植物人間
第6話 闇



「輝鏡さん、ここは……?」
暗闇の中、千影と輝鏡の目の前には、1つの家のような建物が建っている。
その建物からは微量の白い光のような物が溢れ出ている。
「この建物は、この世界で唯一シャドウが近づくことの出来ない、聖域のような物です」
いつシャドウが襲ってきてもおかしくないこの状況にも関わらず、 輝鏡からは、あせりや恐怖などは全く感じられない。
「シャドウが近づけない? どういうことだい?」
「この建物には、シャドウだけを寄せ付けない、特殊な結界のような物が張ってあるんです」
さきほどまで、千影以上に冷静だった輝鏡が、目の前にある家のような 建物の説明を始めた途端、わずかに動揺をし始める。
もちろん、それは普通の人間には見分けがつかないほど微妙なものなのだが、千影がそれを見逃すはずはなかった。
「この家のような建物に……何かあるのかい?」
いきなり、核心を突いた質問をする千影。
「……いきなり、くるんですね」
あまり驚いていない輝鏡。
まるで、千影がこの質問をすることが予め分かっていたかのようである。
「まわりくどいのは……苦手なんだ」
昔から千影は、物事をできるだけ完結に済ませようとする癖がある。
その癖は、未だに治っていない。
そのため、初対面の人に『無表情』とか『あまりしゃべらない』という印象を与えてしまうことが多い。
「この建物は、家……だった建物です」
急に泣きそうな表情になる輝鏡。
「悲しい過去……なんだね。無理に話さなくてもいいよ?」
輝鏡の悲しい表情を見て、千影は自分の過去を思い出していた。
禁断の過ちを犯してしまった、前世の記憶を。
「確かに、できれば、思い出したくない記憶ですが……話さなくても、いずれは分かることですから」
「それじゃあ、この家について……教えてもらえるかな?」
「はい。あれは今から数年前……その日、私は父と一緒に兄の家に向かっていました」




「お父さん! 早く行きましょう!」
輝鏡と輝鏡の父らしき人物が、巨大なビルの立ち並ぶ街路を2人並んで歩いている。
父らしき人物の年齢は、大体25〜30代前後だろうか。
「こらこら輝鏡。そんなにはしゃぐと他の人の迷惑だし、何より危ないぞ?」
「大丈夫! 私、先にお兄ちゃんの家に行ってるからね!」
そう言うと輝鏡は、父をその場に残したまま、走って人ごみの中に埋もれていった。
「輝鏡!? 待ちなさい!」
しかし、その声はすでに輝鏡には聞こえていない。
父は、急いで輝鏡の後を追って走っていった。


「全く……お父さんは心配性なんだから」
およそ数百メートルを走った輝鏡は、少し疲れたのか、やや早足に戻り歩き出す。
今、輝鏡と父が目指しているのは、父の息子でもあり輝鏡の兄でもある男の家である。
兄に会ったら何を話そうか……と考えていると、輝鏡は大きな十字の交差点に差し掛かった。
しっかりと信号が青であることを確認し、交差点を渡り始める輝鏡。
しかし、約2ヶ月ぶりに兄に会えるという期待からか、それとも走って疲れていたのかは分からないが、 この時の輝鏡は、いつもなら気付くはずの信号無視をして飛び出してきた車に気付かなかった。
輝鏡が気付いたときには、すでに彼女の体は宙に浮かび上がっていた。

体中から血を流しながら、地面に衝突する輝鏡。
地面は、輝鏡の体から流れ出ている血で真っ赤に染まっている。
信号無視をして輝鏡を轢いた男は、すぐにその場から逃げ出していた。
ちょうどその時、父が全身から血を流して倒れている輝鏡を発見した。
「輝鏡!?」
慌てて血だらけの輝鏡に駆け寄る父。
「しっかりしろ、輝鏡! 目を開けてくれ!」
しかし、輝鏡はピクリとも動かない。
「輝……鏡……お前が……死んだら……私は……どうすれば……」
父はこの時、結婚してから初めて涙を流した。
「輝鏡……頼む。目を……開けてくれ」
父の目から流れ落ちる涙が、輝鏡の体に落ちていく。
しばらくすると、救急車が到着して輝鏡を病院に運んでいったが、輝鏡が目覚めることは二度となかった。
その後、父は輝鏡を追って自殺した。
『輝鏡の元へ旅立ちます』という遺書を残して。
輝鏡をひき逃げした犯人は、数年たった今も捕まっていない。




