天使の微笑み
「なんとか言えよ、おい!」
男が同年代(にはとても見えないが)の少年の腹に蹴りを入れる。
少年は無表情のまま、声一つ漏らさない。
「なんとか言えよ!」
再度、男が少年の腹を蹴る。
「どうした、やり返してみろよ? 蛍くん?」
男が皮肉を込めて、少年の名前を呼ぶ。
だが、男が何を言っても、蛍と呼ばれた少年は全く反応しない。
「チッ、つまんねぇな。今日はもう帰ってやるよ!」
心底つまらなそうにそう言うと、男は大きな足音を立てながらその場を離れた。
しばらくして、蛍も無言でその場を離れた。
「……ただいま」
静かに呟くその声に、生気は感じられない。
その顔からは、生きているのに疲れ切ったという印象を受ける。
「……誰もいないのに、こんなことを言っても無駄か」
全てを諦めきったような口調。
その言葉は、少年の今の心情を深く表していた。
その日も何事もなく過ぎ、次の日になった。
「……そろそろ時間か」
次の日も、何事もなく過ぎていく。
一人暮らしの少年が朝食を食べ、学校に行く。
何の変哲もない、ごく普通の光景だ。
少年が、全く感情を表に出さないということ意外は。
やがて、準備を終えた蛍は、いつものように無言で学校へと向かった。
「蛍くん、これ運んでくれない?」
同級生の女子が、蛍に教材らしきものを運んでくれと頼む。
いや、頼むと言うよりは、命令すると言ったほうが正しいだろう。
蛍の方は、いつものことだと諦めたように、無言で教材らしきものを運んでいった。
そんなやりとりが続いたのち、学校が終わるチャイムが鳴った。
普通の学生なら、学校が終わったと思い喜ぶだろう。
だが、蛍にとっては、学校の終わった後の時間は、苦痛の時間でしかない。
「蛍、ちょっと裏庭まできてくれねえか?」
いつも蛍に好き放題するこの男の存在が、蛍に苦痛の時間を与えている。
だが蛍は、男の言葉に対して返事をしない。
男も、蛍が返事をしないことを知っていて、わざとそう言うのだ。
やがて、いつものように、男と蛍は校舎裏へとやってきた。
「さて。今日はどうしてやろうか」
蛍を裏庭へと連れてきた男が、いつも通りの言葉をつぶやく。
蛍の方は、感情のない瞳で男の方を見ている。
「とりあえず、本でも買ってきてもらおうか」
だが、蛍は全く反応しない。
そんな蛍の様子にいらついたのか、男が蛍に向かって叫ぶ。
「チッ、なんとか言ったらどうなんだよ!」
男が、容赦なく蛍の腹に蹴りを入れる。
「お前、むかつくんだよ! すかしやがってよ!」
再び、男の蹴りが蛍の腹に入る。
だが、男の思惑とは裏腹に、蛍は微動だにしない。
そんな蛍の様子に、男の苛立ちはさらに募っていく。
「こいつ……なんで声一つださねえ?」
男がいくら殴ろうとも、蛍は声一つあげることはない。
まるで、全く息をしていないかのように静かなままである。
蛍のそんな様子が、さらに男を逆上させた。
「なにかいえよ! 死んでるような面しやがってよ!」
大声で叫びながら、男は再び蛍への暴行を開始する。
何度も何度も、自分の怒りをぶつけるように、蛍の体を傷つける。
「……チッ、今日はもうやめだ」
しばらく殴り続けていた男だったが、蛍が全く反応しないとわかると諦めたらしい。
男は、最後に「次こそてめえを泣かせてやるからな」と悪態をつきながらその場を離れた。
これでようやく、蛍の地獄の時間(本人にとっては、どうでもいい時間なのだが)は終わった。
そして、その日もいつものように何事もなく終わる……はずだった。
「兄チャマ!」
突然蛍の前に現れた一人の少女が、蛍のことを「兄チャマ」と呼んだ。
「……」
だが、当然のように蛍は反応しない。
それどころか、蛍は、少女を無視して歩いていく。
