植物人間
第4話 シャドウ




「う……」
長い間植物状態だった現実の蛍が、目を覚ました。
まだ意識がはっきりせず、蛍には、状況がうまく把握できない。
「ここは……?」
蛍が困惑していると、蛍のいる居間の中に、可憐が入ってくる。
「お兄ちゃん!? 目を覚ましたの!? 可憐が分かりますか? お兄ちゃん」
「可……憐……?」
可憐の叫びにも似た声を聞き、咲耶が居間へと入ってくる。
「どうしたの? 可憐ちゃん……」
信じられない光景に、思わず絶句してしまう咲耶。
意識が戻らないと言われていた自分の兄が目を覚ましているのだ。
当然といえば、当然の反応だろう。
「お兄様!? 意識が戻ったの!? 私が分かる? お兄様」
「……千影? 千影は!?」
蛍は、二人の質問など全く聞こえていないといった様子で、千影の姿を探し始める。
「落ち着いてお兄様。千影ちゃんがどうかしたの?」
「どいてくれ!」
蛍には珍しく、乱暴に咲耶を押しのけ、2階へと上がっていく。
普段の蛍ならば、絶対にしない行為なのだが、それだけ、千影のことを心配しているということだろう。


2階へ上がり、千影の部屋の前までたどり着くと、蛍は、乱暴に扉を開け、中へと入っていく。
「千影!」
叫びながら部屋へと入った蛍が目にしたのは、「どうか……したのかい? 兄くん」と、何事もなかったかのように椅子に座っている千影の姿だった。
「え……千影? 意識がないんじゃ……?」
「兄くん。こっちに……来てくれ」
「なんだ? 千影? ……え?」
案内されるがままに千影についていった蛍が見たものは、ありえるはずのない光景だった。
「これは……千影が2人!?」
蛍の目に映っているのは、紛れもなく、いるはずのない、二人目の千影の姿だった。





「おのれ……よくも邪魔をしおったな!」
「フフ……お前は、失敗を……したんだ。素直に……認めたらどうだい?」
腹から大量の血を流しながら、苦しそうな顔でそう言う千影。
普通の人間なら、出血多量で意識を失っていてもおかしくはない。
「黙れ! 殺してやるわ!」
「そうはさせません」
男の爪が千影に向かって伸びようとしたそのとき、突然、どこからともなく、輝鏡が姿を現す。
「貴様、輝鏡……まだ生きていたか」
男の口ぶりからして、輝鏡と男は、知り合いらしかった。
「もうこれ以上、あなたに人を殺めさせはしない」
「お前ごときに、我が止められるわけがなかろう!」
「分かっています。誰も、あなたと争うとは言っていません」
刹那、千影と輝鏡の体が、白い光と共に、闇に溶けるように消えていく。
「これは……体が、消えていく……?」
「しまった! おのれ……輝鏡!」
「また会いましょう。『シャドウ』」
輝鏡の言葉と同時に、千影と輝鏡の体は完全に消え去り、別の場所へと移動した。


「これで傷は治ったはずです」
輝鏡の不思議な治療により、千影の傷は、もうほとんどふさがってしまった。
「ありがとう、輝鏡さん」
「いえ、気にしないでください。それよりも、まさか本当に、この世界から脱出してしまうとは思いませんでした」
言葉とは裏腹に、たいして驚いているようには、到底見えない。
「さっきのあれは……一体なんだったんだい?」
千影は、先程の男のことについて質問する。
輝鏡も、質問されるだろうと予想していたのか、すでに答えを用意していたようだった。
「あれはシャドウ。この世界を生み出した悪魔です。……私も、シャドウから生み出されました」
「それなのに、主に逆らってまで……どうして私達に、協力してくれたんだい?」
千影にとって、主=絶対的な存在、であったため、主への裏切り行為をした輝鏡に、疑問を抱かずにはいられなかった。
「シャドウは、人を殺すことになんの抵抗も持っていない、冷酷な殺人鬼です。 これ以上、シャドウの犠牲者を増やしたくはなかった」
「そうか……すまない、変なことを聞いてしまって」
「いえ」
その輝鏡の言葉を最後に、二人の会話は途絶えた。
しばらくの間、すでに何度目か分からない沈黙が、二人の間を支配していた。





