ある少年の物語
姫井美咲編〜前編〜



001

「これで終わりだ!」
「グガアアアア!」
少年の振るった剣によって、少年の数倍はあろう体躯を誇る怪物が雄叫びをあげる。
その数秒後、目の前の怪物は、それまでの咆哮が嘘のように静かにこの世から姿を消した。
「……討伐完了」
瞬間、少年の表情が、厳しく威嚇するような顔つきから、穏やかな顔つきへと変化する。
『仕事』終了の合図だ。
「これで、コイツが村を襲うことはないはずだよ、村長さん」
ゆっくりと剣を鞘に収めた少年は、近くに隠れていた依頼主に声をかける。
少年の声を聞き、依頼主の老人が少年の前に姿を現した。
「おお! さすがは退魔士様! これで、あの怪物に怯えずに生活を送れますぞ!  この老いぼれ、ただただ感謝するばかりですじゃ!」
腰の曲がった老人は、目の前の少年に、できうる限りの感謝の言葉を述べた。
対して少年は、仕事人の目つきで目の前の老人に言葉をかける。
「これも仕事ですからね。報酬の方は、指定の口座に入金しておいてくださいね」
「ええ、ええ! もちろんですとも! それより、どうですかな?   化け物退治のお祝いに、我が家で打ち上げでもいたしませんかな?」
「いえ、遠慮しておきますよ。これから、上司にこのことを報告しないといけないのでね」
上司という言葉を少年が使ったのは、少年に依頼主を紹介した『組織』が、 世間的には極秘として扱われているからだ。
例え依頼主相手にであろうと、組織のことを口にするのはタブーになっているのだ。
「そうですか……残念ですが、お仕事では仕方ないですなぁ」
「ええ。そういうわけですので、僕はこれで失礼しますね」
「了解いたしました。道中気をつけておかえりくださいませ」
「有り難うございます。それでは、失礼いたします」
その言葉を最後に、少年は、依頼主の住む小さな寒村を後にした。
背後では、依頼主の老人が、村の危機を救ってくれた少年に向かって笑顔で手を振り続けていた。


002

「ああ。仕事は何事もなく終わったよ」
『そうか。まあ、依頼としては最低ランクの仕事だからな。 お前が失敗することなどあり得ないことではあるがな』
「そりゃあ、あの程度の仕事に失敗してるようじゃ、秋月家の名折れだからな」
『さすがは秋月と言ったところか。では、次の仕事も期待しているぞ、蓮』
「次はもう少し歯ごたえのある仕事を期待しているよ」
『努力しよう』
そこで、少年と組織の仲介役との電話は途切れた。
場には、しばしの間、何の音もない静かな時が流れた。
「…………」
少年、秋月 蓮(あきづき れん)は、今日の仕事のことを軽く振り返る。
だが、振り返ったところで、最下級の難易度の仕事に対して思うことなど蓮にはなかった。
「さて、そろそろ寝るかな」
仕事が終わったばかりということで、少し早いが蓮は眠りに就くことにした。
仕事の疲れなどなかったが、特にやることがないのもまた事実だったからだ。
「…………」
部屋に戻り、ベッドへと入る。
疲れこそなかったが、睡眠という日常行為をするまでにそれほど時間はかからなかった。


