咲も同じ意見を持っているだろうと蓮は美咲の方を見るが、 美咲は蓮の言葉に反応せず、無言で歩みを止めていた。
しかし、蓮はこの状況に覚えがあった。
いや、蓮でなくても気付くことだろう。
それはつい最近、つまり昨日のこと。
昨日も確かに、美咲が突然歩みを止めた後に『異変』が起こった。
『その可能性』を感じた蓮は、改めて美咲に声をかける。
「美咲さん。何か感じるんだね?」
その言葉を待っていたかのように、美咲は蓮の言葉に反応した。
「うん。あそこの民家があるでしょ? あそこの中に、昨日と同じ気配を感じたの」
そう、蓮の予感は正しかった。
またも美咲は、蓮ですら気付けなかった異変に気付いたのだ。
これはもはや、偶然というレベルの話ではないだろう。
「あの民家だね。よし、行ってみよう」
二度目ということで、今度は蓮も、ただの気のせいだろうとは思わなかった。
そこに異変があることを確信し、異変が起こっているであろう民家に侵入する。
「やっぱり、人の気配が全くしないね。今回のここは、明らかに人が住んでいる民家のはずなのに」
「うん。これはやっぱりそうなのかな?」
「まず間違いなく、何かが起こっているだろうね」
この民家で何かが起こっている。
中に進入した瞬間、蓮はそれを確信した。
同時に、何が起きても大丈夫なように、精神を仕事用のものに変化させる。
「! 中で物音が……!」
玄関から居間への通路へ足を伸ばしたところで、 蓮が、居間から聞こえてくる物音のようなものを感知した。
音の正体を確かめるため、美咲に注意を促しながら、蓮は居間へと足を進める。
「そこにいるのは誰だ!」
中を警戒しながら、蓮は、扉の影から扉を蹴破りながら居間へと進入する。
そこで蓮が見た光景は、ある意味予想通りであり、ある意味想定外のものでもあった。
「フフ、ようやく来たんだね。少年退魔師くん」
「やはりお前か……!」
蓮の予想通り、居間の中にいたのは、昨日蓮と戦闘を繰り広げた少年だった。
昨日と違うのは、少年がいたのが民家の中という点と、少年のそばに『生きた人間』がいることだろう。
「せっかく来てくれたんだしね。約束通り、『面白いもの』を見せてあげるよ」
そこまで言って少年は、目の前で怯えた表情で少年を見る中年男性の頭に手を触れる。
蓮には、少年のその行為が何をしようとしているのかが理解できない。
しかし、数秒後、その行動の意味と理由を嫌でも知らされることとなる。
「さようなら。名も知らない一般人さん」
「なっ!?」
一瞬だった。
少年が中年男性に手を触れた数秒後、男性の身体は、この世から綺麗さっぱり消えてしまった。
そう、文字通り、綺麗さっぱりと。
「お前……その男性に何をした!?」
少年が何をしたのかが、蓮には分からない。
それを知っているのか、少年が蓮に状況を説明する。
「何をした、だって? 見れば分かるだろう? 『僕が』『人間を』『消した』んだよ」
僕が、人間を、消した。
単純な言葉の羅列で、少年は今の状況を説明した。
淡々とした口調で、悪びれる様子もなく。
「今までの失踪事件……全てお前の仕業なのか?」
今、最も知りたい疑問。
それを蓮は少年に問いかける。
「そうさ。今まで起きた連続失踪事件の犯人はこの僕さ」
あっさりと、少年は、自分が連続失踪事件の犯人だと告白した。
まるで、子供が悪戯をしたことを悪びれずに告白するように。
「私の弟も……今みたいに消しちゃったの!?」
今まで二人の会話を黙って聞いていた美咲が、声を荒げながら少年に叫びかける。
美咲が、過去から現在にかけて、最も知りたかった疑問を。
「過去に誰を取り込んだのかなんて、僕はいちいち覚えていないけど。 この僕の姿がキミの弟と同じなら、残念ながら、キミの弟はすでにこの世にはいないだろうね」
美咲にとって、絶望とも言える言葉。
そんな言葉を聞いてしまっては、例え温厚な美咲といえども、冷静さを保つことは不可能だった。
「なんで……なんでこんなことをするの!?」
当然の疑問。
人を殺すと同義のことを、目の前の少年は行っているのだ。
その理由を知りたいと思うのは、人間として当然のものと言えるだろう。
「ただの生存本能さ。僕のような存在は、人間を取り込んで力を増さないと『狩られて』しまうのさ。 そこの彼のような存在に、ね」
狩られてしまうから、人間を殺す。
一見、道理にかなっているとも思えるその言葉から、少年の精神が少しだけ読み取れるような気がした。
「そのためだけに……何の罪もない人間を、殺したってのか!?」
「そうだよ? それが何か悪いのかい?  自分の食事のために他者を殺すなんて、人間でもしていることじゃないか」
少年は、食事という言葉を使った。
人間だって、食事はするだろう?
