植物人間
第9話 命の剣



どこまでも続く暗闇の中、白く光る家の前に、1人の少年が立っている。
銀色の髪を持ち、目を合わせた者を恐怖させてしまいそうなほど冷たい目をした少年、銀海璃怨である。
「この中に、輝鏡が」
璃怨の中に、今まで全く感じたことのなかった罪悪感やためらいの感情が生まれ始めていた。
「……何をためらっている? たかだか、小娘2人を消すぐらいで」
璃怨自身、自分の中に生まれ始めた、今までにない感覚に戸惑いを感じていた。
「だが、この言いようのない不安感はなんだ?」
今まで、どんなに残酷なことであろうと、涙一つ見せずに冷酷にやり遂げてきた璃怨には、自分の中にうごめく未知の感覚の正体を理解することは出来なかった。
(……だが、そんなことはどうでもいいことだ。所詮私も、奴の操り人形でしかないのだからな)





「輝鏡さん、誰か……来たようだよ?」
璃怨が家の前で言いようのない感覚に戸惑いを感じていたちょうどそのとき、生まれ持った勘の鋭さ(警戒心の強さ)によって、千影が、家の外に誰か(璃怨)が来たことに気付いた。
「まさか……この世界に、私とシャドウと千影さん以外の生物がいるはずは」
心底信じられない、と言った表情で輝鏡は、外から中が見えないようになっている特殊な窓から、暗き闇に包まれた世界を覗き見る。
「……」
輝鏡は、窓の外を覗いた途端、凍りついたように固まってしまった。
「輝鏡さん? 一体、誰が来たんだい?」
輝鏡の変貌振りを不審に思った千影が、輝鏡の横に立ち、輝鏡と同じように暗き世界を覗き見る。
「ずいぶんと、不思議なことも……あるものだね。シャドウとやらが生み出した……魔物の類なら分かるけど、普通の人間の少年が……訪れてくるとはね」
言葉とは裏腹に、あまり驚いていないように見える。
逆に、怒っているように見えなくもない。
……いや、ほぼ間違いなく、怒っているのだろう。
「輝鏡さん。この世界には、私と輝鏡さんとシャドウ以外の生物は……いないはずではなかったのかい?」
千影が怒っている理由はもちろん、自分と千影とシャドウ以外の生物はいないと言った輝鏡に対してのものである。
「……」
千影が話し掛けてきても、輝鏡は全く反応しない。
まるで、死人のように固まってしまったままである。
「輝鏡さん、聞いているのかい?」
輝鏡の態度に腹を立てた千影が、輝鏡の肩を掴もうとする。
その瞬間、完全な沈黙を続けていた輝鏡は、自分に向かって伸びてくる千影の腕をするりと交わして、「璃怨!」と叫びながら階段を下りて行ってしまった。
「璃怨? 何者だい、輝鏡さん?」
『璃怨』という聞いたことのない名前が輝鏡の口から発せられたことに驚きを隠せない千影。
ほんの数秒考え込んだ千影だったが、1人でいても疑問は解決しないと判断したのか、輝鏡の後を追って階段を下りて行った。





