植物人間
第3話 脱出



「なるほど……ありがとう、輝鏡さん。おかげで、この世界のことが……大体分かった」
一通りの説明を聞き終わった千影が、ゆっくりと立ち上がる。
「いえ。それぐらいしか、私にはできませんから」
「それで、ここから出る方法は分かったかい? 千影?」
二人の会話に、蛍が口を挟む。
「一つだけ、出る方法が……あるかもしれない」
「本当か? 千影」
半ば信じられないといった様子で、蛍は、千影に問い掛ける。
「ただ」
「ん? なんだ? 千影?」
「この世界に、その魔術に使う材料が……あるかどうか、分からない」
千影にとっても未知の世界なのだ。
魔術に使う材料があるかどうかなど、分かるはずもない。
「その材料って、どんなものなんだ?」
「『マンドラゴラ』と『幻覚草』……そして、『生き物の血』の3つだよ」
生き物の血はともかくとして、他の2つの物は、蛍にとっては、名前すら聞いたことのない代物だった。
「生き物の血っていうのは、俺達の血でもいいのか?」
「ああ。問題はないよ」
自分の血を抜くというのは、多少の抵抗を感じるが、この非常事態では仕方がない。
「それで、その材料をどうするんだ?」
「まず、さっき言ったものを……『3対5対2』の割合で混ぜる」
「うん、それから?」
「後は……調合したものを飲むだけだよ」
「じゃあ、その材料さえ見つかれば、ここから出られるんだな? 急いで探そう!」
「ああ。そうだね」
蛍の言葉を合図に、二人は、やや急ぎ足で、材料探しを開始した。





「最近、千影ちゃんの姿を見ないわね。どうしたのかしら? 誰か、様子を見てきてくれない?」
「可憐、見てきます」
そう言って、静かに椅子から立ち上がる。
「お願いね、可憐ちゃん」
咲耶の言葉に軽くうなずきながら、可憐は、居間を出て、千影の部屋へと向かった。

「千影ちゃん、いる?」
可憐が数回ノックをすると、ゆっくりと扉が開き、中から千影が出てくる。
「どうか……したのかい?」
予想外に普通な千影の対応に、可憐は、多少戸惑ってしまう。
「え? ううん、なんでもないんです。お邪魔しちゃってごめんなさい」
「気にしないで……いいよ。それじゃあ、私は……実験に戻るよ」
そう言うと千影は、音もなく、部屋の中へと戻っていった。

「あ、可憐ちゃん。千影ちゃんの様子はどうだった?」
「いつもと変わりないみたいです」
「そう? なら心配ないわね」
千影に何事もなかったと知って、表情を和らげる咲耶。
居間にいた他の妹達も、緊張が解けたように、会話を再開する。
「では、気を取り直して食事にいたしましょう」
「は〜い」
静かな居間に、妹達の声が響き渡った。





「これがマンドラゴラか? 千影?」
手にした、とてもこの世の物とは思えない植物のような生き物を眺めながら、蛍が千影に問い掛ける。
「ああ。やっと……見つけたよ」
「次は幻覚草か」
「幻覚草は……希少価値が高くてね。なかなか見つからないんだ。この世界では……なおさら見つかるかどうか」
「とりあえず、探してから考えよう、千影」
「そうだね、兄くん。ところで……輝鏡さんは、どこにいったんだい?」
「ああ、あの人ならたぶん心配ないよ。また、必要になったら現れると思うよ」
突然消えては突然現れる。
輝鏡とは、そういう少女なのだ。
心配する必要など、ほとんどないだろう。
「では、さっそく……幻覚草を探し始めよう、兄くん」
短い会話の後、二人は再び、材料探しを再開した。


「これが幻覚草じゃないか? 千影」
半ば諦めかけていた二人だったが、ようやく、蛍が、幻覚草らしきものを発見した。
「そうだよ……兄くん。これで、元の世界に……戻れるかもしれない」
蛍から幻覚草を受け取ると、千影は、身に付けたマントの中から、なにやら実験器具のようなものを取り出した。
「それじゃあ……調合を開始するよ」
千影による、材料の調合が始まる。
何も分からない蛍は、ただ千影による調合の様子を見ているしかなかった。


しばらくすると、調合が終わったらしく、千影の手が止まる。
「さあ、完成だ。これを飲んでくれ……兄くん」
2つ作られた液体入りのビーカーのような物の片方を蛍に渡す千影。
蛍はといえば、緑色に染まった液体を、恐れるような表情で眺めている。
「千影は飲まないのか?」
「私は……兄くんの後で飲むよ」
「……分かった」
蛍が、恐る恐る、緑色の液体を飲み干したそのとき。
揺れるような振動が走った瞬間、正体不明の何者かが、蛍達の前に現れる。
「貴様ら……この世界から出られると思うな!」
「な……なんだ、こいつは!?」
蛍には、状況が全く理解できない。
しかし、状況を理解している暇はなさそうである。
「我はこの世界を創りし者……我がいる限り、この世界からは出られんぞ!」
「兄くん。どうやら……ここでお別れのようだ」
その瞬間千影が見せた顔は、今まで見せたことのないような、悲しそうな表情だった。
「千影? 何を言って……」
すでに、蛍の頭は、完全に混乱していた。
何か考えようにも、思考が働かず、まともに考えることができなかった。
「誰だか知らないが、邪魔は……させないよ」
千影が、突然現れた男の前に立ちふさがる。
「なんだ、小娘? 貴様が我と戦うとでも言うのか?」
「必ず助けると……約束した」
その目は、どこか遠くを見ているようにも思えた。
「約束?」
「……時間だよ、兄くん」
蛍の質問に答える代わりに、そう言う千影。
蛍には最早、何がなんだかさっぱり分からない。
「な……体が、消えていく!?」
驚く間もなく、蛍の体は、風に舞う砂のように、静かに消えていく。
「逃がすか! 小僧!」
男の鋭い爪が、蛍に向かって伸びていく。
しかし、男の爪は蛍には命中せず、蛍をかばった千影を貫いた。
「兄くん、今まで、ありがとう……さようなら」
「千影!? 千影ぇぇぇ!」
蛍の叫びとともに、蛍の体は、闇の世界から、完全に消えていった。

続く



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