003

次の日。
平日ということで、蓮は、高校生としての自分を全うするため、私立星海学園へと登校した。
学校に着くと、特に寄り道などはせずに自分の教室へと向かう。
「よう、おはよ、秋月」
「おはよ、和嶋」
席についた蓮に、友人の和嶋が話しかけてきた。
これも別段普段と何ら変わりない日常の風景だ。
「おい、秋月。聞いたかよ?」
「……? 聞いたって、何を?」
「例の『連続失踪事件』がまた起こったんだとさ」
「ふぅん」
連続失踪事件。
それは、その名の通り、数年に渡って続いている『人間の失踪事件』のことである。
事件の犯人やその動機などは、いまだに明らかにされていない。
「で、今回それが起こった場所がさ、なんと! この近くの街らしいぜ?」
「この近く……って言うと、この千葉の中で起きたってことか?」
「大正解。千葉の××市の中にある村で起こったらしいぜ……って、 昨日ニュースでやってたじゃねーか。見てないのか?」
言われて、昨日のことを思い出す。
昨日は確か、『仕事』を終えた後、すぐに帰宅し眠りに就いたはずだった。
当然、ニュースなど見たはずもない。
「……いや、昨日は帰ってすぐに寝ちまったから、見てないな」
「そっか。まあ、どっちにしろ、俺らには関係のない話だろうけどなぁ」
「そうだな。俺達のような一般人には、違う世界の話だろうさ」
一般人。
蓮のような特殊な境遇の者を一般人と呼ぶのかは定かではない。
だが、世間一般に公開している『秋月 蓮』という人物像は、一般人と呼んでしまって差し支えないだろう。
蓮の『裏の顔』など、一般人には知らぬ存ぜぬの話なのだ。
「おっと、前園が来たな。じゃ、また後でな」
しばらく話していると、担任の前園が入って来たため、話はそこで打ち切りになった。
普段なら、気にもとめない『連続失踪事件』。
今回も、特段気にとめるつもりはなかった。
しかし、何故かは分からないが、この連続失踪事件のことが蓮の頭の中から消えることはなかった。


004

その日の夜。
何事もなく帰宅した蓮は、風呂上がりにソファーでくつろいでいた。
特に意味もなく、テレビを付けてみる。
『今日もまた、連続失踪事件が起きました。今回消えてしまったのは、 千葉県××市の村に住んでいた青年で、付近の住人達は……』
テレビでは、タイミング良く、例の連続失踪事件についてのニュースが報道されていた。
特に思うところがあったわけではなかったが、蓮はそのままテレビを眺めていた。
『現場では、警察による現場検証が行われています。 例によって、青年が消えてしまった原因は全くもって不明です。現在、警察がその原因と……』
「……ん、電話か」
しばしテレビの雑音を聞いていた蓮の耳に、聞き慣れた携帯の着信音が流れてきた。
着信音の発信源は自分の携帯で、発信先には『仲介屋』と表示されていた。
『仕事』の依頼に違いないな、と蓮はすぐに確信した。
「僕だ。昨日の今日で、また新しい仕事か?」
『まあそう怒るな。今回の仕事は、前回の仕事とは違って、やりがいがある仕事のはずだからな』
「やりがいのある、ね。まあ、仕事である以上、私情を挟むつもりはないけどな」
『物分かりの良い仕事人で助かるよ』
仕事は仕事、日常生活は日常生活と割り切って生活している蓮なのだ。
例えどんな仕事であろうとも手を抜かずにやり遂げるのが真のプロというものだろう。
『では、仕事の内容についてだが』
そこからは、仕事の内容についての説明がしばしの間続いた。
今回の仕事の概要はこうだ。
千葉県の××市の○○町で、今夜再び連続失踪事件が起きた。
依頼主は、今回消えた青年の家族だという話を聞いている。
依頼主の要求は一つ。
連続失踪事件の犯人を解明し、家族のかたきをとってもらいたい。
ということだった。
「千葉県の××市というと、今さっきのニュースでやっていた区域か」
『そうだ。仕事の内容は以上だ。引き受けてくれるな?』
「もちろん」
『そうか、助かるよ。ただ、連続失踪事件についての依頼が来たのは今回が初めてだ。 何が起こるか分からない以上、慎重に仕事にあたってもらいたい』
「了解。用件が終わったなら切るぞ」
『ああ。健闘を祈る』
その言葉を合図に、蓮は電話を切った。
次の依頼は、全国でも知らぬ者はいないであろう連続失踪事件の調査と解明。
それはおそらく、容易な仕事ではないだろう。
それを本能で理解している蓮は、沈黙が支配する部屋で静かに微笑むのだった。


