小さくなった義之
第12話 海 その5



「義之! 競争しようぜ!」
休憩も終わりに近づいた頃。
唐突に渉が、そう義之に提案する。
「は? いきなりなにを言い出すんだ、お前は」
いきなりの渉の提案の意味が分からなかった義之は、渉に発言の意味を聞き返す。
説明が足りなかったと理解した渉は、発言の真意を義之に説明する。
「いや、だからさ。向こうの岩場まで、泳ぎで競争しようぜ?」
そこまで言われて、ようやく義之は渉の意図を理解した。
理解したと同時に、それだけを目的に渉が競争を持ちかけたわけではないと気付く。
「いいけど、どうせ他にも何かあるんだろ?」
「フフフ。よくぞ見抜いた、義之よ」
嫌な予感がした。
渉がこういう風に言うときに、まともなことを考えていた試しがなかった。
次の渉の言葉で、その予感は見事に的中することになる。
「負けた奴は、帰りの荷物持ちを担当する、っていうのはどうだ?」
「やはりそうきたか。だが俺も男だ、受けてやろうじゃないか。 そして、俺に挑戦したことを後悔させてやるよ」
二人の間に、無言のプレッシャーのようなものが感じられた。
やる気満々といった表情で、二人は無言でにらみあう。
だが、そんな二人の間に、二人のやりとりを見ていた音姫と由夢が割って入ってきた。
「ダメだよ、板橋くん。弟くんは子供の姿なんだから、勝てるはずがないじゃない」
「そうですよ、板橋先輩。子供の兄さんに勝っても嬉しくなんてないですよね?」
意外な二人の介入に、さすがの渉も引き下がらないわけにはいかなかった。
これ以上続けても、自分が地獄を見る目にあうしかないということが理解出来たのだろう。
「す、すみませんでした! 音姫先輩、由夢ちゃん!」
憧れの二人にたしなめられた渉は、素直に謝るしかなかった。
実際、子供姿の義之と渉では、おそらく勝負にならなかったであろうと推測できた。
音姫と由夢の介入がなかったら、義之が帰りの荷物持ちになっていたのは確実だと考えられた。
もちろん、渉自身はそこまで深く考えていたわけではなかっただろうが、 音姫と由夢の介入が義之を救ったのは確かであった。
「はは。サンキューな、二人とも」
「他ならぬ弟くんのためだもの。お姉ちゃんとして当然のことをしただけだよ」
「や、私は別に、兄さんが心配だったというわけではないですよ? 勘違いしないでくださいね?」
音姫も由夢も、表面的な言葉こそ違えど、義之を心配しての行動には違いなかった。
義之も、それを十分に理解しているからこそ、あえてそれ以上はなにも言わないことにした。


「そりゃ! 渉、くらえ!」
辺りが暗くなり始めた海に、義之の叫びが響く。
照準を合わせた義之の花火攻撃が渉を襲う。
「うお!」
義之が放った小型のロケット花火は、順調に渉の方へと飛んでいく。
「義之〜! やりやがったな〜!」
「はは、渉なら当たっても問題ないからな!」
辺りもそろそろ夜に近づいた頃、全員の意見で、少し前に提案されていた花火をすることになった。
案の定と言うかなんというか、花火開始後早速、渉と義之の花火対決が始まった。
「このやろ〜! 次はこっちの番だぜ! おりゃ!」
今度は、渉の手から放たれたかんしゃく玉が義之に向かって飛ばされる。
対して義之は、スイカ割りの棒を構えて迎え撃つ。
「甘い! 必殺、スイカ割りバット!」
『パンッ』
義之は、自分に向かってくるかんしゃく玉を、スイカ割りの棒で見事に破裂させた。
そして、渉に向かって高々と宣言する。
「その程度で俺を倒そうなんて100年早いぞ!」
「甘いぞ義之! ここからが本当の勝負だ!」
戦いもヒートアップし、義之と渉が次の花火に火をつけようとしたとき。
しばらく様子を見ていた音姫が、二人の間に割って入った。