「無視するなんてひどいデス~! 兄チャマ!」
そう言って、現れた少女が蛍の腕をつかむ。
「……ッ!」
少女に腕を掴まれた刹那、蛍の体が過剰な反応を示した。
常に同級生から「いじめ」を受けていた蛍は、元々の性格も相まって、
友達もおらず、異性とも全く話したことがなかった。
そのため、話しかけられるだけならいいのだが、
異性に体を触れられてしまうと、体が拒否反応を示してしまうのだ。
今回も例外ではなく、蛍は、少女の目の前で、貧血を起こしたように倒れてしまった。
「兄チャマ!? どうしたデスか!?」
突然蛍が気を失ったことに驚いた少女は、急いで、気を失ってしまった蛍を保健室へと連れていった。
「……というわけで、蛍くんは、女性アレルギーのような状態なのよ」
「そう……だったんデスか」
保健室で、保険医らしき女性と少女が、蛍についての話をしている。
「……ん」
二人が話をしていると、蛍が目を覚ました。
そのことに気付いた蛍に、少女が話しかける。
「兄チャマ? 目を覚ましたデスか?」
「……?」
蛍には、目の前にいる少女が誰なのか、
なぜ自分が「兄チャマ」と呼ばれているのか、全く分からない。
そんな蛍の様子を見て、保険医の女性が、少女に状況を説明する。
「蛍くんは、あなたが誰なのか分かっていないみたいよ?」
「兄チャマは……覚えてないんデスね」
少女が、現れたときの明るい声と正反対の、悲しい声でそうつぶやく。
続けて、少女が保険医の女性に質問する。
「ところで、先生はなんで、兄チャマの言いたいことが分かるデスか?」
少女の言葉通り、蛍は今までなにもしゃべってはいないし、表情を変化させてすらいない。
そんな蛍の様子がわかった女性に対し、そういう疑問が浮かんでくるのは当然だろう。
「蛍くん、女の子に触られるたびに、気を失ってここに運び込まれてきちゃうから。
今では、彼の表情を見ただけで、大体の言いたいことは分かってしまうの」
「……先生が羨ましいデス。四葉も、いつか兄チャマとそういう関係になれるデショウか」
保険医の女性と蛍の関係は、どこか、少女が思い描く、自分と蛍の関係に似ていた。
何でも言いあえる、信頼しきった関係。
いざとなったら、言葉にしなくても思いが伝わることすらある。
そんな関係になりたい。
少女が、そんな自分の理想を思い出していると、いつのまにか、蛍の姿が保健室から消えていた。
「……あれ? 兄チャマ? どこに行ったデスか?」
どうやら、二人が話している間に、蛍はどこかに行ってしまったらしい。
おそらく、異性2人と長時間同じ部屋にいることに耐えられなかったのだろう。
「待ってください~! 兄チャマ~!」
蛍が消えたあと、蛍を追いかけるため、少女は慌ただしく保健室を出て行った。
「……全く、忙しい子達ね。でも、一つあの子に嘘をついちゃったわね」
遠くを見るような目でそう言うと、保険医の女性は、近くに置いてあった写真を手に取った。
そして、しばらくその写真を懐かしそうに眺めていた。
「小さい頃に分かれたんだから、覚えてなくて当然ね。
……四葉、あなたが蛍を変えてあげてね」
誰にも聞こえない声でそうつぶやくと、保険医の女性は、保健室を出て行った。
「兄チャマ、はじめまして。四葉デス」
「……」
少女『四葉』が、蛍に自己紹介をする。
だが、当然の如く、蛍は全く反応しない。
まばたきしているのかすら、四葉にはわからない。
目には光がなく、生気すら感じられない。
そんな蛍を初めて見た四葉の感想は、「とても年上とは思えない」だった。
「……」
しばらく無言で歩く二人。
やがて二人は、蛍の家の前へと到着する。
「……?」
「ん? どうしたデスか? 兄チャマ」
不思議そうな顔をする蛍に、四葉がそう質問する。