005

ガタンゴトンという電車の機械的な音が蓮の耳に絶えず入ってくる。
仲介屋との電話から数日後。
蓮は、依頼された村がある駅へと向かっていた。
『次は〜××〜、××〜』
「……っと、次の駅か」
車内では、蓮の目的地が次の駅であることを告げるアナウンスが流れている。
滅多に来ない地域での仕事ではあったが、 特段それを不安に思うような精神を蓮は持ち合わせてはいなかった。
『まもなく、××、××でございます』
蓮が降りる準備をしている間に、電車は目的の駅に到着した。
長い電車での旅はここで終わり。
この後待っているのは、本来の蓮の姿である『仕事』の世界が待っている。
「……なんだか自然の多いところだな」
駅を出た蓮は、まず、自然の多さに驚いた。
千葉という決して田舎ではない県の中にある村とは思えないほどの自然が蓮を迎えてくれた。
「さて、目的地はどっちかなっと」
ほとんど来たことがない場所だったので、蓮は目的地の場所を把握していなかった。
地図を探し、現在地と目的地とを照合させる。
仕事柄、普段から地図を見慣れていた蓮は、すぐに目的地への道のりを把握する。
「ま、急ぎの用でもないし、ゆっくり歩いて行きますかね」
依頼主から時間などの指定はされていなかったので、蓮は、 見物がてらゆっくりと歩いて目的地へ向かうことにした。
森に囲まれた十字道。
道の両側には、緑の稲が植えられた田んぼ達が立ち並ぶ。
都会の中にある珍しい風景に、蓮は、どこか懐かしい気持ちを思い出していた。
「……ん?」
しばしの間、都会の中の田舎の風景を楽しみながら歩いていた蓮。
その眼前に、蓮は、道に座り込んで何かに話しかけている少女の姿を発見した。
「……うん。そんなことがあったんだね。大変だったね。 でも、もうそんなことをする人はいないから、安心して"イッて"いいんだよ」
「……?」
少女が何を言っているのか、遠目に見ている蓮には理解することができなかった。
普段なら、変な奴もいるものだな、程度で済んでいたに違いない。
だが、今日の蓮はそうしなかった。
いや、できなかったという方が正しいだろう。
少女の纏う不思議な雰囲気が、蓮の無関心な気持ちを刺激したのかもしれない。
気付いたら、蓮はその少女に話しかけていた。
「そんなところで何してるんだ?」
「……え?」
突然声をかけられて驚いている様子の少女。
当然だろう。
いきなり見ず知らずの男に話しかけられて驚かない少女などいようはずがない。
「あ、いや、ごめん。人が全くいない道で何かに話しかけてたから、何してたのかな、と思ってさ」
「ああ、そういうことですか」
理由が分かったことで、少女の中の警戒心が多少緩まったように見えた。
多少表情を緩めた少女が、蓮の疑問に答えようとする。
「ネコさんがね……怒ってたんです」
「……ネコ?」
どこにそんなモノが?
と聞きそうになったのを、蓮は寸前のところで抑えた。
その行動に特に理由はなかったが、なんとなく、聞いてはいけないことのような気がしたのだ。
「もう"イッて"しまいましたから、ここにはいませんよ」
「ふぅん?」
よく分からない子に声をかけてしまったのかもしれないな。
蓮は、目の前の少女に話しかけたことを少しだけ後悔し始めていた。
しかし、蓮が後悔するよりも先に、少女は蓮に言葉をかける。
「さて、ネコさんもイッちゃいましたし、私もそろそろ行きますね」
「そっか」
相変わらず、少女の発言は、蓮には意味が分からないものに違いなかった。
なんとなく相づちを打ちはしたものの、理解という言葉とはほど遠い精神状況なのが現実だ。
「それじゃ、またね、お兄さん」
「……? ああ、またね」
なぜ『またね』なのかも蓮には理解できなかった。
理解できなかったので、またも適当な相づちを打つという愚行を犯さざるを得なかった。
やがて、別れの言葉を告げた少女は、ゆっくりと蓮の視界から消えるように歩いて行った。
完全に少女の姿が見えなくなった頃、ようやく状況を把握できかけていた蓮は、 少女が向かった方向と同じ方向へ向かって歩き出した。


