小さくなった義之
第1話 始まり



自分の部屋で座る義之の前に、怪しい色をした液体が入った薬瓶が置かれている。
『とても素敵な体験ができる秘薬』
という説明を受けて、商店街で偶然手に入れたものだ。
いや、偶然というのは適切ではない。
正確には、商店街を歩いていたときに声をかけてきた少女に渡されたのだ。
「とても素敵な体験っていってもなぁ」
正直なところ、義之の心中は半信半疑なことに違いはない。
実際にどんなことが起こるのかと思うと、怖くてなかなか飲む気にはなれなかった。
そんな葛藤を続けて薬瓶をにらみ続けて、すでにかなりの時間が経過していた。
「あの女の子を信じるべきか否か……そこが問題だ」
この薬瓶をくれた少女は、とても悪い人間には見えなかった。
もちろん、精神の黒い部分を隠して接してきたという可能性も否定はできない。
だが、純粋そうな少女が、そんな腹黒いことをしているとは思いたくなかった。
「さて、どうしたもんかね」
いくら悩み続けても、思考が堂々巡りをするだけで、飲むか飲まないかを決めることができない。
飲んでみたいという欲求と、飲むのが怖いという恐怖感の両方が義之の心を揺らしていた。
「飲んで……みようかな」
さらにしばらく思考したのち、義之の心が、飲んでみたいという欲求に支配されていく。
「よし……一気にいくぞ。んっ!」
意を決した義之は、怪しい液体を一気に飲み干した。
不思議な色をした液体は、味の方も不思議な味をしていた。
「……? 特に変化がないような」
義之の言葉通り、義之に特にこれといった変化は見られなかった。
かなりの決意をして飲んだにも関わらずたいした変化がなかったので、義之は拍子抜けしてしまっていた。
「なんだ、やっぱりただの悪戯だったのか?」
安心したような残念なような奇妙な感覚だったが、なにか酷い事態が起こらなかったことだけには安堵していた。
「ちょっと眠くなってきたな。少し眠ろうかな……」
緊張したからなのか、眠くなってきた義之はベッドでしばらく眠ることにした。
「ふわあ……オヤスミ……」
眠気の原因は定かではなかったが、細かいことを気にしない義之は、静かに目を閉じ眠りについた。


「弟く〜ん? ご飯出来たから、降りてきて〜」
まだ完全に覚醒しきっていない義之の耳に、義之を呼ぶ音姫の声が聞こえてくる。
ご飯ができたと言っていることから、音姫は一階から義之を呼んでいるらしかった。
「……ん。音姉の声がする」
音姫の声で、眠りから覚めたばかりの義之の脳が少しずつ覚醒していく。
「弟く〜ん? 聞こえてる〜?」
「うーん……音姉が呼んでいる……」
だが、少し前まで熟睡していた義之は、音姫の声を正確に認識できずにいた。
「もう、弟くんってば! 仕方がないなぁ」
いつまで経っても反応しない義之に痺れをきらしたのか、音姫が、階段を上り義之の部屋へと近づいていく。
「弟くん! 開けるよ?」
まもなく義之の部屋の前まで来た音姫は、どうせ寝ているのだろうと思い、 義之の返事を待たずに部屋の扉を開けた。
だが、扉を開けた次の瞬間、音姫は、自分の想像を超えた状況に出くわすことになる。
「もう! 弟くんってば! ご飯が出来たから降りてきてって……言っ……て……」
勢いよく扉を開けた音姫は、目に飛び込んできた異様な光景に絶句した。
「う〜ん……音姉……あと五分……」
「お、弟くんが……ちっちゃくなっちゃってる!?」
そう、扉を開けた音姫の目の前には、 どこか見覚えのある小さな子供が、義之のベッドで眠っている光景広がっていた。
しかし、音姫は、その子供の顔には見覚えがある気がした。
当然だろう。
姿は子供になってしまったとはいえ、その子供は、音姫が一番よく知っている少年なのだから。
「あ、音姉……おはよう」
「お、おと、弟くんが……」
冷静に寝起きの挨拶をする義之だったが、音姫の方は全く冷静ではなかった。
いつものように義之の部屋に入ったら、どこか見覚えのある顔の子供が寝ていたのだ。
冷静でいろという方が無理な話だろう。
「えっと、弟くん……だよね?」
「うん、そうに決まってるじゃないか。寝ぼけてるのか? 音姉」
状況を全く理解していない義之が、同じく状況を全く理解できていない音姫の質問に答える。
普段ならば、音姫の勘違いかなにかで済んだのだろうが、今だけは状況が違った。
目の前の義之は子供になっており、その理由は全く分からない。
音姫でなくても混乱するというものだ。
「弟くん……鏡、見てもらってもいい?」
「鏡? 別にいいけど、なんで?」
「と、とにかく鏡を見て!」
「は、はい」
いつもとは全く違う音姫の迫力に、義之は大人しく自分の姿を鏡で見る。
そこでようやく、義之にも、自分の現在の状況が理解できた。
「……あれ? こいつ、一体誰?」
鏡には、見覚えのない子供の姿が映っている。
いや、見覚えがないというのは正しくない。
実際は、鏡に映る子供を自分だと認めたくないだけなのだ。
「……え? ま、まさか、これが俺!?」
認めたくはなくとも、実際の自分の姿を見てしまったあとでは、嫌でも認めるしかなかった。
そしてようやく、音姫がなぜ柄にもなく驚いていたのかを理解した。
理解したと同時に、自分の中の驚きという感情が一気にわき上がってきた。
「え……ええ〜!?」
驚きがピークに達した義之の叫びが、部屋の外まで聞こえるほどにこだました。