すると蛍は、カバンからスケッチブックのような物を捕りだしてなにか書き始め、それを四葉に見せた。
そこには、『なんでキミが僕の家に入ろうとするの?』と震えた文字で書かれていた。
そこまでするなら普通に話した方が速いのでは、と思った四葉だったが、
とりあえずそのことは気にせず、蛍の質問に答えることにした。
「それは、四葉が兄チャマの妹で、ここで兄チャマと一緒に暮らすことになったからデス」
「……」
四葉の答えを聞いても、蛍はやはり無反応だった。
そんな様子に、四葉はつい、大きな声を出してしまった。
「兄チャマ! なにか反応してクダサイ!」
「っ!?」
四葉の声を聞いた蛍は、怯えてしまったように体を震わせていた。
かと思えば、蛍はすぐに、自分の家の中に入っていってしまった。
「兄チャマ、家の中に入っていっちゃったデス。……四葉も速く入ろうっと」
そんな蛍の様子に戸惑いながら、四葉も家の中へと入っていった。
その夜、蛍は、四葉が眠るまで部屋から出て来なかった。
次の日、四葉は、蛍を起こすために蛍の部屋へと入った。
「兄チャマ! 起きてください!」
そう蛍に声をかけた次の瞬間、四葉はとんでもないものを見てしまった。
「う……ん」
昨日何を話しても反応しなかった蛍が、普通にしゃべっていたのだ。
それどころか、四葉に触れられただけで気を失っていた蛍が、四葉を抱きしめていた。
「よつばぁ」
どうやら蛍は、寝起きになると性格が変わるらしかった。
まるで二重人格だな、と四葉は思った。
「もうちょっとこのままでいい? 四葉……?」
「ウフフ。いいデスよ……兄チャマ」
甘えるような蛍の声に、四葉は、母親のような優しい声を蛍にかける。
「ありがとう。四……葉」
そんな四葉の声に安心したのか、蛍は再び眠りについてしまった。
蛍の意外な一面を発見した四葉は、少し上機嫌になっていた。
「四葉は先に学校に行ってマスね、兄チャマ」
再び、眠っている蛍に優しく語りかけると、四葉は、仕度をして一人で家を出て行った。
四葉が出て行ってからしばらくして、蛍が目を覚ました。
「……なんだか今日は気分が楽だな。なんでだろ」
目覚めた蛍は、今までで一番落ち着いていた。
蛍自身には理由がわかっていないが、先ほどの四葉とのやりとりが原因だろう。
「……さて、そろそろ行くか」
理由はわからなかったが、気にしていても仕方がないということで、蛍は支度をして学校へと向かった。
その後、何事もなく……というわけではなかったが、放課後になった。
今日も蛍は、いつもの男に校舎裏へと呼び出されていた。
今日の男は、いつもと違い、手に金属製の棒のような物を持ってきていた。
「これで腹を叩けば、肋骨の何本かぐらい簡単にいっちまうだろうなぁ」
男は、気持ち悪い笑みを口元に浮かべている。
その顔には、同情や躊躇といった感情は全くない。
なぜなら、この男にとって蛍は「人」ではない。
ただのストレス解消のための「物」でしかないのだ。
そのため、蛍がどうなろうが、男にとってはどうでもいいことだった。
「やめるデス!」
そこに、タイミング悪く現れた四葉が、男に向かって叫びながらやってきた。
「なんだ? お前?」
「四葉は、兄チャマの妹デス!」
「妹? こいつに妹なんていたのかよ。まあ、どうせお前にはなにもできないさ」
最初は少し驚いた男だったが、四葉の姿を見た瞬間、その顔は安堵のものへと変わる。
「ハハハ、そこで自分の兄貴が痛めつけられるさまをじっくりと見物してな!」
四葉に向かってそう叫ぶと、男は、無抵抗の蛍に向かって金属棒を振り下ろす。
金属棒が蛍の腹を直撃し、鈍い音が響く。
だが、男の期待とは裏腹に、蛍は全く反応しない。
「やめるデス!」