006

「地図によると、この村で間違いないはずだけど」
自然に囲まれた長い道を歩くこと数十分。
ようやく建物群らしきものをその目にとらえることができた。
「依頼主は確か、姫井って名前だったよな」
村に入った蓮は、依頼主である姫井という名字の表札を探す。
しかし、意外と珍しい名字なのか、なかなか目的の名字を見つけることができない。
当然といえば当然だろう。
一応村という名前で呼ばれてはいるものの、それなりに広い場所なのだ。
その中で、特定の名字の家を見つけるのは容易なことではない。
「うーむ。田舎っぽい村とはいえ、やはりそれなりに広いんだな」
姫井という名字を探してしばらく歩いているが、いまだに目的の名字へはたどり着けていない。
こうなってくると、姫井という名字がこの村でどれだけ珍しいのかということを実感せざるを得なかった。
「…………」
田舎というのは、無駄に敷地が広い分、都会よりも目的の家を見つけにくいのかもしれない。
そんな思考をしながら、蓮はひたすら広い村の中を歩く。
「しかし、同じ千葉の中に、こんな田舎っぽい場所があったとはなぁ」
蓮は本能的に、千葉=都会、という強迫観念じみたイメージを持っていた。
だが、今現在蓮の前に広がる光景は、 そんな自分の固定観念を払拭してくれるだけの存在感のようなものがあるように感じられた。
「漫画とかだと、ここで知り合いが登場して、目的地まで道案内してくれるんだろうけど」
実際には、そんな都合の良いことが起こるはずなどない。
現実に、蓮は見知らぬこの土地で迷子のような状況になっていて、 知り合いが現れる気配など毛頭ありはしない。
それこそが現実の厳しさというものなのだ。
「結構歩いた気がするな。そろそろ見つかってもいいんじゃないかなと思うわけだが」
時間にして、数十分は歩いたのではないだろうか。
その間、注意深く周囲を観察しながら歩いていたが、依頼主の家らしきものは一向に見つからなかった。
「まさか、依頼主の名前が情報と違うとかいうオチじゃないだろうな」
依頼主が仮名を使っている?
何の目的で?
分からない。
それなら、仲介屋が名前を聞き間違えた?
あり得ない。
仮にもプロの仲介屋が、依頼主の名前を間違うはずがない。
もちろん、蓮も、本気でそんなことを疑っているわけではない。
いつまで経っても目的地に着かないので、少し疑いたくなってしまったのだ。
「ん? あんな道の真ん中に人が……?」
さらに歩いていた蓮の目が、道の中央付近に立っている中年男性らしき人物をとらえた。
一瞬、こんなところで何をしているんだ?
と思った蓮だったが、その人物こそが依頼主であるということを感覚で理解した。
「その腰の剣から推察するに、キミが退魔師の少年かな?」
「ええ。貴方が依頼主の姫井さんですか?」
「はい、私が姫井です。こんな田舎の村にお越しいただき感謝いたします」
「いえ、これも仕事ですから。早速ですが、ご自宅の方で詳しい話をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「もちろんです。まだ少し歩くことになりますが、構いませんかな?」
「大丈夫ですよ。歩くことには慣れていますから」
「それは助かります。それでは、参りましょうか」
そんな社交辞令じみたやりとりを終えた蓮は、依頼主に案内され、目的の家への道のりを歩き始めた。
依頼主の男性の言う通り、姫井という名前の家までは、そこからさらに数十分ほど歩いた後に到着した。
歩くのは苦痛ではなかったが、改めて蓮は、田舎の村の恐ろしさというものを実感したような気がした。