それと一緒だよ。
蓮には、少年がそう言っているように聞こえた。
「なるほど。食事と一緒……か」
感情を感じさせない目で、蓮はそう呟いた。
まるで機械のように冷たい目で。
「これで分かったことが一つある。そう、たった一つな」
「ふぅん? 何が分かったって言うのさ?」
相変わらず無表情を貫く蓮。
あまりに冷静なその様子に、少年の行った行為を認めたのかとさえ思えた。
だが、次の瞬間。
それは誤りだったことに気付かされる。
「お前が僕の敵だってことだ!!」
瞬間、蓮の顔は、鬼のような形相に変化した。
睨むだけで相手を殺せるかと思えるほど、激しい怒りを露わにしたのだ。
何のことはない。
無表情に見えたのは、自分の感情を必死に押し殺そうとしていただけなのだ。
「お前は必ず滅殺する! 僕の退魔師の誇りにかけて!」
「ハハハハ! できるものならやってごらんよ! 少年退魔師くん!」
今ここに、蓮と少年の第二ラウンドが開幕されようとしていた。
お互いに違った思想を持つ二人には、もはや和解するという選択肢はあり得ない。
食うか食われるか。
勝った方が、相手の存在を消滅させることになる。
負ければ即、死が待っている勝負。
そんな二人の戦いが、今再び幕を開けようとしていた。


015

「秋月流退魔術其の三『断絶結界』!」
少年に攻撃をする前に、蓮は、剣を地面に突き刺した。
そして、気のようなものを剣に流し込み、地面へと伝えていく。
地面へと流された気は、三次元の円形となって大きく広がっていく。
数十秒後には、蓮を中心とした半径数メートルほどの景色の色が、薄い灰色のような色に変わっていた。
民家での戦いということで、周囲に被害を及ぼさないために、 蓮は、周囲十数メートルを保護する結界を張ったのだ。
「結界を張ったから、これで遠慮はいらないな……秋月流攻式一の型!」
まずは、距離を詰め、挨拶代わりの水平斬りを少年に叩き込む。
左から右に振り抜かれた剣を、少年は寸前のところで交わす。
「攻式八の型!」
前進ステップにより僅かに前進しながら、剣を交わされた遠心力で右方向に回転する。
ステップによる前進+遠心力によって回転速度を増した剣が、 左から右に向けて振り抜かれ、少年の顔を僅かにかすめる。
攻撃を食らいかけた少年は、バックステップにより、蓮との距離を広くする。
「攻式三の型!」
距離を取った少年を追いかけるように、蓮の突き攻撃が追いかける。
真っ直ぐに突き抜かれた剣が、少年の心臓部に命中しそうになる。
しかし、寸前のところで、少年は上方に向けて飛び上がり、蓮の攻撃をかろうじて避ける。
「攻式三の型から攻式二の型!」
上方に逃れた少年に向けて、蓮は地面を蹴って跳躍しながら、剣を上方に向かって斬り上げる。
斬り上げられた剣に跳躍の勢いがプラスされ、上空で自由に動けない少年に直撃する。
「攻式二の型から攻式五の型!」
上空で蓮の斬り上げを食らった少年が、体勢を崩し下方に落下しようとする。
そこで蓮は、さらに剣を上方に構えた状態から、下方の少年に向けて思い切り斬り下げる。
重力加速度を受けて速度を増した蓮の下段斬りは、空中で動けない少年にクリーンヒットした。
蓮の下段斬り+重力加速度という二重の攻撃を受けた少年は、 あり得ないと思えるほどの衝撃で地面へ激突した。
これは死んだのではないか?