子供の義之と音姫が邂逅してからしばらくして、音姫、由夢、義之の三人は居間に集まっていた。
「……で、一体なぜこんなことになったんです?」
居間でくつろいでいた由夢が、義之が子供になっていたという事実の説明を求める。
しかし、義之自身にも原因が分からなかったので、どうにも説明のしようがなかった。
「いや、それが俺にもわかんなくてさ」
「私にもなにが起きたのかサッパリ」
原因が全く分からないのだから、説明もなにもあったものではない。
自分にも分からない、と言うしか説明のしようがなかった。
当然だろう。
気がついたら義之が子供になっていましたなんて、夢ならばどれだけ良かったかと思える事実である。
「とりあえず、これからどうするのかを考えよう」
場をこれ以上混乱させないために、義之がそう提案する。
音姫と由夢も義之の真意を読み取ったのか、特に反論などはしなかった。
「うん、そうだね。これ以上混乱してても仕方がないもんね」
「でも、一体なにをどうすればいいのかな?」
場の全ての人間の気持ちを代弁したかのようなセリフを由夢が口にする。
実際、これからどうするべきなのかという具体案は全く浮かんではこなかった。
「うーん……考えることがありすぎてあれだなぁ」
義之の言葉通り、なぜ小さくなったのか、どうやったら元に戻れるのか、 これからどうするべきなのか、など、考えることはいくらでもある。
だが、今すぐにその全てに答えを出すのは、色々な意味で不可能だと言えた。
「とりあえず、これからどうするかを考えていかないとだよなぁ」
「うん、そうだね。幸い今は夏休みだから、学校にはいかなくても大丈夫だからね」
現在風見学園は夏休み中なので、当然授業などはない。
先の全く見えない状況ではあったが、その点だけは、今のこの状況の利点だと言えた。
「そこは不幸中の幸いって奴だな。逆に、夏休み中にどうにかしないとヤバイかもしれないな」
実際、夏休みが終わるまでにこの状況を解決しなければ、義之は学校に行くことさえできないだろう。
かと言って、元に戻るまでずっと学校を休み続けるわけにもいかない。
もし今の状況で学校が始まってしまったら、さらに状況が悪くなるであろうことは容易に想像できた。
「そうだね。夏休み中には解決しないといけないかもね」
色々な意味で、タイムリミットは夏休み終了までが限界だと判断された。
三人とも、それを前提に話を進めることに決めた。
「でも、一体どうやって?」
そう、いくら状況を冷静に分析しようとも、結局最後はその結論に行き着いてしまうのだ。
こればかりは、すぐに結論が出るというものではないのが辛いところだ。
「うーん、問題はそこなんだよなぁ」
実際のところ、なにをどうすれば義之が元に戻るかは誰にも分からなかった。
今これ以上考えても、具体的な対応策は見つかりそうにない。
「とりあえず、地道に方法を探していきましょう」
「うん。そんなに時間があるわけじゃないけど、それしか方法はないだろうな」
「そうですね。兄さんがこんなじゃ私達も困りますし」
今現在できることは限られているが、話し合いの結果、地道に情報を探していくという方向で三人の意見は固まった。
情報はないに等しいという絶望的な状況だったが、なにもしなければ事態は進展しないのだ。
ここに、音姫・由夢・義之の三人による、義之を元に戻す方法を探すための日々が始まった。


第2話へ続く



もどりますか?