「まさか、輝鏡さんは……」
「そうです。私は、シャドウの娘だった女の子の分身のような存在です。 おそらく、死ぬ間際に精神が歪んでしまった為に、こんなに暗い世界を作ってしまったのでしょう。 そして、そのとき生まれた娘への最後の想いが、私を生み出したのでしょう。 もっとも、私の性格だけは、奴の娘だった輝鏡とは全く違っていたようですが。 そして、今でも人間を恨み、交通事故で死んだり、意識不明に陥った人の魂を、 無理やり、この暗闇の世界に閉じ込めているんです」
事実、この世界にきた人間の魂は、すべてが交通事故に会った者ばかりだった。
「2人の輝鏡さんの性格が違うのは……おそらく、シャドウの心が……闇に 支配されているからだろうね。生き物の移し身の性格は…… 作った術者のその時の心に……大きく影響されるからね。 おそらく輝鏡さんは、シャドウの闇の部分の影響を……大きく受けてしまったんだろう」
「詳しいんですね」
「そうでもないさ。それで……この家は結局何なんだい?」
急に話題を戻されて、やや困惑気味の輝鏡だったが、すぐに状況を理解し話を続ける。
「この家は、生前、私……いいえ、輝鏡とシャドウが住んでいた家です」
「それがなぜ……この世界にあるんだい?」
千影は、薄々その理由に感づいていた。
しかし、千影は自分の目で真実を確かめなければ納得できなかった。
「おそらく、私を生み出したとき、この家も一緒に作り出したのでしょう」
無言で、輝鏡の話に聞き耳を立てる千影。
「今では、シャドウに昔の優しかった父の面影は在りません。 奴はもう、絶望や悲しみなどの負の感情しか残っていない、ただの化け物になってしまいました」
例え分身でも、例え性格は違っても、心の中は昔の輝鏡も今の輝鏡も何も変わらない。
だからこそ、シャドウは輝鏡を殺すことが出来ないのかもしれない。
「でも、例え感情は無くしても、シャドウが私の父で、私がその娘である限り、 いつかきっとシャドウも、私の手で救うことができると信じています」
落ち着いていて、なおかつ強さを秘めた決意。
その思いは、決して『生んだ者と生まれた者』の関係ではない。
輝鏡は、『親と子』として、シャドウを放っておく事が出来なかったのだ。
「……強いんだね」
このとき千影は、輝鏡の強さを垣間見た気がしていた。
そして同時に、自分の弱さも見つけてしまっていた。
大切な人を守れなかった自分の弱さを。
「それに比べて、私は……自分の大切な人すら……守ることが出来なかった」
千影の心の中に、絶望という名の闇が生まれ始めていた。
この世界では、闇に負けることは死を意味している。
従って、このまま千影が闇に飲み込まれてしまったら、もう2度と現実に戻ることは出来ないだろう。
「私は、何も出来ない……無力な人間。 輝鏡さんを助けることも……大切な人を守ることさえも……できはしない」
「それは違います」
闇に飲み込まれそうになっている千影を見て、輝鏡が自分の想いを語り始める。
「始めから強い人なんていません。生き物は、それぞれが強さと弱さを持っています。 弱さがあるから強さもある。だから私達は強くなろうとする。 いえ……強く見せようとする。弱いことは悪いことではありません。 完璧な人間なんていないんですから」
いつもの千影なら、ここで反論を返したりするのだが、今の千影の心にその余裕はない。
「すまない……少し、考えさせてくれ」
そう言うと千影は、無言で家の中に入っていった。
千影もまた、自分の中の闇と戦っていた。
闇に負けることが、即、死を意味することを誰よりもよく知っているからこその苦悩だった。
「……千影さん、がんばってください」
小声でそう言うと、輝鏡も家の中に入っていった。

                    
続く



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