普通ならそう思えるところだが、今回は相手が相手なのだ。
死ぬどころか、ダメージを負ったかどうかさえ怪しい。
その確認のために、地面激突の土煙が消えたところで、蓮は少年の状態を確認した。
「……やはり、この程度の攻撃じゃダメか」
案の定というかなんというか。
土煙が収まったところにいたのは、ほぼ無傷で微笑む少年の姿であった。
「フフ……どうしたの? キミの力はこんなものなのかい?」
少年が、不敵に微笑みながら蓮を挑発する。
そんな少年の挑発を、蓮は、冷静さを失わないままで受け入れる。
「……やはり、ヤツ相手に普通の剣術じゃダメ、か」
普通の剣術じゃダメか。
蓮は確かにそう言った。
普通の剣術とは何か?
普通じゃない剣術もあるのか?
あるのなら、その違いは一体?
そんな疑問も浮かんできたが、すぐにその意味を理解することになる。
「仕方がない……少々本気でいくぞ!」
蓮の雰囲気が、今までとは違ったものへと変化する。
素人では分からない変化だろうが、目の前の少年は、蓮の変化に気付いたようだ。
「…………!!」
咆哮にも似た所作で気合いを入れる蓮。
その身体の周囲からは、白色の発光現象が起こっていた。
目に見える大きな変化に、少年の表情も、自然と険しいものへと変わっていく。
「ここからは僕の特殊能力、『雷』を使った剣術をお見せしよう。行くぞ!」
そこで蓮は、改めて臨戦態勢に入る。
構え事態は先ほどと変わっていないが、蓮が醸し出す緊張感は、今までとは段違いのものとなっていた。
「さっきとは違うようだけど、そろそろ僕からも攻撃させてもらおうかな!」
今まで、ただ蓮の攻撃を受けるだけだった少年が、初めて好戦的な表情を見せる。
次の瞬間、少年は、蓮との距離を前進で一気に詰める。
「その変化がどの程度のものか、見せてもらうよ!」
「嫌でも見せてやるさ! 秋月流特殊剣術五の型!」
蓮との距離を詰めた少年は、黒い霧のようなものを纏った手で、蓮の腹部に手套を繰り出す。
対して蓮は、構えた剣を目にも止まらぬ早さで振り下ろす。
瞬間、黒と白の二つの攻撃がぶつかりあう。
片や黒い腕、片や白い剣。
二つの技がぶつかり合ったことで、周囲に強烈な衝撃波が巻き起こる。
「くっ!」
壮絶なぶつかり合いを制したのは、雷を纏った蓮の剣であった。
少年の腕の黒い霧は雷の効果で発散し、 雷の感電効果と垂直斬りの相乗効果のダメージが少年の全身を覆っていた。
少年の誤算は一つ。
今までの蓮の剣術と、雷を纏った蓮の剣術を、同じものとして認識してしまったことだろう。
「ここだ! 特殊剣術八の型!」
感電効果で動けない少年に、ここぞとばかりに蓮が追い打ちをかける。
すでに至近距離にいたため、蓮は、下段に構えた剣を、先ほどと同じ要領で上方に振り上げる。
もちろん、雷の鎧をその刃に纏わせながら。
「がっ!」
ただの突き上げではない、雷の鎧を纏った上方突きは、 少年にダメージを与えつつ、少年を上方高くに斬り上げる。
当然、雷の麻痺効果が再び発生したことで、少年の麻痺状態は解けていない。
少年が上方に飛び上がったことを確認し、蓮も同じように上方へと飛び上がる。
跳躍で少年よりも高い位置に飛び上がった蓮は、その場所で、剣を身体の上方で構える。
そうして構えた剣を、雷の鎧+下段突きという組み合わせで、下にいる少年に向かって叩きつける。
「ぐはっ!?」
最大限の力と重力加速度を加えながら斬り下げられた剣は、見事に少年にクリーンヒットし、 その威力を遠慮なく受けた少年は、先ほどの数倍のスピードで地面へと叩きつけられた。
少年が叩きつけられた地面には、雷の破壊効果と落下の破壊効果の相乗効果による破壊の跡が刻まれた。
もっとも、その破壊跡は、結界を解いた時点で何事もなかったことにされてしまうのだが。
「…………くっ!」
しばし蓮の攻撃の衝撃に苦しんでいた少年が、ゆっくりと起き上がる。
起き上がる際の苦しそうな表情から、今までとは違い、少年にかなりのダメージが入ったことが伺えた。
「フ……フフフ……フハハハハハ!」
「!?」
苦しそうにしていた少年が、突如大声で笑い出した。
突然の少年の行動の理由が蓮には分からない。
「まさか僕をここまで追い詰めるとはね……仕方がないな。そろそろ本気でお相手するとしようか!」
そろそろ本気で相手をする。
それでは、今までは本気ではなかったというのか?
