植物人間
第2話 暗黒の迷宮



「う……ここは……」
蛍は、暗闇の中で目を覚ました。
一瞬戸惑った蛍だったが、すぐに、自分がどういう状況におかれているのかを思い出す。
「ここは一体……それに、さっきの女の子は誰だ?」
とっさに浮かんだのは、そんな疑問だった。
数秒考えた後、おもむろに立ち上がり、歩き出す。
「とりあえず、出口がないか探してみよう」
『無駄です。この世界に出口はない』
頭の中で、先程の少女の言葉が思い出される。
そんなはずはない。出口がない世界なんて、あるはずがない。
そう心では思っていても、出口らしきものは、一向に見当たらない。
「……ダメだ。どれだけ歩いても、光すら見つからない」
やがて蛍は、歩き疲れてその場に座り込んでしまう。
「言ったでしょう。この世界に出口はないと」
先程と同様に、何の前触れもなく、突然、少女が蛍の後ろに現れる。
「またあんたか。あんたは一体、誰なんだ?」
「私は輝鏡、暁 輝鏡。この世界の唯一の住人」
「ここは一体どこなんだ? なんで出口がないんだ?」
静かな暗闇の世界に、一時の沈黙が訪れる。
沈黙に耐え切れなくなったのか、蛍が、先程とは別の質問を輝鏡に投げかける。
「ここから出る方法はあるのか?」
「残念ながら、今のところは、この世界から出る方法はありません」
感情がないのか、あえて感情を押さえつけているのか。
輝鏡は、全く表情を変えないまま、そう蛍に宣告した。
「必ず……帰る方法を見つけてやる」
自分に言い聞かせるように、蛍は、静かにそう呟いた。





蛍が、暗闇の世界であがいている間に、現実世界では、1ヶ月以上もの時間が流れていた。
「千影ちゃん? 何をしてるの?」
可憐が、なにやら作業中らしい千影に質問する。
「兄くんを……こちらに引き戻すための……用意をね」
「何のこと?」
可憐には、千影が何を言っているのか、全く理解できない。
もっとも、今の千影の言葉で理解しろという方が、無理な話なのだが。
千影もそのことを理解しているのか、説明を続ける。
「今、兄くんがいるのは……どうやら、闇の中のようなんだ」
「うん、それで?」
「だから……私が直接、兄くんを闇の中から……連れてくる」
「そんなことができるの? 千影ちゃん?」
可憐は、半ば半信半疑といった様子で、千影の話に耳を傾けている。
「ああ。少々危険だが……うまくいけば、兄くんの意識は戻る」
「もし……失敗したら?」
穏やかな表情から一転、可憐の表情に、緊張が走る。
「そのときは、私も兄くんと……同じ状態になる」
「そんな危険なことはやめて! 千影ちゃん!」
可憐にとっては、蛍も当然大事だが、蛍と同じぐらい、千影のことも大事なのだ。
危険だとわかっていることを、無条件にやらせるわけにはいかない。
「これしか方法が……ないんだよ」
「それなら、可憐も連れて行って!」
「それはできないよ。危険な目にあうのは……私1人だけでいい。それに……可憐ちゃんたちまで危険な目に合わせたら……兄くんが悲しむ」
「千影ちゃんに何かあっても、お兄ちゃんは悲しむよ? ……あれ? なんだか……眠くなって……千影ちゃん……?」
突然急激な眠気に襲われた可憐は、崩れ落ちるように、その場に倒れこんだ。
「すまない……可憐ちゃん。今の会話の記憶は……消させてもらったよ」
倒れた可憐に、申し訳なさそうにそう言う千影。
これが、これ以上誰も巻き込みたくないという、千影なりの優しさなのだろう。
「さて、急いで……準備を再開しないといけないな」
誰にともなくそう呟くと、千影は、闇の中へと出発する準備を再開した。