「もう、二人とも! 花火は人に向けたらダメなんだよ?」
「いや、音姉、これは遊びみたいなもんで……」
「そ、そうですよ、音姫先輩。これは俺と義之の宿命の」
「『でも』も『だって』もありません! 怪我でもしたらどうするの!」
必死に言い訳をする義之と渉だったが、怒った音姫の前には無駄な努力でしかなかった。
二人が反省しているのかは定かではなかったが、最後に、音姫が二人に最終警告をする。
「もう花火で危険なことをしちゃダメだからね?」
「いや、音姉」
「わかった? 弟くん?」
義之の弁解を、音姫の冷静な圧力が否定する。
一応自分の意見も述べておこうと、義之は、再び自分の意見をアピールする。
「いや、だから」
「わかった? 弟くん?」
義之の弁解を、音姫の冷静な圧力が否定する。
一応自分の意見も述べておこうと、義之は、再び自分の意見をアピールする。
「いや」
「わかった? 弟くん?」
義之の弁解を、音姫の冷静な圧力が否定する。
無限ループ。
義之は、以前にもこんな理不尽な展開があったようなデジャヴを感じていた。
そして、このあとの展開もなんとなく想像がついてしまった。
「……」
「……」
無言でにらみあう義之と音姫。
その光景は、さながらハブとマングースの睨みあいのように見えた。
「……」
「……」
十数秒にらみあっていた二人だったが、おもむろに音姫が義之に向かって発言する。
自分の意見を必死にアピールする義之を納得させる一言を。
「危ないことはダメだよ? 弟くん?」
「……はい」
完敗だった。
所詮、自分のようなチッポケな存在では、最強の姉には勝てないのだと義之は改めて実感した。
「さて、それじゃ、花火の続きをしましょう」
「お〜!」
心残りを残した義之以外の全員の声が重なった。
そして、何事もなかったかのように花火は再開されるのだった。


「それ! 飛んでけ!」
義之が上空に向かって打ち上げたロケット花火が、綺麗な軌跡で上空へと上がっていく。
数秒後、上空へと到達した花火は、綺麗な光を出しながら破裂した。
「うん、花火といったらまずはこれをやらないとな」
花火の定番であるロケット花火を飛ばした義之が、満足そうにそう口にした。
義之のロケット花火に続いて、各々がやりたい花火の準備をする。
「そ〜れ!」
ななかの手から放たれた発破花火が、連続した音をたてて破裂していく。
多数の爆竹が連続して破裂する様子を見ていると、 なんとなく懐かしい気持ちがこみ上げてくるような気がした。
「爆竹とは懐かしいねぇ。昔よく弟くんがこれで遊んでたっけ」
「ええ、あの頃から兄さんはそういうのが好きでしたからね」
「二人とも、爆竹の素晴らしさを知らないのか?  あれの素晴らしさを語るには、原稿用紙5枚でも足りるかどうか分からんぜ?」
実際に原稿用紙5枚も書けるはずはなかったが、 それぐらい好きだということは音姫と由夢にも伝わったようだ。
もっとも、実際にそれぐらいの量なら書いてしまいそうだと思えるのが、 義之が義之たるゆえんであろう。
「あはは、弟くんなら本当にそれぐらい書いちゃいそうだね」
「無駄なことにエネルギーを使うのが兄さんですからね」
実際、義之が真価を発揮するのは、周りから見れば無駄にしか思えないようなことであることが多い。
そんなとき、本人と周りとの間に凄まじいギャップがあることに義之は気付いていない。
「おいおい、それじゃ俺が無駄なことにしかエネルギーを使ってないみたいじゃないか」
「違うんですか? 兄さん」
「バーカ! 俺ほど効率的に生きている人間も珍しいんだぞ?」
どの口がそんなことを言うんだ、というナレーションが聞こえてきそうな気がした。
義之にしてみれば、半分冗談半分本気といったところだとは思うのだが。
「はいはい、そういうことにしておいてあげますよ」