そんな蓮の疑問に、少年の変化という現実が答えてくれた。
変化した少年の身体には、邪悪を体現したかのような、漆黒の黒きオーラが纏われていた。
その黒き禍々しいオーラは、蓮の白きオーラと対比したかのような邪悪さに満ちていた。
「ハハハハハ! 十分に誇っていいよ。上級魔族のこの僕に『魔力解放』まで使わせたんだからね!」
上級魔族に魔力解放。
聞き慣れない単語ではあったが、蓮も退魔師の端くれだ。
その二つの単語がどういう意味を持っているのかを瞬時に理解した。
「そぉら! 挨拶代わりだよ!」
瞬間、少年の手から発せられた衝撃波が、蓮の身体を大きく吹き飛ばした。
人間の質量を無視するその圧倒的な威力に、蓮はあらがう暇もなく、後方の壁に叩きつけられた。
「がはっ!?」
信じられない速度で壁に叩きつけられたことで、想定外の衝撃が蓮を襲う。
その衝撃で、蓮は十数秒間、まともに声を発することすらできなかった。
「どうしたの? まだこれは挨拶代わりの一撃だよ?」
挨拶代わりの一撃。
この威力で?
それなら、本気を出したら一体どうなるのか?
想像したくもなかった。
「くっ……」
壁に叩きつけられた蓮は、その衝撃による痛みに苦しむ。
だが、苦しみ続けることすら、変化した少年は許してはくれなかった。
「ほらほら! 次だよ! 少年退魔師くん!」
壁を背にして苦しむ蓮の前に、一瞬にして移動した少年が姿を現す。
蓮に近づいた少年は、蓮の腹部めがけて、黒き鎧を纏った手套を繰り出す。
数秒前の攻撃のダメージのせいで、蓮は少年の手套を避けることができなかった。
「ぐはっ!?」
少年の手套をまともに食らってしまった蓮は、再び訪れる苦痛に悶絶する。
だが、そんな蓮の様子など関係なく、少年の容赦ない攻撃は続く。
「ほらほら! どうしたの? 避けないと死んじゃうよ?」
ダメージで動けない蓮に、少年の容赦ない連撃は続く。
まずは、腹部へのダイレクトな黒い拳の一撃。
それを食らった蓮の身体は、大きく『くの字』に折れ曲がる。
「ぐっ!」
続いて、黒い拳での左頬への強烈な一撃。
拳の勢いも相まって、蓮の口の歯が数本折れて外に飛び出した。
「がっ!」
さらに、蓮に回復の余裕を与えない黒い足での蹴りが、 痛みで悶絶し続ける蓮の腹部にクリーンヒットする。
その瞬間、蓮の身体はさらに壁にめり込み、大量の血が蓮の口から飛び散った。
恐ろしいほどの衝撃に、後ろの壁には、先ほどよりもさらに大きな破壊跡が浮かび上がった。
「ぐあっ!?」
容赦のない連続攻撃によって訪れる苦痛で、蓮はただひたすらに悶絶していた。
僕をここまで一方的に殴りつけられる敵は久しぶりだな、と苦痛の中で蓮は思っていた。
「…………ぐっ」
勝てないかもしれない。
痛みに耐える蓮の中で、そんな絶望にも似た感情が浮かび上がってきた。
「蓮くん! 大丈夫!?」
絶望が支配しようとしている蓮の前に、美咲が姿を現した。
今まで隠れていたはずの美咲が。
「美咲……さん……! アイツは……危険、すぎる……! キミだけでも……逃げるんだ……!」
蓮でさえかなわないかもしれない敵。
そんな敵の前に、素人の少女を立たせるわけにはいかない。
そう考えたのだろう。
蓮は、必死で美咲に逃げるように叫びかける。
だが、美咲は、蓮と少年の間から動こうとはしなかった。
「ハハ! 今さらキミなんかが出てきて何ができるのさ? 素人はさっさと逃げだしなよ!」
今さら美咲程度が出てきて何ができるのか。
少年の言葉からは、そんな侮蔑の感情が伺えた。
しかし、少年の威嚇にも似た発言にも美咲は怯まない。
「大丈夫だよ、蓮くん。心配しないで。きっと勝てるから」
「!? 美咲……さん……!?」
きっと勝てる。
美咲のその発言の根拠は何なのか。
いくら考えても、蓮には到底理解できなかった。
だが、今の蓮の疑問はすでにそこではない。
蓮の疑問は、きっと勝てると言った美咲の身体から発せられる『白い光』の正体に移っていた。
「私の力……蓮くん! 受け取って!」
美咲の叫びに呼応するかのように、美咲から発せられていた白い光が、蓮の頭上へと移動していく。