「なんで千影が2人もいるんだ?」
眠っている方の千影を指差しながら、蛍が質問する。
「この眠っているのが……本物の『千影』。私は、もう1人の『千影』」
千影は、自分ともう一人の千影を交互に指差しながら、そう答えた。
「私が存在しているということは……まだ、『千影』は無事だということ」
「……よかった。まだ間に合うんだな」
心の底から安堵の表情を浮かべる蛍。
まだ千影が無事だと分かって、張り詰めていた緊張が解けたようだった。
「えっと……君のことは、なんて呼んだらいいのかな?」
「影千影とでも呼んでくれ、兄くん」
「分かった。じゃあ、そう呼ばせてもらうよ」
一呼吸程おいて、会話を続ける。
「影千影なら、あの世界に行く方法を知っているんだろう?」
「確かに知っている。だけど、教えるわけには……いかないな」
「なんでだ!? 千影が危険な目にあっているのに、ほっとけっていうのか!?」
そんな気持ちは毛頭ないはずなのだが、蛍は、つい反射的に、声を荒げてしまう。
「兄くんを……危険な目にあわせるわけにいかない」
「関係ない! 教えろ、影千影!」
「断る。なんの対策もなしに行くなんて……自殺行為だ」
千影の言っていることも、正論であるため、蛍は、それ以上追求することができない。
「じゃあどうすればいいんだ!?」
「まず、シャドウについて……調べていく必要がある」
「シャドウ? なんだ、それ?」
シャドウというものが何なのか分からない蛍は、千影に説明を求める。
「暗黒の迷宮の中で……『千影』を刺した化け物だよ」
「……あいつか! ……ん? なんで影千影が、あいつのことを知ってるんだ? 影千影はずっと、こっちにいたんだろ?」
「私と『千影』は……元々一つだったからね。どちらで起こったことも……もう1人の自分の心を通じて……知ることができる」
なんとなく、納得し難いのも事実だったが、納得しないことには話が進まないため、蛍は、強引に納得することにした。
「ということは、こっちでシャドウの弱点を見つけて影千影に伝えれば、あっちの世界の千影にも伝わるのか?」
「そういうことになるね」
「でも、一体どこで調べればいいんだ?」
いくらこの辺りに住んで長いとはいえ、蛍には、あの暗闇の世界やシャドウについて調べられそうな場所が思いつかない。
「それなら……いい場所があるよ。兄くん、着いてきてくれ」
「ちょっと待ってくれ、影千影」
部屋から出て行こうとする千影を、蛍が呼び止める。
「どうしたんだい? 兄くん?」
「他の妹達にも、このことを知らせておきたいんだけど?」
「その必要はないわ、お兄様」
部屋の扉越しに、咲耶が顔を出す。
おそらく、二人の話を盗み聞きでもしていたのだろう。
「咲耶!? 今までの話、全部聞いてたのか?」
「ええ。すべて聞かせてもらったわ」
今までの話をすべて聞いていたにしては、あまり動揺しているようには見られない。
やはり咲耶も、千影と血の繋がった兄妹だということなのだろうか。
「じゃあ、咲耶はこのことをみんなに話しておいてくれないか?」
「分かったわ。お兄様、気をつけてね」
「ああ、行ってくるよ」
「行ってらっしゃい」
軽く会話を交わすと、やや急ぎ足で、千影と蛍の二人は、家を出て行った。
咲耶は、二人が出て行くのを、静かに見送っていた。


二人がしばらく歩き続けると、図書館らしき建物が見えてくる。
「ここだよ……兄くん」
「ここは……図書館? こんなところに、こんな建物があったなんて」
自分が知っているはずの場所に、自分の知らない建物があった事実に、蛍は、驚きを隠せなかった。
「ここには、様々な本があるからね。きっと、シャドウについても……分かると思うよ」
「時間がない。急ごう、影千影」
会話を終えた二人は、不気味な雰囲気のする図書館に入り、シャドウについての情報を調べ始めた。

続く



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