007

「ここが私の自宅です。どうぞお入りください」
「お邪魔します」
程なくして姫井家に到着した蓮は、社交辞令を口にした後、家の中へと入る。
蓮が入ったのを確認して、依頼主の男性も中へと入った。
「美咲、今帰ったよ」
依頼主の男性が、家の中の誰かに帰宅したことを告げた。
このことから、依頼主の男性が独り身ではないことが読み取れた。
「おかえり、お父さん」
数秒後、依頼主の呼びかけに呼応して、一人の少女が蓮の前に姿を現した。
瞬間、蓮は驚きを隠せなかった。
奥から出てきた少女が、数時間前の道中で出会ったばかりの少女だったからだ。
「キミは、さっきの……」
「ふふ。また会ったね、お兄さん」
偶然の再会とはこのことだろうか。
軟派な男なら、この偶然を利用して少女を口説いていたかもしれない。
幸いにして、蓮は軟派な男ではないため、少女を口説いたりはしなかったのだが。
「改めて自己紹介するね。私は姫井 美咲(ひめい みさき)。 今回の依頼主、姫井 博(ひめい ひろし)の一人娘だよ」
「まさか、依頼主の娘さんだったとは、驚いたよ」
「実は、あそこにいたら退魔師の人に会えるかなと思って待ってたんだ」
「そして、見事に僕と出会ったってわけだ」
「うん。まさかこんなに若い子が来るとは思ってなかったけどね」
「僕みたいな若い退魔師じゃ不安?」
「不安じゃないって言ったら嘘になるかな。 でも、あの仲介屋さんが紹介してくれた人だもの。信頼してるよ」
「ありがとう、って言ったらいいのかな?」
「うん、それでいいと思うよ。それで、キミの名前はなんて言うのかな?」
そこまで会話して、蓮は、美咲に自分の名前すら告げていないことに気付く。
会ってすぐ打ち解けたような印象があったため、自己紹介することをすっかり忘れていたのだ。
「僕の名前は秋月 蓮。気軽に蓮って呼んでくれていいよ」
「蓮くん、か。うん、良い名前だね」
「名前負けしてるってよく言われるけどね」
「私はそんなことはないと思うけどな」
「はは、嘘でも嬉しいよ」
「もう、嘘じゃないんだけどな〜」
何の変哲もない日常の会話。
仕事の世界に入った後に、こんな日常の会話をすることができるとは蓮は思っていなかった。
仕事は仕事、日常は日常と割り切って生活している蓮にとって、美咲との会話は、 なんとも不思議なものに感じたに違いない。
「さて、盛り上がっているところに申し訳ないけど、そろそろ仕事の話に移ってもいいかな?」
「そうですね。では、詳しい話をお聞かせ願いましょうか」
美咲との会話はそこで打ち切られ、蓮は、精神を仕事用のものへと変化させる。
ここからは、退魔師の秋月 蓮として依頼主の話を聞くことになる。
「まず、私が依頼したいのが『連続失踪事件』についてだということはすでにご存じですね?」
「ええ。仲介屋から聞いております」
「すでにお聞きになられているとは思いますが、 今回の失踪事件の犠牲者には、私の肉親が関わっているのです」
「それも伺っております。その件についての調査と原因の解明が今回の依頼の内容だと聞いています」
「はい、その通りです。それで、その件について、仲介屋の方には話していないことがあるのです」
そこまで言って、博は、一枚の紙を蓮の前に差し出した。
一目見たところでは、その紙には、短めの文章が印刷されているように見えた。
「これは、失踪事件で消えてしまう直前に、消えてしまった家族から送られてきたメールです」
「消えてしまったご家族からの……?」
初めての依頼だったため、蓮自身、連続失踪事件についての情報はほとんど持ち合わせていない。
当然、連続失踪事件直前に家族からメールが送られてきたという事態についても、 それがおかしいことなのか正常なことなのかの判断もできなかった。
「はい。メールの文面には、 簡潔に『ヤツに殺される……ヤツはバケモノだ! 助けてくれ!』とだけ書かれていました」
「……その文面だけだと、何が言いたいのかよく分かりませんね」
「そうなのです。私達も、何故家族がこのようなメールを送ってきて、 何を言いたいのかというのが全く分からないのです」
蓮は一つ嘘をついた。
送り主の意図が掴めないメールの真の意味を、蓮は瞬時に理解していた。