そして、移動していく白い光は、蓮の身体に吸収されていく。
同じ白い光でも、蓮の発する雷の光と、今美咲が発している白い光は、 全くの別物だということが光を受け入れている蓮には分かった。
美咲の発している光からは、温かい温もりのようなものが感じられるような気がした。
白い光はしばしの間発せられ続け、その全てが蓮に吸収され続けていた。
数十秒経った頃、ようやく光の発生は収まり、蓮の身体からは、 自身が発する雷とは違う種類の白い光が浮かび上がっていた。
「これは……力が……溢れてくる……?」
白い光を受け取った蓮は、自身の中から不思議な力があふれ出す感覚を体験していた。
今まで体験したことのない感覚だったが、不思議と嫌な感じはしなかった。
それどころか、完膚無きまでに殴られた際の傷までもが、なんとか動けるまでに治ってしまっていた。
「私の力……渡したよ……」
その言葉を発した瞬間、電池の切れた人形のように、美咲はその場に崩れ落ちた。
美咲が倒れる様子を見て、蓮が美咲に叫びかける。
「美咲さん! 大丈夫!?」
「私は大丈夫……だよ。心配……しないで、ね」
とても大丈夫そうには見えない表情で、美咲はそう口にした。
その顔からは、無理をしている様がはっきりと見て取れた。
「蓮くん、お願い……弟の……仇を取って……お願い……」
辛そうな様子でそこまで言って、美咲は完全に意識を失った。
意識を失う瞬間まで弟のことを考えられる美咲を尊敬したいと蓮は素直に思った。
「……美咲さん。必ず……必ず、アイツを倒して見せるよ」
覚悟を秘めた瞳。
美咲のためにも、自分のためにも、目の前の敵を必ず倒す。
覚悟を決めた蓮に、もはや迷いはなかった。
「ハハ、驚いたね。まさかあんな少女が『同化』を使えるとはね。 だけど、少しばかりパワーアップしたところで、彼じゃ僕に傷を付けることすらできないだろうさ!」
それは、強がりでも何でもない一言。
だが、今は、その自身満々な発言が、強がりを言っているようにさえ聞こえてしまうから不思議だ。
「そうだな。今までの攻撃じゃダメかもしれないな」
「なんだ、諦めたのかい?」
強がりかどうかはすぐに分かるさ。
少年には、蓮がそう言っているように聞こえた。
「今まででダメなら……さらに威力を上げればいい!」
刹那、蓮の身体から、雷特有の発光現象が発生する。
その点だけで言えば、先ほどの発光現象と大差はないだろう。
だが、今、蓮が発生させている雷のエネルギーは、先ほどのそれとは比べものにならない。
「雷よ! 我が剣に収束せよ!」
蓮の叫びに呼応して、身体から発生している雷が全て、構えられた剣に収束していく。
雷特有の電撃音が、周囲の空間に響き渡る。
少しずつ、少しずつ、雷は剣に収束され、剣の密度が大幅に増していく。
最大限まで剣に雷が収束されると、今度は、 身体から放出される電撃が、蓮の身体を覆う鎧のように集まっていく。
そして、剣に集まった雷と、身体を覆い尽くしている雷が、静かに融合していく。
融合した二つの雷は、蓮の身体と剣の質量を最大限まで増幅させた。
そのエネルギー量は、尋常ではない大きさを秘めていることが見ただけで分かるほどになっていた。
「ま、まさか……な、なんだ……なんだその強大なエネルギーは!?」
その膨大なエネルギー量に、目の前の少年が驚愕の声をあげる。
蓮自身、自分が発生させたエネルギー量の膨大さに驚いていた。
それほどまでに、蓮に集まった雷のエネルギーは凄まじいのだ。
おそらく、美咲の使った力の影響で、 蓮の発生させられる雷のエネルギーの最大量が大幅に跳ね上がったのだろう。
「これで終わりだ! 秋月流奥義二の巻『雷刃剣』!」
身体に纏った雷をブースト代わりにして、蓮は、敵のいる前方に向かって突進する。
いや、突進するという言い方では生ぬるい。
前方に向かって瞬間移動する、というのが最も近い表現だろう。
それほどに、大容量の雷エネルギーを纏った今の蓮の移動速度は速かった。
「は、速い!? 避けきれん!?」
