小さくなった義之
第18話 終わりの始まり その1



「さて、これであらかた買い終わったかな」
夏休みも数週間が過ぎたある日のこと。
義之は、音姫と一緒に商店街に買い物に来ていた。
「それじゃあ帰ろうか? 弟くん」
「ああ」
買い物も終わり、家に帰ろうとしていたとき。
義之は、見覚えのある後ろ姿を見かけたような気がした。
「ん? あれは……!」
「どうしたの? 弟く」
音姫が、『どうしたの? 弟くん』と言おうとした刹那。
義之は、突然理由も告げずに走り出してしまった。
「悪い、音姉! 急用を思い出したから、先に帰っててくれ!」
「ええ!? 急用って……」
いきなり急用が出来たという義之に反論しようとした音姫の意志もむなしく。
全力で駆けていく義之は、あっという間に音姫の視界から消え、 商店街の人混みの中に溶け込んでしまった。
「ハァッハァッ……確か、こっちの方に行ったと思ったんだが」
義之は確かに見た。
夏休みの始め、義之に薬を渡し、全ての根源となった少女らしき人影を。
その人影を見失わないように全力疾走してきたのだが、 どうやら見失ってしまったらしかった。
「くそっ、見失ったか?」
ようやく手がかりを見つけられると思った矢先のことに、義之は落胆を隠せなかった。
やはりそう簡単には手がかりは見つからないということなのだろうか。
「俺の見間違いだったのか……?」
無駄かもしれなかったが、義之は再び、周囲の探索をしてみることにした。
広い商店街の中を走り回り、少女らしき姿を探す。
袋小路や店の間の小道や大通りなど、探すべきところはくまなく探した。
しかし、どこを探しても、少女らしき姿を見つけることは出来なかった。
「……見間違いだったってことか」
どこを探しても見つからないところを見ると、どうやら義之の見間違いらしかった。
今度こそ見つかったと思っただけに、落胆の度合いも相当なものに感じられた。
「仕方ない。いったん戻るか」
これ以上探しても無駄だと判断した義之は、いったん家へと戻ることにした。
戻る最中も、少女らしき姿を探してはみたが、結局その姿を見つけることは出来なかった。


「…………」
忘れていた。
帰宅した義之が始めに考えたのはそれだった。
鬼の形相で義之の前に君臨する音姫は、さながら義之の罪を判決する閻魔大王のように感じられた。
「お、音姉、悪かったよ」
ともかく音姫の怒りを少しでも和らげようと、まずは謝ることにした義之。
必死に謝るその様子は、義之と音姫の力関係をそのまま表していた。
「ち、ちょっと急用が出来ちゃってさ。決して悪気があったわけじゃないんだ」
「……」
無言の圧力が、義之をじわじわと追い詰める。
そんな義之に出来ることは、ひたすら謝り続けることだけしかなかった。
「こ、今度からはちゃんと理由を言ってから行くからさ」
「……」
無言。
ただひたすらそれを貫き通す音姫の様子に、義之はただ怯えるしかなかった。
「……」
「……」
義之にとっては、恐怖でしかない沈黙。
永遠に続くかとさえ思えたそんな沈黙は、予想に反して音姫自身によって破られた。
「……もう、仕方がないなぁ」
そう口にする音姫の表情からは、怒りの感情は感じられなかった。
むしろ、諦めの感情の方が強く出ているような気がした。
「私は別に怒ってなんかいないよ、弟くん」
「……え?」
予想外の音姫の言葉に、思わず義之は聞き返してしまった。
そんな義之に、音姫はさらに言葉を続ける。
「ただ、何か困ったことがあるのなら、私にも手伝わせて欲しいなぁって思っただけだよ」
何のことはない。
音姫はただ、大切な義之に隠し事をされたりするのが寂しいだけなのだ。
そんな姉の優しさを理解した義之は、改めて音姫に謝罪の言葉を口にする。
「……ごめん、音姉。次からはちゃんと音姉にも相談するよ」
「うん。それが分かってくれたならもういいの」
義之が自分の意図を理解してくれたと判断した音姫は、そこでこの件については終わりにすることにした。
義之の方も、これ以上余計なことを言うつもりはなかった。
「音姉、ありがとな」
「お礼なんていらないよ。家族なんだから、困ったことがあったら助け合わないとね」
音姫の優しさに、義之の心が、心なしか温かくなったような気がした。
そして同時に、家族というのはいいものだなと改めて実感した。
そんなやりとりも終わり、二人は、由夢の待つ居間へと入っていくのだった。