そう、このとき初めて蓮は、これが自分達退魔師専門の仕事であると確信したのだ。
「とりあえず、明日辺り、現地に向かって調査をしてみましょう」
「お願いします。これ以上の犠牲者を出さないためにも、必ず真実を暴いてください」
「お任せください。僕の退魔師としての誇りにかけて、この事件の真相を解明してみせます」
そこで、蓮と博の会話はいったん終了した。
そして、しばし蓮と博の会話を黙って聞いていた美咲が、おもむろに蓮に話しかける。
「あの……蓮くん」
「ん? どうかしたの? 姫井さん」
「美咲でいいよ。って、それは今はどうでもいいことなんだけど」
「……?」
美咲が言いたいことを理解することは、女性経験の少ない蓮には難しいことだ。
それを理解している蓮は、美咲の言葉の続きをゆっくりと待つ。
「明日の調査に、私を連れて行って欲しいんだ」
「美咲さんを、明日の調査に?」
「うん。邪魔にならないように努力するから! お願い、蓮くん!」
なぜそのような提案を?
何の変哲もない一般人の少女が、なぜそんな危険な場所へ行きたがるのか?
疑問はいくつか浮かんだが、蓮の精神では、美咲の真意をくみ取ることは到底かなわなかった。
「悪いけど、それはできないよ。一般人の少女を、そんな危険な場所に連れて行くことはできないからね」
「危険なのは分かってる。でも、どうしても行きたいの。 お願い!」
危険なのは分かっているが、どうしても一緒に連れて行って欲しい。
美咲の必死な表情からは、そんな感情が容易に読み取れた。
だが、蓮も一応はプロなのだ。
何の能力も持たない少女を、危険な仕事に連れて行くことを容認することはできなかった。
「例え美咲さんの頼みでも、それだけは許可できないよ。美咲さんの安全のためなんだ、分かって欲しい」
「いざとなったら、私ごと敵を倒してくれて構わない。だから、私を連れて行って。蓮くん」
必死に自分を連れて行くように懇願する美咲の瞳には、何者にも犯されない強い意志の力が感じられた。
蓮は、その力強い瞳の輝きに見覚えがあった。
いつだったかは覚えていなかったが、過去に、 今の美咲と同じ瞳の輝きを持った人を見たことがあるような気がしたのだ。
「…………」
「…………」
しばし無言で互いの瞳を見つめ合う蓮と美咲。
数秒か数分か。
長い時間見つめ合った後、自らの意志を曲げたのは蓮の方だった。
いや、曲げさせられたのは、と言った方が正しいだろう。
「……ふぅ。どうしても行きたいんだね?」
「うん。どうしても行きたい」
「危険な目にあうかもしれない。下手をすれば死んでしまうかもしれない。それでも行きたい?」
「うん。それでも行きたい」
再び無言で見つめ合う二人。
その動作によって、蓮は、美咲の覚悟が並大抵のものではないことを理解した。
「……仕方がないな。それじゃ、明日は一緒に調査に行こう」
「! ありがとう、蓮くん! 足手まといにならないように頑張るね!」
「そうしてくれると助かるよ」
なぜそこまでして、美咲は危険な場所に行きたがるのか。
いくら考えたところで、蓮にはその真意など分かるはずがないのが現実だ。
それを理解している蓮は、それ以上の詮索をしようとはしなかった。
「さて、それじゃ、僕は宿屋に戻ることにするよ。 明日の朝になったら迎えに来るから、準備をしておいてね」
「了解だよ。明日は頑張ろうね、蓮くん」
「ああ。大変な調査になるだろうけど、しっかり頑張ろう」
気休めでしかないのだろうが、お互いに叱咤激励することで、多少は不安を和らげられるような気がした。
もっとも、不安なのは美咲だけで、仕事に生きている蓮には不安などという感情はないのだろうが。
「それでは、博さん。今日はこれで失礼しますね」
「ええ。無事に事件が解決できることを祈っております」
美咲と博に別れの言葉を告げ、蓮は姫井家を後にした。
明日から、危険と隣り合わせの調査が開始される。
恐怖こそなかったが、不安要素を抱えた調査が無事に終了してくれることを蓮は心の中で祈っていた。


中編へ続く



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