「ハアアアアッ!!」
光速とも思える速度で移動する雷の塊が、対象の少年に直撃する。
雷を纏った剣に、雷の鎧を纏った身体。
さらには、それらの破壊力を最大限に引き上げているブースト機能。
それらの相乗効果は、言葉では言い表しきれない破壊力を秘めている。
それが、少年に直撃したのだ。
「こ、こんな攻撃で……こんな攻撃でこの僕がああああ!!」
瞬間、雷を纏った蓮の剣が、少年の身体を貫いた。
貫かれた少年の腹部には、大きな大きな風穴が空いていた。
絶対的なエネルギーの直撃を受けたのだ。
無事でいられる方がおかしいというものだろう。
「がああああっ!?」
腹部に風穴を空けた少年が、ひときわ大きな咆哮をあげた。
そして、咆哮をあげた数秒後。
少年の身体から、眩しいばかりの白い光が発生する。
その光は徐々に強くなり、やがて部屋一面を覆っていく。
数十秒後、光が最大になった時、少年の身体は大きな音を立てて爆発した。
大音量を伴った大爆発は、さらに数秒間の間続いた。
爆発の音と衝撃が収まった時、人間に酷似した異形の少年の姿は、部屋の中から完全に消えていた。
それが、連続失踪事件の犯人であった存在の最後の瞬間となった。
ちなみに、至近距離で爆発に巻き込まれた蓮は、雷の鎧を纏っていたために無傷であった。
もちろん、数十秒前に受けた傷の残痕だけは、蓮の身体から消えずに残ってはいたのだが。
やがて、部屋を覆い尽くす光が完全に消えていった時。
結界が消えた部屋に残っていたのは、同じ部屋で倒れている蓮と美咲だけとなっていた。
数時間後、異変を感じ取った付近住民の手によって、蓮と美咲は無事に救出された。
様々な苦労はあったものの、ここに、数年に渡って続いてきた『連続失踪事件』は解決を迎えたのだ。


016

連続失踪事件の少年との戦闘から数日後。
蓮は、広い部屋の一室で目を覚ました。
「……ここは」
目を覚まして数秒間、ここがどこかを思考する。
白い天井に白いカーテン。
自分が寝ていたらしき白いベッド。
しばし周囲を観察した蓮は、ここがどこかということに気が付いた。
「ここは病院……か。ということは、僕はアイツを倒してすぐに気を失ったのか」
連続失踪事件の少年との激闘。
それが夢ではないことは、自分の置かれている状況が雄弁に物語っていた。
「……! そういえば、美咲さんはどうなったんだ……?」
現実を認識した蓮の頭に、美咲の安否についての疑問が浮かんでくる。
自分に力を与え、意識を失ってしまった美咲。
あれから美咲がどうなったのかは、意識をなくして病院に運ばれた蓮には知るよしもない。
「あら? ようやく目を覚ましたのね」
美咲の状況を思考していた蓮の部屋の扉がゆっくりと開かれる。
扉から姿を現したのは、ナース服に身を包んだ職員らしき人物だった。
「あの……僕の他に、もう一人、女の子がここに運び込まれてきませんでしたか?」
女の子というのは、もちろん美咲のことだ。
職員が美咲の名前を知っていないかもしれなかったので、あえてそういう言い方をしたのだ。
「女の子? それなら確か……」
職員の女性に美咲の居場所を聞いた瞬間、蓮は病室を飛び出した。
後ろでは、職員の女性が『あまり無理をしたらダメですよ』と注意を促していたが、 蓮の耳にその言葉が入ることはなかった。


017

「あ、蓮くん? 目を覚ましたんだ?」
病院の中庭のベンチの上。
そこに、何事もなかったかのように座っている美咲の姿があった。
「美咲さん。無事だったんだね」
美咲が生きていてくれた。
その事実に、蓮はただただ安堵していた。
「フフ。私が死んじゃったとか思ってた?」
「正直、あんなことがあったからね。死んでしまっていてもおかしくないとは思っていたよ」
心配を顔に表す蓮とは対照的に、美咲はただ静かに微笑んでいた。
あれほどの事態があったにも関わらず、普段と何ら変わらない穏やかさを保っているのだ。
「私、結構しぶといんだよ? だから、あれぐらいじゃ死んだりしないんだよ」
「それでも! 美咲さんがあんな形で死んでしまっていたらと思ったら、僕は……!」
