小さくなった義之
第13話 夏祭り その1



友人達との海水浴から数日後。
義之は、音姫と由夢の三人で、夏の風物詩である夏祭りの縁日へとやって来ていた。
「夏祭りに参加するなんて久しぶりだな」
「うん、私も久しぶりだよ」
三人とも、久しぶりのお祭りということで、心なしか浮かれているように感じられた。
周囲の人達のお祭りムードが伝染したのかもしれない。
「今日は楽しもうね。弟くん、由夢ちゃん」
「ええ、兄さんが疲れてしまうぐらい遊びましょうね」
「はは、祭りごときで俺が疲れるはずがないさ」
「ふふ、楽しみにしていますよ、兄さん」
三人の夏祭りは始まったばかり。
何気ない会話を交わしながら、三人は、これからなにをして遊ぶかを考えるのだった。


「さて、それじゃまずは何からいくよ?」
「兄さん。前哨戦ということで、金魚すくいで対戦しませんか?」
義之の質問に、由夢が金魚すくい対決を提案する。
由夢がそんな提案をしてくるとは予想していなかった義之だったが、 勝負事が大好きな義之が断るなずもなく。
義之は、由夢の提案を快く快諾することにした。
「金魚すくいキングと呼ばれた俺に戦いを挑むとはいい度胸だな、由夢よ」
「なんとなく、兄さんになら勝てそうな気がするんです」
自信満々に勝負を受け入れた義之に対して、由夢の方は冷静そのものに見えた。
すでに勝ちが決まっているとでも言わんばかりの由夢の対応に、 義之の中の悪戯心がふくらんでいく。
「ほぅ、自信満々だな、由夢さんよ。 それじゃあ、負けた方は罰ゲームをするというのはどうだ?」
「いいですよ、兄さん。どんな罰ゲームにします?」
てっきりこれで由夢が動揺するかと思っていた義之。
しかし、動揺するどころか、逆に冷静さを保ち続ける由夢を見て、 自分の軽はずみな発言に後悔し始めていた。
「そうだな。負けた方は、勝った人の好きな物をなんでも一つ買う、というのはどうだ?」
「ふふ、後悔しても知りませんよ? 兄さん」
「後悔なんてするかよ! なぜなら、俺の勝ちはすでに決まっているんだからな!」
ただの強がりに違いなかった。
実際は、由夢のあまりの冷静さに、すぐにでも自分の意見を訂正したい気持ちで溢れていた。
だが、そんな義之の心の内など関係なく、金魚すくいの屋台の前に二人はやってきてしまった。
「弟くん? 今ならまだやめられるんだよ?」
ずっと二人のことを見ていた音姫が、義之に救いの手をのべる。
しかし、悲しきかな、義之も男なのだ。
一度言い出したことを撤回することは、自分のプライドが許さなかった。
「はは、大丈夫だよ、音姉。俺が由夢に負けるわけがないんだからさ」
「その強がりがいつまで持つか楽しみですね」
義之の必死の強がりも、冷静な由夢には完全に見破られてしまっていた。
だがそれでも、今の義之には、必死に強がることぐらいしか出来なかった。
「よし、それじゃ始めるか」
「ええ、兄さん」
義之の意志とは関係なしに、運命を決める時間が近づいていた。
必要ないとも思ったが、念のため、義之が由夢にルールの確認をする。
「ルールは単純。制限時間三分内に、相手より多くの金魚をすくえれば勝ちだ」
「ふふ、兄さんの哀れな負け顔が目に浮かびますね」
「はは、言ってろ。それじゃ、音姉。悪いけど合図してくれるかな?」
ルールの説明を終えた義之が、音姫に開始の合図をしてくれるよう頼む。
かなり不安な気持ちは隠せなかったが、二人がやる気になっている状況では、 もはや音姫に二人を止めることは不可能となっていた。
「二人とも、いくよ〜! よ〜い……スタート!」
開始のピストルはなかったが、音姫の合図で、二人の金魚すくい対決が開始された。
まずは両者とも、水の中に網を入れ、水の中を泳ぐ金魚に狙いを定める。
「よし、ここだ!」
一匹の金魚に狙いを定めた義之が、ゆっくりと網を持ち上げる。
しかし、金魚をボールに入れる前に、一つ目の網が綺麗に破れてしまった。
「ぐは! 破れちまった!」
「ふふ、残念でしたね、兄さん」
その様子を、隣の由夢が冷静に観察する。
だが、当の義之には、諦める様子は微塵もなかった。
「まだ一回失敗しただけさ! ここからが俺の本領発揮だぜ!」
実際、まだ勝負は始まったばかり。
一度程度の失敗にめげていては勝てはしない。
それを本能で理解している義之は、気を取り直して次の網を受け取る。
「それ!」
次の網を手にし、義之が次の金魚に狙いを定めようとした刹那。
隣の由夢が、プロ顔負けの手つきで、一匹目の金魚をボールに入れた。
「一匹目、取りました」
「くっ! 先を越されたか!」
義之の思惑とは裏腹に、最初の一匹目を取ったのは由夢となった。
この時点で、義之の精神的な余裕は少しずつ消えていっていた。
だが、まだ始まったばかりということで、 すぐに気持ちを切り替えて次の獲物に狙いを定める。
「えい!」
気持ちを切り替えた義之が、次の獲物に狙いを定めようとしたとき。
由夢が、早くも二匹目の金魚をボールへとすくい上げた。
「なっ!? もう二匹目だと!?」
そのあまりの早業に、義之は動揺を隠しきれなかった。
そして、そんな義之をあざ笑うかのように、由夢が義之に語りかける。
「意外と簡単ですね、これ」
「ぐっ……ま、まだたったの二匹だ! たいしたことじゃねーよ!」
「ふふ、負け犬の遠吠えにしか聞こえませんよ、兄さん」
実際、まだたったの二匹なのは間違いない。
しかし、完全に由夢のペースに乗せられた義之に、 もはや冷静な思考など出来ようはずがなかった。
勝負事において、冷静になれない人間に勝利が訪れることなど永劫ないのだ。
「すぐに挽回してやるからな! 待ってろよ、由夢!」
「楽しみにしていますよ、兄さん」
まさに負け犬の遠吠えにしか聞こえない義之の叫びが、 騒がしい周囲の音に溶けて消えていった。
そんな義之の哀れな様子を、冷静さを保ち続ける由夢が静かに見ていた。