「さて、そろそろ襲撃を開始するか」
静かにそう言って、家の壁を破壊しようとしていた璃怨の目の前に、勢いよく扉を開けて家から出てきた輝鏡が現れる。
「璃怨!」
輝鏡は、普段の物静かな様子からは想像もできないほど、取り乱している。
「輝鏡さん!」
数刻遅れて、千影も家から出てくる。
「2人揃って出て来てくれるとはな。手間が省けてちょうどいい」
全く動揺を見せることなく、無機質にそう言う璃怨。
今の璃怨に、先程までのためらいや不安感と言った感情はない。
あるのは、2人を消すという目的を終わらせようとする意思だけである。
「輝鏡さん、彼は一体……何者だい?」
千影の言葉で輝鏡は、我に返ったように、璃怨についての説明を始める。
「彼は、銀海璃怨。以前言った2人のうちの1人です」
「彼が? とても、そんなふうには……見えないけど?」
璃怨は、どこからどう見ても、極普通の高校生程度の少年である。
そんな璃怨を見て、千影がそう言うのも無理はない。
「見かけで判断してはいけません。現に私だって、外見は千影さんより幼いですが、千影さんよりは強いです」
「そのとうりだね。私としたことが……軽率だったよ」
輝鏡の言ったことは、すべて事実だった。
魔力、知力、体力、すべての面において、輝鏡は千影に勝(まさ)っている。
その事実こそが、外見だけで判断してはいけないことを物語っている。
「ゆっくりお話とはいい度胸だ! 我が『冥負剣』によって消え去るがいい!」
いつのまにか、手に剣のような物を持っていた璃怨が、話に夢中になっていた輝鏡に向かって、周りの闇に溶け込んでしまいそうなほどの黒で染められた『冥負剣』を振りおろす。
「雷光弾!」
千影の叫びによって、白と紫が混ざったような光と電撃を帯びた球体らしき物が、璃怨に向かって飛んでいく。
不意をつかれた璃怨は、かなりの速さで向かってくる球体を避けることが出来ず、感電したときに生じる独特の濁音と共に、球体は璃怨の体に直撃した。
「私の存在を……忘れてもらっては困るよ」
「……不意打ちには多少驚いたが、たいしたことのない攻撃だな」
千影の不意打ちも、璃怨には全く聞いていない。
「……無傷?」
ほぼ全力で打った雷だったにも関わらず、かすり傷1つ付いていない璃怨を見た千影は、今までで一番の屈辱と絶望を味わっていた。
「……次は、こちらから行くぞ」
鋭い目つきで千影を睨みつけながら、冥負剣を構える璃怨。


この瞬間千影は、自分の死を覚悟した。





暗黒の迷宮の千影が、自分の死を覚悟したちょうどそのとき、現実の千影が、もう1人の千影の危機を察知した。
「兄くん」
読んでいた分厚い本をパタッと閉じながら、蛍の名を呼ぶ千影。
どことなく、焦っているように見える。
「どうした、千影?」
「もう1人の私が危ない」
「え……」
千影の言葉とほぼ同時に、立ちながら本を読んでいた蛍の手の中にあった本が、ドサッという音を立てて床に落ちた。
「どういうことだ? 千影?」
「時間がないから……簡潔に言うよ。暗黒の迷宮にいるもう1人の私が……銀海璃怨という銀髪の少年によって、消されようとしている。だから、もう1度暗黒の迷宮の中に行って……もう1人の私を守って欲しい」
一刻の猶予も許さない状況なため、本当に大事なことだけを簡潔に蛍に伝える千影。
「それなら、千影が自分で言ったほうがいいんじゃないのか? 自分で言うのもなんだけど、千影の方が、俺より数倍は強いんだし」
蛍の言葉どうり、蛍と千影の戦闘能力を比べると、大人と子供以上の差があると言っても過言ではない。
「私はあくまで……千影の移し身だからね。精神だけの世界へ行くことは……出来ないんだよ」
無理だったから良かったものの、千影が2人いるところを想像すると、それはそれで怖いものがある。
「もう質問はないかい?」
「いや、まだ1つだけ。こんな所で、俺の精神を暗黒の迷宮の中に送り込むことはできるのか?」
兄と千影がいる場所は、いつもの図書館である。
当然、実験道具やオカルトグッズなどはここにはない。
そんな状況で、どうやって暗黒の迷宮へと精神を送り込むのか、蛍でなくとも、疑問に思うことだろう。
「方法は私が記憶しているし……何かあったときのために、精神操作の術に必要な物は……常に持ち歩いているからね。その点は、心配ないよ」
さすがは千影、と言ったところだろうか。
全くと言っていいほど、抜け目がない。
さすがの蛍も、こういう状況では、千影の用意周到さに、ただ感心するしかなかった。
「それじゃあ、時間もないからね。急いで準備をするから……少しだけ待っていてくれ」
少しだけ早口でそう言って、床に大きな魔方陣のようなものを書き始める千影。
千影が作業をしている間、2人の間に会話はなかった。