実際、あそこで美咲の命がなくなってしまっていたとしたら。
蓮は、その責任を一生背負っていくことになるだろう。
いや、責任などということは関係ない。
蓮はただ、美咲が死なずに生きていてくれたことが嬉しいのだ。
「蓮くんは心配性だなぁ。生きていたんだから、もっと笑おうよ」
「……はは、そうだね」
美咲の言葉を受け、蓮は、自分にできる精一杯の笑顔を美咲に見せた。
それを見て、満足そうに微笑む美咲に向けて、さらに言葉を続ける。
「美咲さん。生きていてくれて、本当にありがとう」
「あはは、生きていたことにお礼を言われたのは初めてだよ」
少しだけ恥ずかしそうに、美咲はそう返事を返した。
そして、蓮にお返しの言葉を伝えるべく口を開く。
「蓮くん。弟の仇を討ってくれて、本当にありがとう」
「はは。僕は、ただ仕事をこなしただけなんだけどね」
「それでも、だよ。弟を殺した仇を、蓮くんは討伐してくれたんだから。感謝してもしたりないよ」
弟を殺した相手を、蓮が討伐してくれた。
蓮にしてみれば、ただ仕事を終えただけに過ぎない。
しかし、美咲にしてみれば、弟の仇を討ってくれた蓮は恩人なのだ。
感謝の言葉を伝えたいと思うのも至極当然だろう。
「それなら、お互いに相手に感謝したんだから、これでお相子だね」
「ふふ、そうだね。感謝のし合いでお相子、だね」
お互い、違う形で相手に感謝する。
それは、今の殺伐とした世の中にしては珍しいことに思えた。
「ところで、美咲さん」
「ん?」
「その……身体は、平気なの?」
意識を失うほどのことをしたのだ。
そんな美咲の身体が大丈夫かは、蓮でなくとも気になるというものだろう。
「うん、平気だよ。あの力を使っちゃうと、 私の寿命が少しだけ短くなっちゃうから、できれば使いたくなかったんだけどね」
「そっか……僕の未熟さのせいで、そんな力を使わせちゃって、本当にごめん」
「気にしないで、蓮くん。私が使いたいと思って使った力なんだから」
「美咲さんは優しいね」
「あはは、そんなことを言われたら、蓮くんのこと、好きになっちゃうよ?」
「僕は大歓迎だよ、美咲さん」
「ふふ、蓮くんは女の子泣かせな男の子だなぁ」
いつぞやと同じような会話を二人は楽しむ。
それは、二人が五体満足で生きていたからこそできる会話なのだろう。
「……でも」
「ん?」
「やっぱり、弟は……佑樹は、もうこの世にはいないんだね」
そう口にする美咲は、少しだけ悲しそうな表情をしているように見えた。
鈍感な蓮でも、美咲の僅かな変化を感じ取れるほどに。
「弟さんのこと……なんて言ったらいいかなんて、僕には分からないんだけど」
そこでいったん、蓮は大きく間を取った。
美咲に伝えるべき言葉を、ゆっくりと選別しているように感じられた。
「死んだ人間は生き返らない。美咲さんがするべきことは、 弟さんのことを忘れず、弟さんの分まで頑張って生きることだと思うよ」
聞いた人間によっては、模範的な言葉を言うなと怒るかもしれない。
だが、美咲ならばきっと、この言葉を好意的に聞いてくれる。
なんとなくだが、そんな気がした。
「……そうだね。弟の分まで、私、しっかりと生きるよ。天国の弟に笑われないように、ね」
その言葉は、天国の弟へのメッセージのようにも感じられた。
幼くして命を失ってしまった弟に、 自分はしっかり生きているから心配しないでと伝えているような気がした。
そんな美咲の様子を、そばに立っている蓮が、僅かな微笑みを浮かべながら見守っていた。
蓮は一人思う。
美咲ならばきっと、この世の中でもしっかりと生きていけるだろうと。


018

蓮と美咲が、病院で目を覚ました次の日。
二人は何事もなく退院した。
蓮の怪我が美咲の力でほぼ治っていたことと、 美咲は元々怪我などしていなかったのが、二人がすぐに退院できた理由だろう。
退院してすぐに、病院から電車を乗り継ぎ、 蓮にとっては三度目の訪問となる美咲の村に二人は戻ってきていた。
村に入ってすぐに、蓮は、美咲の父親である博に事の顛末を全て説明した。