「あ、その顔は信じてねーな?」
「いえいえ、ちゃんと信じていますよ」
そんな二人の微笑ましいやりとりに、自然と笑顔が溢れてくるように感じられた。
おそらく、本人達でさえ、そんなやりとりを楽しんでいるのだろう。
「見てろよ? いつかお前のその考えを変えさせてやるからな!」
「楽しみにしていますよ、兄さん」
義之の決意を前に、由夢のスルースキルレベル10が発動した。
所詮、最弱の弟である義之が最強の妹である由夢を言葉で打ち負かすことなど不可能なのだ。
「義之くん、隙あり!」
「おわ!?」
由夢と夫婦漫才を繰り広げていた義之の足下に、不意打ちの煙花火が数個投げられた。
それぞれ色の違う煙を出し続けるその花火は、義之を驚かせるには十分な効果を生じさせた。
「ななか〜! やったな〜!」
「あはは、油断してる義之くんが悪いんだよ〜!」
どうやら、このメンバーでの花火中にのんびり会話をしている余裕はないようだ。
当然と言えば当然だろう。
悪戯好きなメンバーが揃ったこの面々が、ゆっくり夫婦漫才をすることを許してくれるはずがない。
「次はこれをいくわよ」
「おお、ナイアガラだねぇ」
各々が、自分の好きな様々な花火で盛り上がる。
そんななか、おもむろに杏が、 上方に向かって滝のような炎を上げるナイアガラ花火を地面へと設置する。
「みんな、危ないからちょっと離れて〜」
小恋の注意により、各々ナイアガラが置かれた場所から距離を取る。
全員が離れたのを確認して、杏が太めの導火線に火をつける。
「3、2、1……それ!」
導火線に火をつけ、カウントダウンが終わると、 ナイアガラの綺麗な火柱が上空へ向かって放出される。
金色の火柱が放出されるその幻想的な光景からは、 花火で遊ぶ者にしか分からない不思議な魅力が感じられた。
「はぁ〜、綺麗だねぇ」
「ええ、これこそ花火の醍醐味ですよね」
「うん、つい見とれちゃうなぁ」
「やっぱり、花火といったらこれをやらないとね」
「さらにでかい花火があるともっといいんだけどな」
「これ以上のサイズはさすがに無理だもんねぇ」
「必要とあらば、俺が打ち上げ花火クラスの巨大花火を持ってきてやるぞ?」
「杉並に任せたらとんでもないことになりそうだなぁ」
その綺麗さに魅了される者、もっと面白い花火はないか思案する者、 このあとの展開を思考する者、等々。
各々が、綺麗なナイアガラの火柱を見ながら、様々な思いにふける。
長いような短いような時間、それぞれがナイアガラを見つめていたが、 やがて花火は勢いをなくし、静かにその火柱は消えていった。
「終わっちゃったねぇ」
「うん、ちょっと寂しい気がするね」
勢いよく燃えさかっていた花火が終わり、メンバーの間に寂しさが広がっていく。
だが、何事にも終わりはある。
終わりがあるからこそ楽しいのだ。
そんなことを思ったのかは定かではなかったが、音姫が次の花火の提案をする。
「これでほとんどの花火が終わっちゃったね。あとは線香花火が残ってるけど、どうする?」
「それでは、皆さんで一緒にやりませんか?」
「賛成〜! 花火の最後といったら線香花火だよねぇ」
「決まりね。それじゃ、一人一本取ってちょうだい」
線香花火の本数的に、おそらく一人一本やって終わりになるだろう。
各々が、小さな線香花火を杏から受け取る。
「それじゃ、一気に火をつけよ〜! そ〜れ!」
ななかの合図で、全員がほぼ同時に、持っていた線香花火に火をつける。
静かに燃える炎を見ながら、それぞれが今日の海での出来事を振り返っていた。
そんな回想など知らぬ存ぜぬといった様子で、 ゆっくりとかつ静かに、小さな炎が燃え尽きていく。
長いようで短い時間燃え続けたのち、全員の線香花火の火が静かに消滅した。
「終わっちゃったねぇ」