反応しない蛍に変わって、四葉が、男の凶行を止めようとする。
「うるせえ! 引っ込んでろ!」
「キャっ!」
だが、止めにかかった四葉は、男が乱暴に振り回した金属棒によって振り払われてしまう。
四葉にそんなことがあっても、依然蛍は無表情のままだった。
「四葉は……兄チャマを助けるデス」
痛みに耐え、四葉が立ち上がり、男に向かって歩いていく。
「鬱陶しいんだよ! 邪魔するんじゃねえ!」
再び立ち上がった四葉に、男の苛立ちは増していく。
そんな男が振り回した金属棒が、再び四葉の体に思い切りぶつかる。
かなりの勢いで殴られた四葉が、苦痛の声と共にその場に倒れた。
その瞬間、今まで無反応だった蛍に変化が訪れる。
「う……うああああ!」
蛍が、とても蛍とは思えないほど大きな声で叫ぶ。
「な、なんて大声……っ!?」
驚いて蛍の方を見た男の顔が変化する。
蛍の顔が、憎悪と怒りに満ちた、鬼のような形相になっていたのだ。
初めて見せる蛍のその顔に、男は、かつてない恐怖を覚えた。
「許さねえ……殺してやる!」
「くそっ! このやろう!」
怯えている男が、蛍の頭めがけて、金属棒を全力で振り下ろした。
鈍い音と共に、金属棒は蛍の頭に命中する。
だが、蛍が倒れる気配はない。
それどころか、殴られたことで、さらに蛍の中の憎悪が増したようだった。
「許さねえ、許さねえ、許さねえ!」
確かに、蛍の頭からは、衝撃による流血が続いている。
だが、今の蛍には、痛みの感覚は全くない。
その様子は、明らかにいつもの蛍とは別人だった。
まるで、普段の蛍とは全く違う別人格が現れたようである。
今の蛍の顔には、今目の前にいる憎き相手を自分の手で殺したい、という殺意の表情しかない。
「頭を強打されて……これだけ血を流して……なんで立っていられる!?」
「お前だけは許さねえ……殺して……っ!?」
鬼気迫る表情で男に殴りかかろうとした蛍を、後ろから誰かが止める。
「兄チャマ……もうやめるデス」
悲しそうな顔をした四葉が、蛍の後ろから、抱きつく形で蛍を止める。
「四葉! なんで邪魔をするんだ! あいつは四葉を……!」
『パシッ』
蛍の言葉をさえぎり、四葉が蛍の頬を叩く。
その顔は、蛍とは対照的な悲しみに満ちていた。
「四……葉?」
「四葉は、兄チャマに……そんなことして欲しくないデス。
四葉は……いつもの優しい兄チャマのほうが好きデス。
たとえなにもしゃべってくれなくても……どんなに無表情でも」
悲しそうな顔でそう言った四葉の言葉に応えるように、蛍の表情が少しずつ元に戻っていく。
「ごめん。ごめんな、四葉」
蛍にはもう、鬼のような形相は欠片も残っていなかった。
ただ、四葉の言葉によって涙を流していた。
やがて、泣き疲れたのか、蛍は静かに意識を失った。
「兄チャマ!? ……なんだ、寝てるだけデスか。ビックリしたデス」
自分も傷ついているはずなのに、四葉は蛍の心配をしていた。
そんな四葉の優しさなど知らず、男が、我に返ったかのように言葉を発する。
「なんなんだよ、そいつ。さっきのそいつ、普通じゃなかったぞ」
しばらく放心状態だった男が、怯えた様子で言葉を発する。
「もうやめだ! そんな奴となんて、もう関わりたくねえよ!」
大声でそう叫ぶと、男は逃げるようにその場を離れた。
もう二度と、男が蛍に、このようなことをすることはないだろう。
やがて、誰かが呼んだらしい救急車によって、四葉と蛍は病院へと運ばれて行った。
病院に運ばれた二人の状況は、あまり良いものではなかった。
二人とも、肋骨が数本折れていた。
四葉に至ってはさらに酷く、左腕の骨も折れていた。
共に、完治するまでには、相当の時間がかかるだろう。
なので当然、しばらくの間入院することになった。
