「さて、あとはこれを干すだけだな、と」
いつものように俺は、洗濯機にかけた洗濯物をカゴに入れていく。
ただ、洗濯機から出している洗濯物に、自分の物以外に音姉の物が混ざっている点だけがいつもとは違っていた。
「うお、結構重いな。さすがに二人分ってだけはあるな……っと!?」
『バサバサバサッ』
洗濯カゴを持って立ち上がった俺は、想定外の重さの物を持ったことでバランスを崩し、見事に洗濯物を床にばらまいてしまった。
二人分と言ってもたいしたことがないだろうとたかをくくっていた結果がこれなわけだ。
「ま、自業自得とはこのことかもな」
いつまでも立ちつくしていても仕方がない。
そう考えた俺は、床に散らばった洗濯物を拾い集め、再びカゴの中へと収めていく。
「……うん、まあ、そうだよね。音姉の洗濯物が混ざってるんだから、これも想定の範囲内だよね」
俺の手には、床に散らばった洗濯物のうちのひとつが握られている。
そう、散らばった洗濯物のひとつが……。
「……お、音姉の……パ……」
それ以上は恐ろしくて言えなかった。
言ってしまったら、何かの線を越えてしまう気がしたから。
「…………」
しばし音姉の『それ』を持ったまま立ちつくす俺。
端から見たら、さぞかしおかしな奴に見えるに違いない。
しかし、それが失敗だった。
さっさと音姉の『それ』をカゴの中に入れていれば、最悪の事態は回避できたかもしれなかったのに。
そう、最悪の事態は……。
「……お、弟……くん……?」
そう、今の状況で考えられ得る最悪の事態。
音姉の『それ』を持って立つ俺が、その当事者である音姉に見つかったしまうという悪夢の状況だ。
「な、なに……してるのかな……? わ、私のぱ、ぱ、ぱ……パンツなんて持って……」
俺が最後の抵抗で言わなかった単語を音姉は動揺しながら口にする。
まあ、あれだな。
俺の短い人生は、今日でめでたく終わりを迎えるみたいだ。
さようなら、我が人生の盟友達。
今まで本当にありがとう、また来世で会いましょう。
そんな現実逃避を俺が続けていると、状況を理解しきれない恐怖の大王……もとい、音姫お姉様がそのお口を開かれた。
「お、お、お、弟くん!!」
「は、はい!!」
恐ろしいほどの剣幕に、俺の返事をする声は完全に裏返っている。
こういうときの音姉の怖さは、まさに体験したものしか分からないってヤツだよなぁ。
「ちょっとそこに正座なさい!!」
「は、はい……」
そこから、音姫お姉様による恐怖のお説教の時間が始まった。
完全にご立腹の音姉の怒りが収まるまで、俺は正座を続けることになるだろう。
まあ、あれだね。
自分の行動には責任を持ちなさいってヤツ?
うん、偉い人の言葉は真面目に聞いておくべきだったな、俺よ。
あはは、あははははは、あははははははは……はぁ。
……神様、どうか哀れな俺を助けてください、お願いします。