諸悪の根源である少女の姿を義之が見かけてから数日後。
義之は、もしかしたら少女に会えるかもしれないという希望を抱きながら、 再び商店街へとやってきていた。
「ふむ。とりあえず来てはみたものの、本当に見つかるのかね」
正直、少女が見つかる確率はほぼ絶望的と言ってもいいだろう。
しかし、ようやく見つけた手がかりを、易々と手放してしまうことなど出来なかった。
「この前は確か、この辺で見かけたんだよな」
数日前に少女を見かけた辺りに来たところで、義之はいったん周囲を観察する。
だが、当然と言えば当然なのか、少女らしき姿はどこにも見あたりはしなかった。
「もう少し探してみるか」
無駄かもしれないとは思いながらも、義之は再び少女の探索を開始することにした。
この間と同じく、袋小路や店の間の小道など、様々なところをくまなく探す。
そうして商店街を徘徊してみるが、やはり少女らしき姿は見つからない。
「やっぱり今日もダメなのか?」
と、義之が諦めかけた頃。
義之は、とある人影を発見する。
「……! あれは……!」
義之が見つけたのは確かに、例の少女の姿に他ならなかった。
今度こそは見失うものかと、義之は、少女がいた場所へと走り出す。
「ハァッハァッ」
息をきらせながら少女がいた場所に辿り着く義之。
義之が辿り着いた先は行き止まりのはずだったが、なぜか少女の姿は全く見あたらなかった。
「……俺の見間違いだったのか?」
前回と同じ感想を抱きながら、今日もダメだったかと落胆する義之。
しかし、今日に限って言えば、まだ諦めるのは早かった。
完全に諦めかけていた義之の背後から、以前聞いたことのある声が聞こえてきた。
「私を探しているんですか?」
「!?」
突然の後ろからの声に振り返る義之の目に、 微笑みながら義之を見つめる少女の姿が飛び込んできた。
そう、義之は、ようやく手がかりの少女を見つけたのだ。
「……やっと見つけたよ」
そんな義之の心の中には、ようやく手がかりを見つけた安堵と、 少女に質問したいという疑惑の感情がわき上がっていた。
だが、そんな義之の様子などお構いなしといった様子で、 少女は静かに微笑みながら義之に話しかける。
「私を探していたんですか? どうして?」
「どうして……だと?」
少女の人をからかうような言動に少しイラつきながら、義之は言葉を続ける。
しかし、焦りと怒りが混じったような複雑な感情に、義之自身も戸惑っていた。
「あんたのせいで、俺はとんでもない目にあったんだぞ?」
怒りの矛先を少女に向けて、義之は、やや激昂気味に少女に語りかける。
しかし、少女の方はといえば、そんな義之の様子に憶することもなく、 冷静に義之の言葉に返答する。
「でも、意外と楽しかったんじゃないですか?」
「…………」
少女の予想外の返答に、義之はしばし考え込む。
俺はこんな状況で楽しんでいたのか?
そんな葛藤が、義之の中で繰り広げられていた。
「意外と図星みたいですね」
実際、ここまでの夏休みは、自分が思っていた以上に楽しかった。
子供に戻ったことで得られた楽しさというものも確かにあった気がする。
「……ああ、楽しかった。 こんな夏休みは二度と来ないだろうってぐらいにな」
実際、今年の夏休みほど充実した夏休みは、もう二度とこないと思えるぐらい楽しかった。
だが、いつまでもこのままの状況でいるわけにはいかないのだ。
「でも、俺は元の姿に戻りたい。 俺自身のためにも、何より、大切な音姉と由夢のためにも」
それが、嘘偽りのない、義之の素直な気持ちに他ならなかった。
大切な音姫と由夢という家族のために、元の姿に戻りたい。
改めて義之は、そう決心することになった。
「そのお二人が羨ましいですね」
そこで初めて、少女が少し寂しそうな笑顔を見せた。
だが、それも一瞬のことで、すぐに表情は笑顔に戻り、続きを口にする。
「三日後の午後五時。初音島の高台に来てください」
微笑みながら、少女はそう義之に告げる。
冷静にそう告げる少女と義之の間には、かなりの温度差があるように感じられた。
「三日後に高台? 一体なんで?」
理由が気になる義之は、少女に問い返す。
しかし、少女は、その理由を明かそうとはしなかった。
「来ていただければわかります。 元の姿に戻りたければ、必ず来てください」
「ちょっと待」
義之が『ちょっと待てよ』と言おうとした刹那。
少女の周りから桜吹雪が舞い上がり、義之の視界を埋め尽くす。
数十秒後、桜吹雪が収まった頃には、少女の姿は完全に消えていた。
「……一体どういうことなんだよ」
分からないことばかりだったが、 今の義之にとっては、少女だけが唯一、自分が元に戻るための手がかりなのも事実なのだ。
少女の真意は分からなかったが、義之の選択肢はすでに一つしかなかった。
「……三日後に高台、か」
何かと不思議な少女の言葉ということで、正直あまり信用は出来ていなかった。
しかし、それでも、唯一の手がかりをわざわざ見過ごす手はなかった。
「……今日はいったん帰るか」
誰にともなくそうつぶやき、義之は、商店街を逆走しながら帰路へと着く。
三日後の高台で一体何が起こるのかを想像しながら。


「とまあ、そんなことがあったわけさ」
少女と会ったあと帰宅した義之は、音姫と由夢に状況を説明した。
説明したとは言っても、義之自身、状況をあまり正確には理解出来ていないのだが。
「三日後に高台かぁ。なんで高台なんだろうね」
「や、考えても分からないと思いますよ」
「そうだな。理由は分からないけど、 やっと手に入れた手がかりなんだ。絶対無駄にはしないさ」
分からないことは多かったが、行動しなければ何も始まらない。
そのことを理解している義之は、三日後の高台に思いをはせる。
「何が起こるか分からないし、気をつけてね、弟くん」
「や、兄さんなら、殺しても死なないから心配ないですよ、お姉ちゃん」
「はは、酷い言われようだなぁ」
実際、得体のしれない少女が何を考えているのかが分からない以上、 警戒することは必要だろう。
だが、多少危険であろうが何だろうが、いつまでも子供の姿のままでいることは出来ない。
三日後の高台というキーワードを脳に刻み込み、 義之は、元に戻るための手がかりを必死に探し出そうと努力するのだった。


第19話へ続く



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