小さくなった義之
第5話 遊園地 その2



温水プールの前までやってきた三人は、入り口から中に入り、水着に着替えて中に入った。
プールに入る可能性も考えて、水着をあらかじめ持ってきていたのが早速役に立った。
「夏といえばプールだよねぇ」
「うん。ここは温水プールだから、夏じゃなくても入れるんだけどな」
「や、それでも、夏に入るプールはまた気分が違いますよ」
夏といえばプールという共通の認識で盛り上がる三人。
実際、夏に入るプールというものは、他の季節に入るプールとはまた少し雰囲気が違うものだろう。
「さて、まずはどうする?」
プールの中にも様々なアトラクションがある。
音姫と由夢の希望を優先させるために、義之が二人に意見を求める。
「まずはウォータースライダーに行ってみない?」
「いいですね、私も行ってみたいです」
「よし、そんじゃ決まりだな」
満場一致で、最初は、プールの定番であろうウォータースライダーに行くことに決定した。
ウォータースライダーは入り口近くの場所にあったので、歩き始めてすぐに辿り着くことができた。
「うわ〜、結構高いんだねぇ」
ウォータースライダーのスタート地点に立った音姫は、予想以上の高さに驚いていた。
ここから滑り落ちることを想像すると、少しだけ怖いという感情がわき上がってくるような気がした。
「思ったよりも高いな、これは」
三人の先頭に立っている義之も、予想していたよりも高い場所にスタート地点があることに驚いていた。
そんな義之の様子を見て、由夢がからかうような口調で義之に問いかける。
「怖いんですか? 兄さん」
「こ、怖くなんてないさ!」
嘘だった。
実際は、やめられるものならやめてしまいたかった。
義之は別段高いところが怖いというわけではなかったが、 それでもこのウォータースライダーの高さは、義之を恐怖させるには十分な効果を持っていた。
「な、なぁ。やっぱやめ」
「えい!」
義之が『やめないか』と言おうとした刹那、由夢が後ろから勢いよく義之の背中を押した。
予想外の由夢の行動に驚く義之であったが、時すでに遅し。
勢いよく押された義之の体は、勢いよくスライダーへと押し出されてしまった。
「うお!?」
押された義之が、驚きのあまり叫び声をあげた。
だが、一度滑り始めてしまったらもう誰にも止められはしない。
義之の体は、義之の意志とは関係なく、勢いよく下へと滑り降りていった。
「うわぁぁぁ!? 由夢ぇぇぇ!!」
高速で滑り降りていく義之の叫び声が、断末魔のように響き渡った。
そして、義之が下のプールに到着して数秒後、音姫と由夢が、 義之と同じようにスライダーを滑って降りてきた。
「きゃぁぁぁ!!」
二人がプールまで降りてきた瞬間、大きな水しぶきが飛び上がった。
勢いよく到着した二人の顔からは、絶叫マシーンに乗ったあとのような興奮が感じられた。
「あはは、楽しいねぇ」
「ええ、最高です」
二人とも、周りが見ていて楽しくなるほどスライダーを楽しんでいるように見えた。
二人が降りてきたのを確認して、先に下に降りていた義之が、 先ほどの由夢の行動に関して由夢に話しかける。
「こら、由夢! いきなり押すなんてビックリするだろうが!」
「あはは、でも楽しかったでしょう?」
「それは……まあな」
「それならいいじゃないですか。かわいい妹のお茶目な悪戯ってやつですよ」
実際、義之も本気で怒っているわけではなかった。
それどころか、逆に楽しいとさえ感じていた。
口ではなんだかんだ言いつつも、三人でこうやって騒いだりすることが楽しくてしょうがないのだ。
「私、もう一回行ってくるね!」
「あ、私も行きます!」
音姫と由夢の二人は、スライダーが気に入ったらしく、二回目の挑戦をしに再び上へと上っていった。
はしゃぎながら上へと上っていく姉と妹を見て、義之の心に温かい何かが溢れてくるような気がした。
「はは、二人とも、好きだなぁ」
義之は、そんな楽しそうな二人の様子を微笑ましい笑顔で見守っていた。


