「由夢……由夢……」
俺以外誰もいない由夢の部屋。
そこで俺は、本人に見つかったら言い訳できない奇行をしている。
由夢のシャツで自慰するという愚行を。
「由夢……好きだ……愛してる……」
もっと早くに気付くべきだった。
自慰に夢中になりすぎて、注意力が散漫になっていた。
だが、気付いたときにはすでに手遅れ。
俺の愚行を、もっとも見られてはいけない人間に見られてしまったのだ。
「……兄さん?」
「っ!?」
気付いたとき、俺の後ろには、自分のシャツを胸に抱き自慰をする俺を見つめる由夢がいた。
最悪の展開。
もはや言い訳など出来ようはずがない。
俺の罪状はすでに決定され、判決は、目の前にいる由夢にゆだねられた。
もっとも、こんな愚行を見つかってしまったのだ。
もはや俺が芳乃家に住み続けることは不可能だろう。
「兄さん……それ……」
自分のシャツが俺の胸にあることを認識した由夢が、俺に静かに問いかける。
言い訳などすでに不可能。
今の俺に出来るのは、覚悟を決めて真実を話すことだけであった。
「……最低の兄貴でごめん、由夢」
「……」
俺の謝罪の言葉に、由夢はただ沈黙を保っていた。
無言の沈黙に、ただただ俺は恐怖していた。
次の由夢の発言を予想して、俺は自分の処遇についての妄想をしていた。
「……兄さん」
数十秒とも数分とも思える沈黙ののち。
ふいに由夢が俺の名前を呼んだ。
俺はといえば、恐怖に耐えながらなんとか由夢に返事を返した。
「兄さんがこんな変態だったなんて、知らなかったですね」
「……言い訳はしないよ」
すでに、決定的な場面を抑えられているのだ。
言い訳などしたところで、由夢の怒りに火をつける結果にしかならないだろう。
「お姉ちゃんがこのことを知ったら、どうなるだろうね」
「……そうだな。俺はたぶん、この家を追い出されるだろうな」
実際、この事実を音姉が知ったら激怒するに違いない。
激怒したのち、俺と由夢を別れさせるだろうことも容易に想像出来た。
「兄さん」
再び由夢が、静かに俺の名前を呼ぶ。
無表情でそれを行う由夢を見て、俺は、自分がこれからどうなるんだろうと冷静に考えていた。
「兄さんのこと……許してあげてもいいよ?」
「……え?」
信じられない言葉が由夢の口から飛び出した。
ユルシテアゲテモイイヨ?
予想外の由夢の発言に、俺の脳は完全に混乱していた。
『こんな変態、兄さんじゃない! 金輪際私に近づかないで!』ぐらいの罵声を浴びることは覚悟していたのだ。
だが、実際に由夢が発したのは、罵声でもなんでもない『許してもいい』という一言だった。
「私のお願いを一つ聞いてくれたら……今日のことは忘れてあげる」
「……お願い?」
それはそうだ。
よく考えれば、無償で今回の愚行を許してもらえるわけがないのだ。
だが、俺に許された選択肢は一つしかなかった。
家を追い出されるか、お願いを聞いてなかったことにしてもらうか。
どちらが自分にとって得かを考えれば、自ずと答えは一つしかないだろう。
「そう、お願い」
お願いという単語を口にした由夢の表情が、少しだけ妖しいものに変化したような気がした。
もっとも、普段とどこが違ったのかと言われると、俺には説明出来ないのだが。
「私のお願いはね」
ああ、なるほど。
由夢のお願いというのはこういうことか。
この日のこの出来事が、俺の人生を180度変化させることになる。
俺と由夢の、兄と妹という関係が、今日このとき、完全に変化することになるのだ。


奴隷宣言



「兄さん。今日はプレゼントを持ってきてあげたよ」
日曜の昼下がり。
俺の部屋にやってきた由夢は、唐突にそう切り出した。
手には、なにやら包装された包みのようなものを持っている。
「開けてみて、兄さん」
そう言って由夢は、俺に包みを手渡した。
断ることなど許されてはいないので、俺は素直に包みを開けることにした。
「……これは、首輪?」
包みの中から出てきたのは、動物用とは少し違う首輪のようなものだった。
そこで、由夢の意図が俺にも理解出来た。
つまり、『そういうこと』だ。
「兄さんは私の『奴隷』なんだから、首輪ぐらい付けていてもおかしくないよね」
そう。
あの日、由夢に俺の愚行が見つかった日。
その日から、俺は由夢の奴隷となった。
奴隷となるのを断って家を追い出されるか、素直に奴隷になるか。
どちらが俺にとって得なのかは、考えるまでもなかった。
「……っと。これでいいか? 由夢」
「……兄さん」
首輪を付けたことで、由夢は満足してくれると思っていた。
しかし、当の由夢はといえば、満足出来ないといった表情を見せていた。
「兄さんは、私のなにかな?」
「奴隷だろ?」
そんなこと、わざわざ聞く必要がないのでは?
そう思う俺の心を見通したかのように、由夢は言葉を続ける。
「奴隷がご主人様にタメ口をきいていいと思ってるの?」
そう言った由夢の顔には、怒りの色が浮かんでいた。
そこで俺は気付く。
俺の口調やらなんやらが、由夢を怒らせてしまっていたのだ。
「そんな悪い奴隷には、お仕置きが必要だよね」
「由夢、なにを」
俺が『なにを言ってるんだ』と言おうとした刹那。
どこからか取り出したムチのようなものが、俺の顔へと飛んできた。
「由夢……じゃなくて、由夢様! でしょう!?」
『パシッ』
「……うっ」
由夢の放ったムチが、容赦なく俺の顔に当たる。
そう、これは、由夢による、俺への罰なのだ。
俺にそれを拒否する権利はない。
俺は由夢の『奴隷』なのだから。
「さぁ! 言ってみなさい! あなたは私のなに!?」
「わ、私は、由夢様の奴隷です」
そんな言葉を口にすることに対する抵抗は不思議となかった。
俺自身、こんな非日常な光景を望んでいるのかもしれない。
「そう! よくできました」
俺の言葉に満足したのか、そこで由夢はムチで俺を叩くのをやめた。
そして、さらに俺を威圧するかのような口調で言葉を続ける。
「ご主人様からの命令よ。私に、誓いの口づけをしなさい」
「……はい、由夢様」
もとより、俺に拒否する権利などありはしない。
なぜなら、俺は由夢の忠実な『奴隷』なのだから。
「……んっ」
なるべく優しく、かつ気持ちよくなるように。
由夢を満足させることだけを考えた口づけ。
そんな口づけを続けていると、次第に俺自身も気持ちよくなってくる。
「……んっ……にいさん」
「……ゆめ」
キスをしているうちにいつの間にか、いつもの呼び方に戻っていた。
だが、それも数秒のこと。
キスを終えた頃には、呼び方も話し方も、新しいものへと変わっていた。
「……ふふ。これは、私と兄さんの誓いのキス、だよ」
恍惚の表情でそう口にする由夢は、この世の何よりも美しかった。
もちろん、過去にも未来にも、由夢よりも美しいものは存在しないのだけど。
「ずっと一緒だからね、兄さん」
それは、俺と由夢の誓いの言葉。
死ぬまで一緒にいるという約束の言葉。
俺と由夢を繋ぐ、優しく甘い言葉。
そんな言葉を交わしながら、俺と由夢は再びキスをした。


終わり



もどりますか?