博は、『そうですか、解決しましたか。さすがは優秀な退魔師様ですな。 これで、連続失踪事件による被害者が出ることはないのですね。 この度は、誠にお疲れ様でした』と嬉しそうに話していた。
蓮の未熟さで美咲に危険な力を使わせてしまったことを聞いた後も、 博はただ穏やかに、蓮に労いの言葉をかけていた。
そんな博の様子を見て、蓮は、これが大人の男なんだな、と改めて実感していた。
そして、時は現在の状況に至る。
「それじゃ、またね、美咲さん」
全ての報告を終えた蓮は、美咲に見送られ、村の入り口までやって来ていた。
見送りの美咲に向けて、蓮は最後の別れの言葉を口にする。
「名残惜しいけど、蓮くんも忙しいんだもんね。行かないで、とは言わないよ」
短い間ではあったが、苦楽をともにした間柄なのだ。
寂しくないと言えば嘘になる。
できることなら、このままこの村に居て欲しい。
そんなことさえ思う美咲だったが、蓮の境遇を考えて、それを言葉にすることは我慢した。
「僕も、できればもう少し、美咲さんと一緒にいたいんだけどね」
「私もそうだよ、蓮くん。でも、さよならは言わないよ」
蓮と美咲。
異能者と一般人。
その二人の道が交わることは、おそらくこれから先もないだろう。
「だから……ありがとう」
「……!」
不意打ちだった。
不意に、美咲は蓮にキスをした。
だが、不意打ちだったにも関わらず、不思議と嫌な感じはしなかった。
それは、美咲のキスが、優しく丁寧な安心できるキスだったからに違いない。
「ふふ。私のファーストキス、だよ?」
「ッ!」
さらなる不意打ちに、蓮の顔が紅く染まる。
美咲の顔も、蓮と同じように紅色に染まっているに違いない。
「全く、美咲さんは相変わらずだなぁ」
「蓮くんは、ファーストキスだった?」
「それは秘密だよ」
「あ、ずる〜い! 私も告白したんだから、蓮くんも言わないとダメだよ!」
「はは、いつか教えるからさ。今は秘密ってことにしておいてよ」
「必ず教えてよ?」
「うん。約束する」
美咲と蓮の最後の雑談。
おそらくもう会うことがないであろう二人の、確かな約束。
守られるかどうかさえ分からない、約束。
だが、それでいいのだ。
全く違う道を持った二人がこうして出会えたこと自体、奇跡のようなものなのだから。
違う形の奇跡を期待したとしても、罰は当たらないだろう。
「それじゃ、今度こそさよならだね。色々とありがとう、美咲さん」
「私の方こそ、色々と迷惑をかけちゃってごめんね」
「迷惑なんて思ってないよ。逆に、楽しかったとさえ思ったんだから」
「私もだよ、蓮くん」
「だから」
一瞬の間。
ほんの少しの間をおいて、二人は最後の言葉を交わす。
「また会おうね、蓮くん」
「また会おう、美咲さん」
二人の言葉が重なった。
そんな偶然のシンクロからも、二人がどれだけ通じ合っているかが伺えた。
やがて、最後の雑談を終えた蓮は、美咲を背後に見据えながら、村とは反対方向に歩き出す。
楽しかった数日間を、走馬燈のように思い出しながら。
ゆっくりと、村から離れていく。
「……ありがとうね! 蓮くん!」
村からかなり離れたところで、後ろから、美咲の叫ぶ声が聞こえてくる。
そこで、蓮は歩いていた足を止める。
「またいつか……またいつかきっと、一緒にどこかに遊びに行こうね!」
「ああ! いつか必ず行こう! 楽しみにしてるよ!」
今度こそ、正真正銘、最後の会話。
それが、蓮と美咲が交わした、最後の言葉になった。
これから先、二人は全く違う道を歩いていくことになるに違いない。
だが、二人が、一緒に頑張った数日間を忘れることはないだろう。
お互いにとって大切な時間となった、この数日間を。
そんなことを二人が思ったかどうかは定かではない。
しかし、蓮は確かに思ったことだろう。
美咲のような少女と出会えるなら、こんな仕事も案外悪くないのかもしれないな、と。


姫井美咲編 終わり



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