やがて、魔方陣が完成すると、魔方陣4隅に、四角く透き通る水晶のような物が置かれた。
「さあ、完成したよ……兄くん。魔方陣の中央に……立ってくれ」
千影に言われたとうり、蛍は、魔方陣の中央だと思われる場所に立つ。
その顔は、心なしか、不安に満ち溢れている。
「こうか? 千影?」
「ああ、しばらくそのままでいてくれ」
不安で少しだけ足が震えている蛍に向かってそう言うと、千影は、妖しげな呪文のような物を唱え始める。


数秒後、千影の解読不明な呪文(少なくとも、蛍が知っている言語ではない)の詠唱が終わると、魔方陣から、黄緑色をした光が溢れ出し、蛍を包み込む。
「なんだ、この光?」
「慌てないでいいよ、兄くん。その光は……生物の体と精神を分離させ、目的の場所へと精神を送ってくれる……分離の光。肉体的にも精神的にも……害はないよ」
千影の言葉どうり、黄緑色に輝く光は、蛍を優しく包み込んでいる。
「兄くん、がんばってくれ。私は、兄くんが行った間も……シャドウについて調べているから」
「ああ、ありがとう。行ってくるよ」
「……気をつけて」
蛍は、無言でこくりと頷いた。
蛍が頷いたのとほぼ同時に、蛍を包み込んでいた光が輝きを失い、ドサッという音と共に、蛍の体は床に崩れ落ちた。
千影は、倒れたままの蛍をゆっくりと椅子に座らせると、再び本を開き、シャドウについて調べ始めた。


不安がないといえば、嘘になる。
自分が消えてしまうかもしれない状況で、全く恐怖を抱かない人間はいないだろう。
蛍とて、それは同じだった。
しかし、そんな思いよりも、『千影を助けたい』と思う気持ちの方が強かった。
重要なのは、その事実だけである。





「……この前来たときと全く変わってないな、この世界も」
暗黒の迷宮内に戻ってきた蛍の目に入ったのは、相変わらずどこまでも続く暗闇だった。
「……と言いたいところだけど、1つだけ、この前と違う物があるな。あれが、千影の言っていた家か」
蛍の前方数メートル先には、暗闇の中、ひときわ白く光る家のような建物がそびえ立っており、その近くで、3人の人間(なのかどうかは、微妙なところだが)が、睨みあうように立っている。
互いに、相手を最大限に警戒しているらしく、3人ともまだ、蛍の姿には気付いていない。
「あれは、千影と輝鏡? それに、銀髪ってことは、あいつが璃怨とかいう奴か?」
どうやら、現実の千影が、蛍が3人の前に移動するように調整をしたらしい。
もちろん、ただの偶然かもしれないのだが。
「千影!」
やがて、覚悟を決めた蛍が、大声で千影の名を呼ぶ。
「兄くん、よく来てくれたね」
「蛍さん!? なぜ、またここに来たのですか!?」
すべての事情を知っているため、いたって冷静な千影。
何も知らないため、子供のように驚く輝鏡。
この2人が、これほど対照的な反応を見せるのも、珍しいことだろう。
「何者だ、貴様?」
蛍のことを全く知らない璃怨が、蛍に問い掛ける。
「答える義理はない」
「そうか。ならば、邪魔者はとっとと消えろ」
璃怨が冥負剣を振りぬくと、空気を切り裂くような音が響き渡る。
蛍は、瞬間的に後ろに飛び退き、かろうじて璃怨の攻撃をかわした。
「ほう、私の攻撃をかわしたか。人間にしては上出来だ。……もっとも、私も一応、人間だがな」
また、輝鏡と千影を無視している璃怨。
いや、無視しているというよりは、忘れているだけなのかもしれない。
どちらにしろ、璃怨のそういう行動が、千影の怒りを増幅していることだけは確かだった。
「呪光剣!」
千影は、白く輝く剣を具現化させ、璃怨に斬りかかる。
璃怨の冥負剣が『すべてを飲み込む闇』ならば、千影の呪光剣は『すべてを開放する光』と言ったところだろうか。