由夢のお茶目な悪戯のあと、音姫と由夢は、何回もスライダーに挑戦していた。
途中何度か義之も一緒に挑戦したりして、満足するまで遊んでいた。
「はぁ〜、楽しかったねぇ」
「はい、こんなにはしゃいだのは久しぶりですよ」
少し疲れを感じたような気がしたが、それは不思議と心地の良い疲れだった。
人間、楽しいことをしているときは疲れを感じないと言うが、今の状況はまさにその状態だろう。
「ちょっと休憩しようか?」
二人とも、さすがに疲れたのではないかと心配した義之がそう提案する。
しかし、音姫と由夢から返ってきた反応は、義之の予想とは違っていた。
「お姉ちゃんはまだまだ大丈夫だよ〜」
「私もまだ平気ですよ」
あれだけ遊んだにも関わらず、二人はまだまだ元気が有り余っているように感じられた。
せっかく三人で遊びにきたのだから、後悔しないぐらい遊びたいと思っているのかもしれない。
「そっか。それじゃ次はどうする?」
「さっきはちょっとはしゃぎすぎちゃったし、次は大人しいのにしてみる?」
「それなら、流れるプールにでも行ってみませんか?」
「うん、それじゃ次は流れるプールだな」
流れるプールは、スライダーからしばらく歩くと見えてきた。
子連れの夫婦やカップルらしき男女など様々な人達が、ゆっくり流れていくプールに身を任せている。
「そりゃ!」
周りに人がいないことを確かめて、義之が勢いよく流れるプールに飛び込んだ。
義之が飛び込んだ瞬間、周りに勢いよく水しぶきが飛び散った。
「きゃっ! もう、弟くん! プールには飛び込んじゃいけないんだよ?」
「はは、ゴメンゴメン。周りに人がいなかったからつい、さ」
「もう、仕方がないなぁ」
言葉とは裏腹に、音姫は終始笑顔を保っていた。
口では義之の行動を注意してはいるものの、心の中ではそれを楽しんでいる自分がいるのも事実だった。
「それ! 流れを逆走してやるぞ〜!」
おもむろに義之が、水が流れてくる方向とは逆方向に向かって泳ぎ始める。
もちろん、流れてくる他の人には当たらないように注意はしていた。
その行動に特に意味はなかったが、あえて言うなら、なんとなくやってみたかったというのが適切な表現だろう。
「そりゃ! 俺の華麗なバタフライを見ろ!」
周りに人がいないことを確認すると、義之は、誰に教わったわけでもないバタフライをし始めた。
その行動からは、心底プールを楽しんでいるという印象を受けた。
「ふふ、弟くんったら」
「兄さんったら、子供みたいですね」
そんな義之の行動を、音姫と由夢は温かい眼差しで見守っていた。