「ちょっと残念だけど、楽しかったね〜」
「うん、夏といえば花火っていうのを実感した気がするね」
「久しぶりに花火なんてしましたけど、楽しかったですね」
「改めて花火の楽しさを思い知ったって感じだな」
各々が、久しぶりの花火についての感想やら何やらを述べていく。
大勢でする花火の楽しさを改めて実感した一同は、十分に満足したような表情を見せていた。
「さて、それじゃ、そろそろ帰る準備をしましょうか」
日も沈み、楽しかった海水浴も終わりの時間を迎えようとしていた。
名残惜しい気はしたが、いつまでも海にいるわけにはいかない。
一同を代表した音姫の発言を合図にして、各々が帰るための準備をし始めた。


テント回収やパラソル回収などの力仕事は男性陣が、 花火の後片付けなどの仕事は女性陣が担当して片付けを進めていく。
軽く会話をしながら片付けをしていると、気付いたときには片付けは終わっていた。
「さて、忘れ物はないかしら?」
「大丈夫じゃないかな?」
「あ、音姉。忘れ物が」
「ええ? もう、一体なにを忘れたの?」
義之が忘れ物をしたと聞いて、真面目に対応する音姫。
しかし、次の義之の発言を聞いた瞬間、 真面目に対応したことが間違いだったと気付かされることになる。
「浜辺に忘れてきちまったんだ。俺の……音姉への恋心を」
「ええ!?」
義之の予想外の発言に、音姫、由夢、小恋の三人が反応する。
なぜ小恋まで反応したのかは定かではなかったが、 遊園地の時とは違い、音姫の反応は義之の予想とは大きく異なっていた。
遊園地での教訓を生かし、義之のペースに乗せられないようにしていたのかもしれない。
「もう、弟くん! 悪ふざけはダメだよ?」
「はは、バレた?」
「バレた? じゃありません! お姉ちゃんをからかっちゃいけません!」
「ごめんごめん。弟のお茶目な悪戯ってことで一つ」
「全くもう、弟くんはしょうがないなぁ」
言葉では色々と言ってはいるものの、音姫は終始笑顔を保っていた。
その表情からは、怒りなどの感情は全く見られない。
こんなやりとりもまた、音姫には楽しく感じられるのだ。
「はいはい、ごちそうさま」
「義之くんと音姫先輩、ラブラブだねぇ」
「チクショー! なんで義之ばっかり!」
「仕方ないよ、渉くん。音姫先輩、魅力的だもん」
「ふむ。桜内にはぜひとも一度、俺の解剖室に来てもらいたいところだな」
「仲がいいのはよろしいですが、場所をわきまえてくださいね、兄さん」
各々が、義之と音姫の夫婦漫才に対する感想やら何やらを述べていく。
自分達がネタにされているというのに、義之も音姫も、不思議と嫌な感じはしなかった。
それは一意に、友人達の人柄を知っているからに他ならないのだろう。
「はは、俺と音姉に限って、そんなことあるわけないって。なぁ、音姉?」
「そうだよ。私と弟くんは姉弟なんだから」
今はまだ、姉と弟という関係でしかない二人。
そんな二人が恋人になるようなことがあるかどうかはまだ分からないが、 今のところは、こんな関係も悪くはないなと二人は思った。
「さて、帰ろうか。音姉」
「うん、弟くん」
心の底からの微笑ましい笑顔で、二人は友人達と合流する。
仲良く歩く二人は、周りからは恋人のように見えるかもしれない。
今の二人には、そのことを気にすることはできなかったが、 二人の仲の良さが本物だということだけは、誰の目から見ても明らかな事実に違いなかった。
仲良きことは麗しきことかな。
そんな言葉が二人の脳裏に浮かんだわけではなかったが、 二人の仲の良さが変わることは未来永劫ないのだろうと想像することができた。


第13話へ続く



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