「これから俺の言ういくつかの質問に答えてくれ」
再び訪れた沈黙を破ったのは、やはり蛍だった。
「なんですか?」
「まず最初に、この世界について詳しく教えてくれないか?」
この暗闇の世界のことについて何も知らないのだから、当然といえば、当然の疑問だろう。
本来なら、この疑問が最初に浮かんできてもおかしくはない。
にも関わらず、妹達のことが最初に浮かんできたということは、蛍がそれだけ、妹達を大切に思っているということなのだろう。
「この世界は、永遠に続く闇の世界だと前に言いましたね?」
「ああ」
「出口のない、闇の世界。そのせいでここは、「暗黒の迷宮」と呼ばれています」
「暗黒の迷宮?」
「出口のない迷路のような世界……そういう意味です」
「迷路か……まさしく、そのとうりなのかもしれないな」
確かに、出口もなければ光もないこの世界には、迷路という表現が相応しいのかもしれない。
「次の質問だが、今までに俺と輝鏡以外で、この世界に来た奴はいるのか?」
「確かに、私とあなた以外にも、この世界に来た人がいましたが……」
「そいつはどうなったんだ? ここから出られたのか?」
「そのうちの誰一人として、ここから出られた人はいません」
「今まで何人の人間がここに来たんだ?」
「本当にたくさんの人が来ましたから……人数までは、覚えていないです」
「その中の一人も、この世界から出られなかったのか?」
「はい。それが、この世界が暗黒の迷宮と呼ばれる一番の理由です」
さすがに、言葉が出てこない蛍。
当然だろう。
輝鏡の話が本当ならば、蛍がここから出られる可能性は、限りなく0に近いということになる。
心の弱い人間ならば、ここで諦めてしまっても、おかしくはない。
しかし、諦めるわけにはいかない。
自分のためにも、なにより、自分の帰りを待っていてくれる、妹達のためにも。
「諦めない……諦めたら、もう二度と妹達に会うことができない」
「いつまでそう言っていられるでしょうか?」
「なんだと!?」
「誰もが最初はそういうのです。ですが、最後にはあきらめてしまう。あなたは、どうなんでしょうね?」
蛍は、何も言い返すこともできず、ただ沈黙するしかなかった。




一方、現実世界では、千影が闇の世界に行くための準備を終わらせていた。
「これで準備は整った。兄くん……今行くよ」
儀式のようなものが終わるのと同時に、千影は意識を失った。


「ここに兄くんが……ここは一体……魔界よりも暗い」
まだ自分の知らない世界があったことに、驚きを隠せない。
考える余裕もなく、千影は、近くに人影らしきものを発見する。
「ん? あれは……兄くん?」
千影が現れた場所の近くには、輝鏡と話をしている蛍の姿があった。
「兄くん!」
「千影? なんでここに?」
「どうやってここに来たのですか? この世界には、そう簡単には入れないはずです」
輝鏡にしては珍しく、やや困惑気味に、千影に話し掛ける。
「それは……あなたには関係ないよ。兄くん、この女の子は誰だい?」
「この子はこの世界の住人で、輝鏡っていうらしい」
蛍が、自分もほとんど知らない少女のことを、簡潔に千影に説明する。
「それじゃあ、ここから出る方法を……教えてもらえないかな? 輝鏡さん」
「それは無理です。この世界から出ることはできません」
蛍にも言ったことを、千影にも繰り返す輝鏡。
同じことを何度も質問されることにはすでに慣れているらしく、極自然に対応している。
「それは……本当なのかい? 兄くん?」
「今のところはね。千影でも分からないかい?」
「ああ。ここは、私にとっては……未知の領域だからね。すまない……兄くん」
「いや、気にしないでくれ。千影が悪いわけじゃない。とにかく、ここから出る方法を千影も一緒に考えてくれ」
「それにはまず、この世界について……よく知っている必要がある。輝鏡さん、私にこの世界について……教えてくれないかい?」
「分かりました。私の知っていることをすべて、お話します」
早速、輝鏡による、暗黒の迷宮の説明が始まった。
しばらくの間、千影と蛍は、静かに、輝鏡の説明に耳を傾けていた。

続く



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