金属と金属がぶつかりあうときに生じる独特の激しい金属音が、静寂を保ち続ける闇の世界に響き渡る。
「また不意打ちとは、ずいぶんと威勢のいい女だな。もっとも、そうでなくては、戦闘で生き残ることは出来ないがな」
2度目の千影の不意打ちにも全く動じることなく、淡々と話す璃怨。
その冷静さはもはや、人間のレベルを超えているといっても過言ではないだろう。
「のんきに話し込んでるんじゃねえよ!」
璃怨の態度にいらだった蛍が、璃怨に向かってまわしげりを放つ。
「なんとも遅い蹴りだ。そんなもの、目を閉じたままでも避けられる。……それに、凶器を持った相手に素手で向かってくるというのは、自ら命を捨てているものだと知れ!」
そう言って、人間とは思えぬ速さで、蛍に向かって冥負剣を振り下ろす。
しかし、白い光をあげて輝く千影の呪光剣によって、蛍を切り抜くのを阻止される。
「私を忘れてもらっては困ると……言ったはずだよ」
「……貴様ら」
さすがの璃怨も、幾度となく自分の攻撃を邪魔されて、いらだち始めていた。
やはり、3人(と言っても、輝鏡は、放心状態のまま何もせずに立っているだけだが)を同時に相手にするのは、いささか辛いらしい。
「ならば、まずは大人しい奴から消してやろう!」
蛍と千影にそう言い放つと、半ば放心状態の輝鏡に攻撃の標準を合わせる。
戦闘において、弱い者、攻撃の意思のないも者を狙うのは、常套手段である。
そう言う意味では、璃怨の行動に間違いはない。
この場合の『攻撃の意思のない者』が、輝鏡だったと言うだけの話である。
「兄くん! 輝鏡さんを守るんだ!」
蛍にそう叫びかけると、全力で輝鏡の下に走る。
蛍も、「分かった」と返事をして、輝鏡の元へと走り出す。
しかし、璃怨の常人離れした身体能力に千影と蛍がかなうはずがなく、あっという間に輝鏡の前まで移動した璃怨は、「……これで1人」と呟いて、冥負剣で輝鏡を斬り抜いた。

鈍い音と共に、輝鏡の体から真っ赤な鮮血が飛び散り、輝鏡の華奢な体は、ゆっくりと地面に崩れ落ちた。
「輝鏡!」
「輝鏡さん!」
同時に輝鏡の名前を叫ぶ蛍と千影。璃怨は、全く表情を変えていない。
すでに、こんなことには慣れきってしまっているのだろう。
「……璃怨! キミは許さないよ!」
怒りで我を忘れて璃怨に向かっていく千影。
璃怨は、それを狙っていたかのように、にやりと口元に笑みを浮かべながら、
「判断力を鈍らす『怒り』という感情は、私には不要だ」
と言って、千影の攻撃を軽々とかわす。
「これで終わりだ」
ゆっくりと冥負剣を振り上げ、無防備な状態の千影に向かって、すばやく振り下ろす。
「……なんだと?」
璃怨の冥負剣で斬られたのは、千影ではなく、千影をかばった蛍だった。
「兄くん!?」
千影は驚きのあまり、手に持っていた呪光剣を地面に落としてしまう。
「……取り乱すなんて、千影らしくないな。……だが、俺もただでは死なない!」
璃怨は、命がけで千影を守った蛍を見て、迷ってしまった。
そのせいで、普段なら目をつぶってでも避けられるような蛍の攻撃を避けることが出来なかった。
「……冥土の土産だ! 俺が千影に教わった唯一の魔術、『命の剣』で道連れにしてやる!」
そう叫んだ兄の手から現れた、眩いばかりの金色の光をあげて輝く剣が、鈍い音と共に、璃怨の心臓を貫いた。
「……ぐっ……私としたことが……油断……した……」
心臓を貫かれた璃怨は、その言葉を最後に、大量の血を流しながら地面に倒れこんだ。
おそらく、すでに絶命しているだろう。
「……千影……俺、千影のこと……守れたのかな……?」
弱々しく消え入りそうな声で言ったその言葉を最後に、蛍の体は地面へと倒れこんだ。
「……兄くん? ……兄くん!? ……兄くん!!」

続く



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