「はぁ〜! 泳いだ泳いだ!」
流れるプールを逆走して戻ってきた義之が、満足そうな顔でプールから上がった。
その顔からは、楽しんできましたオーラがにじみ出ているような気がした。
「お疲れ様、弟くん」
「ん、ありがと、音姉」
プールから上がった義之を、笑顔の音姫が迎える。
別段疲れていたわけではなかったが、義之は、音姫の好意の言葉を素直に受け止めた。
「音姉と由夢は泳がないのか?」
「うん、私達は向こうの25Mプールで泳ごうと思って」
温水プールの近くには、学校などで使われているような一般的な25Mのプールがあった。
音姫と由夢は、義之が流れるプールを逆走している間に、そちらで泳ごうと相談していた。
「兄さんはしばらく休んでいたらどうですか?」
流れるプールを一周してきて疲れているであろう義之を気づかって、由夢がそう義之に提案する。
しかし、当の義之はと言えば、まだまだ遊び足りないといった様子を見せていた。
「いやいや、俺はまだまだいけるぜ?」
それは強がりなどではなく、正直な気持ちだった。
久しぶりのプールということで、今の義之の体力は無尽蔵と言っても過言ではないだろう。
そんなやりとりを続けていたとき、義之の顔が唐突に怪しい笑みへと変化した。
どうやら、またなにか悪巧みを考えついたようだ。
「ふふ、いいことを考えたぜ」
怪しい顔で微笑む義之を見て、音姫と由夢の中に、不安という感情が浮かび上がってきた。
そして、数秒後、その悪い予感は悲しくも現実のものとなる。
「お、弟くん。一体なにを企んでいるのかな?」
「どうせたいしたことじゃないですよ、お姉ちゃん」
過去の経験上、義之がそんな態度を示したときに、まともなことを考えていた試しはない。
音姫と由夢ではなくとも、警戒してしまうのは無理もなかった。
「競争しないか?」
「え?」
「はい?」
当然の反応だった。
いきなり競争しないかと言われて、はいやりましょうなどと言える人間はおそらく誰もいないだろう。
義之の方も、二人のそんな反応をあらかじめ予想していたらしく、さらに説明を続けた。
「だから、25Mプールでレースをするんだよ。 で、負けた奴は、勝った人二人の言うことをなんでもきく、と」
「ええ〜!?」
「やっぱり……」
音姫と由夢の悪い予感は、悲しいことに見事に的中してしまった。
結局のところ、義之がなにか企んでいるときに、まともなことを考えているわけがなかったのだ。
「だ、ダメだよ! お姉ちゃん、そんなに泳ぐのが得意なわけじゃないし……」
「わ、私だって、そんなに得意ってわけじゃ……」
二人のそんな反応も、義之の想定の範囲内であった。
当然、このあとの展開も、脳内シミュレーションは完了していた。
二人の考えを変えさせるため、義之は、脳内でシミュレートした展開に二人を誘導していく。
「でも、二人が俺に勝てば、俺は二人のいいなりなんだぜ? 好き放題し放題だぜ?」
「お、弟くんが……私のいいなり……」
「に、兄さんを……好き放題……し放題……」
勝った!
心の中で義之は、静かに勝利宣言をした。
音姫と由夢とは長年一緒に暮らしてきたのだ。
そんな二人をやる気にさせることなど、義之にとっては赤児の手をひねるようなものだろう。
「まあ、二人がやりたくないんじゃしょうがないよなぁ」
演技だった。
義之の脳内シミュレーションでは、二人が次に発する言葉はすでに決まっていた。
「や、やる! お姉ちゃん、頑張る!」
「わ、私もやります! 兄さんには絶対負けません!」
二人の性格を熟知した、義之の策略勝ちであった。
心にもないことを言える自分が少し怖かったが、それも全ては勝つための布石なのだ。
「よし、決定! それじゃ、ルールを説明するぞ」
義之によって、義之提案、罰ゲームありの競泳大会の説明がなされていく。
音姫と由夢も、負けることはできないこの勝負のルールを真剣に聞いていた。
「ルールは単純! 100Mを泳ぎ切った時点でビリだった奴が負け!  泳ぎ方とかの制限は一切なし! どうだ、簡単だろ?」
「うん、わかった。お姉ちゃん、負けないからね!」
「わかりました。私も絶対に勝ちますからね」
複雑なルールなどなにもない。
ただ、100Mを泳いでビリだったものが罰ゲームを受けるという単純なルールである。
音姫と由夢も、特に反対意見などはなく、ルールを聞いて納得したようだった。
「それじゃ、二人ともプールに入ってくれ」
義之の言葉に従い、音姫、由夢、義之の順でプールへと入水していく。
各々が精神を集中させ、スタートの合図を待つ。
「よっしゃ、準備が出来たら始めるぞ!」
「私はOKだよ」
「私も大丈夫です」
三人とも、泳ぎ始める準備は整っていた。
全員の準備ができたことを確認すると、義之が始めの合図を口にした。
「よーい……スタート!!」
義之の言葉を合図にして、三人がほぼ同時にスタートする。
今ここに、罰ゲームをかけた三人の死力戦が始まった。


「……うぅ」
思う存分プールで遊んだ三人は、次はどのアトラクションで遊ぶかを相談するため、 プール近くのベンチに座っていた。
そのなかで、先ほどとは正反対の暗い表情をした義之の顔が印象的であった。
「うふふ〜、残念だったねぇ、弟くん」
「悪巧みをしようとするから失敗するんですよ、兄さん」
「そ、そんなバカな……」
そう、あれだけ大見得をきって勝負を持ちかけた義之であったが、 本気になった音姫と由夢の前に盛大に敗れ去ってしまったのだ。
義之の敗因を挙げるとすればそれは、自分が子供になっていることを忘れていたことと、 本気の姉と妹の実力を見誤ってしまったといったところであろう。
「さ〜て、弟くんにはなにをしてもらおうかなぁ」
「覚悟しておいてくださいね、兄さん」
音姫と由夢は、とびきりのスマイルで、意気消沈する義之に微笑みかけた。
その明るい微笑みは、世の男達を悶えさせてしまう魅力があるように感じられた。
「……とほほ」
結論。
悪巧みは成功しない。
自らの身をもって、義之はその事実を実感した。


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