「はい、終了で〜す!」
勝負の三分間が終了し、負け犬と勝者の二人だけが戦場に残った。
もちろん、負け犬となったのがどちらかは決まっていた。
「結果は、弟くんが二匹、由夢ちゃんが十五匹でした〜!」
惨敗だった。
ここはもはや、義之が二匹取れただけでも頑張ったと言わざるを得なかった。
しかし、ここまで大差をつけられると、逆に清々しい気分にすらなってくるから不思議なものだ。
「ま、まさかここまで大差をつけられるとは……」
自信喪失といった様子で、義之がガックリと膝をつく。
その様子は、負け犬ムード全開な哀れなものと言って差し支えなかった。
「ふふ、残念でした、兄さん」
そんな義之の様子を、由夢が微笑みながら見下ろしていた。
そして、すでに絶望している義之に、由夢がさらに追い打ちをかける。
「罰ゲームのこと、もちろん忘れてませんよね?」
「うぅ……出来れば忘れていたかった」
絶望から立ち直る隙もなく、義之の心は、由夢に一体どんな物を買わされるのかに移っていた。
今さらながら義之は、罰ゲームなんて言い出さなければよかったと後悔していた。
だが、今さら後悔しても後の祭り。
厳しい現実が、負け犬となった義之に襲いかかっていた。
「何を買ってもらうか考えておきますね。楽しみにしていてくださいね、兄さん」
「……敗者をいたわる心って大事だと思うんだ」
「負け犬が何を言っても無駄なんですよ、兄さん」
「……ええ、そうですよね」
結局のところ、全ては負けた義之の自業自得でしかなかった。
所詮、最弱の兄が最強の妹に勝てるはずがないのだ。
「………………ね」
「ん? 何か言ったか? 由夢」
「いいえ、なんでもありませんよ、兄さん」
「……?」
由夢の意味深なつぶやきは、義之には聞こえていなかった。
だが、そばにいた音姫にだけは、由夢のつぶやきが聞こえていた。
音姫には、『私が勝つことは最初から分かっていたんですけどね』と由夢が言ったように聞こえた。
それを聞いた音姫は、おそらく『見た』んだなぁと一人思った。
もちろん、義之にそのことを伝えたりはしなかったが。
そんなこんなで、由夢と義之の金魚すくい対決は、由夢の勝利で幕を閉じたのだった。


第14話へ続く



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