平和な日常



「……ふぅ。昨日は酷い目にあったな」
昨日、恐怖のお説教を数時間に渡って聞き続けた俺は、音姉に『もうこんなことは絶対にしちゃダメだからね!? 分かった!?』という念のこもりまくった念押しをいただいたのち、ようやく地獄の時間から解放されたのだった。
「二度と音姉を怒らせないように気をつけよう……」
そう固く決意した俺は、由夢が待っているであろう居間へと降りていく。
しかし、俺の予想に反して、居間の中に由夢の姿はなかった。
そう、『由夢は』いなかった……のだが。
「おはようございます、ご主人様♪」
「…………え?」
そこには、可愛らしいメイド服に身を包み、可愛らしいネコミミを頭に付けた音姉がいた。
んんんんん?
い、一体何がどうなってるんだ?
なんで音姉がネコミミメイドさんに?
……ダメだ、いくら考えても俺には理解できん難問だ。
「……あ、あの……音姫……お姉様……?」
「はい? どうかなさいましたか? ご主人様?」
……うん、ダメだ、俺、撃沈。
音姉のネコミミメイドさんってだけでも犯罪級の破壊力なのに、そのうえさらに、理想のメイドさんを再現したかのような可愛らしい微笑みと言葉遣いに、もう俺、色々な意味でダメだ。
しかし、いつまでもネコミミメイドさんな音姉に萌えていても話が進まない。
ここは思い切って、音姉にその真意を聞いてみることから始めてみよう。
「音姉」
「はい。なんでしょうか? ご主人様?」
うぐ、やっぱり萌えるな、ネコミミメイド音姉。
って、それじゃさっきと同じじゃないか。
頑張れ俺! ネコミミメイド音姉の萌えに打ち勝つんだ!
「……一体どうして、こんなことを?」
「…………」
俺の真面目な表情に、音姉は優しい微笑みを浮かべたまま沈黙する。
その表情からは、音姉が静かに悩んでいることが伺える……ような気がした。
「……だって、弟くんが」
「……俺が?」
いつの間にかいつもの言葉遣いに戻った音姉が、俺の名前を口にする。
俺、音姉をこんな行動に走らせるようなこと、したっけか?
そんな疑問を解決するように、音姉はさらに言葉を続ける。
「弟くんが……よ、欲求不満なのかな、って思って……」
「お、俺が欲求不満?」
そ、そうなのか?
自分ではそんなつもりはないんだけど、実は俺って、脳内ではエッチなこととか考えまくってたりするのか!?
「そうだよ? だって、私の……ぱ、パンツ……を見てエッチな目をしちゃうぐらいだもん」
……え?
俺、音姉のパンツを見て、そんなエッチな目をしてたのか?
そんなつもりはなかったんだけどなぁ……。
いや、全くなかったかと言われれば、それはイエスとは言えないんだけど、さ。
「お、俺、そんなにエッチな目、してた?」
「してたよぉ! それはもう、今にも私のぱ、パンツでひ、ひとりエッチでもしちゃいそうなぐらいだったよ!」
……うそーん?
俺は、姉のパンツでそんなことをしちゃいそうなぐらい欲求不満な青年だったのか……。
……変な事件を起こさないよう、気をつけよう。
「ご、ごめん、音姉。今度からは絶対そんなことがないように気をつける」
「当たり前だよ!……ひ、ひとりエッチするぐらいなら、私が代わりにぬ、ヌいてあげるのに……」
「ん? なにか言った? 音姉」
「ななななな、なんでもないの、弟くん!!」
「……? そう? ならいいんだけど」
なんだか音姉が焦っている気がするけど、たぶん気のせいだよな、きっと。
うん、そう思っておこう。
「まあ、それは分かったんだけど、さ」
そこまではいいとしても、まだ分からないことがひとつある。
それはもちろん、音姉の今日の行動について、だ。
「……なんで、ネコミミメイドさん、だったの?」
「……っ!!」
あ、音姉の顔が真っ赤に。
やっぱり恥ずかしかったんだな、音姉。
「だ、だって……前に読んだ本に、男の人はこういうのが好きって書いてあったから……お、弟くんも喜んでくれるかなって思って……」
やばい、可愛い。
音姉可愛い、可愛すぎる。
真っ赤な頬をしてそんなことを言われたら、俺、何も言えなくなっちゃうじゃないか。
まあ、もとより何も言うつもりはなかったんだけどさ。
ネコミミメイドな音姉、可愛かったし。
「……全く、音姉は面白いなぁ」
「お、面白い!?」
面白いと言われたことがショックだったらしく、音姉は可愛らしい悲鳴をあげた。
それを見て、たぶん音姉が誤解していると考えた俺は、言葉の続きを音姉に説明する。
「いや、ごめん。面白いって言っても、悪い意味じゃなくて、さ」
「……??」
意味が理解できないと言った様子で首をかしげる音姉。
もちろん、俺の言葉にはまだ続きがある。
「俺のためにそこまで考えてくれる音姉は面白くて可愛いな、って思ったのさ」
「……?? よく分からないよ〜、弟く〜ん」
「はは、俺もよく分かんないや。まあ、簡単に言えば、音姉は可愛くて素敵だね、ってこと」
「……もう。そんなこと言われたら、お姉ちゃん、嬉しくて何も言えなくなっちゃうじゃない〜」
「ははは、照れる音姉も可愛いよ」
「……もう! 弟くんってば!」
言葉では怒っているように聞こえても、音姉は終始笑顔だった。
その表情からは、不安が消えて安心したような感じが見て取れる……ような気がした。
なんにせよ、音姉のいつもの笑顔が戻ってきて良かった良かった。
まあ、本当に言いたいことを音姉に伝えなかったのは、ちょっとだけ心残りな気がするけど。
それはまた、いつか俺と音姉が本当の意味で分かり合えた時にでも、しっかりと伝えることにしよう。
「さて、それじゃ、朝ご飯を作ろうか、音姉」
「うん、弟くん」
そうして俺と音姉は、いつもの平穏な日常へと戻っていく。
何気ない音姉との平和な時間。
そんな日常の時間が、今日はほんの少しだけ、いつもと違うような気がしたのはきっと気のせいではないだろう。


終わり



もどりますか?