そこで四葉は、ある事実を知らされることになる。
「君のお兄さんは、どうやら多重人格のようなんだ」
「多重人格!? 兄チャマがデスか!?」
いきなりのことに、四葉は驚きを隠せなかった。
急に、家族の一人が多重人格だと宣告されたのだから当然だろう。
さらに、医師の説明は続く。
「一年近くに渡っていじめられてきたために、彼の中にはいくつもの人格ができてしまったようなんだ。
おそらくそれが、四葉くんとの出会いで表に出てきてしまったんだろう」
そこで一息つき、医師は、蛍の中に眠る人格について説明していく。
「まず、普段の、大人しく全くしゃべらない蛍くん」
普段の、全くしゃべらず無表情で女性アレルギーの蛍だ。
「そして二つ目の人格は、乱暴で攻撃的な蛍くん」
四葉に乱暴をした男が恐怖した、男を殺そうとした蛍だ。
「三つ目の人格は、ちょっと特殊でね。
必ず寝起きでしか現れず、さらに相手が信頼できるときしか現れない。
寂しがりやで、やたらと女の子に甘えようとする蛍くん」
四葉が朝、蛍を起こしに行ったときに現れた蛍だ。
「今のところ、その三つの人格が確認されている。
見たところ、彼は四葉くんにだけは心を許しているようだし、後は四葉くんに任せるよ」
「分かったデス。先生、どうもありがとうございましたデス」
話が終わったとき、タイミング良く、四葉の見舞いに来た蛍が入ってきた。
「それじゃ、私はこれで」
入ってきた蛍と入れ替わりに、医師は病室を出て行った。
「……兄チャマ」
「……」
四葉の呼びかけに、返事は返ってこない。
四葉は、それを想定していたように言葉を続ける。
「これからは、四葉がずっと兄チャマの傍にいるデス。
だから……もう苦しまなくてもいいんデスよ」
優しい声でそう言うと、腕の怪我のことも忘れて、四葉は蛍を抱きしめた。
しかし、異性に触られたというのに、蛍は気を失わなかった。
「四……葉……ありが……とう」
それが、今の蛍にできる、心からの感謝の言葉だった。
泣いているような声だったが、きっとそれは嬉し涙だろう。
蛍は、過去の呪縛からとかれた。
『四葉』という名の天使の出現によって。
事件から数ヵ月後。
二人の怪我はもうすっかり良くなり、蛍にも感情が戻ってきていた。
「兄チャマ! 起きてクダサイ!」
「……よつばぁぁ」
「もう、兄チャマったら。相変わらずなんだから」
残念ながら、蛍の多重人格が直ることはなかった。
だが、四葉と蛍の二人にとって、それは些細な問題でしかなかった。
「ん……? 四葉? おはよう」
蛍は、今では、誰とでも普通に……とまではいかないが、ある程度なら話せるようになった。
人見知りが激しいのは相変わらずなのだが。
「兄チャマ、すっかり元気になりマシタね」
「これも四葉のおかげだね。ありがとう、四葉」
「そんなこと言われたら、四葉、照れちゃうデス」
これが、数日おきに繰り返される日常。
蛍の感謝の言葉に、四葉が照れて顔を赤くする。
そんな微笑ましい日常が、二人にとってなによりも嬉しいものだった。
「ああっ! もうこんな時間デス! 急がないと遅刻デス!」
「え? やばい! 完全に遅刻だ!」
支度を終えた二人は、急ぎ足で玄関を開ける。
「急ぐデス~! 兄チャマ~!」
一足先に外に出た四葉が、鍵を閉めている蛍を呼ぶ。
「ああ、今行くよ!」
蛍も、そんな四葉の笑顔に答えるように、笑顔で返事をする。
「……こんな日常がいつまで続くんだろうな。
でも、たとえなにが起こっても、これからもずっと一緒だよ……四葉」
優しい表情で、誰にも聞こえない声で、蛍はそうつぶやいた。
愛しい四葉と、これからもずっと一緒にいられますように、と願いをかけて。
結局、蛍の多重人格は治らなかった。
だが、今では、なんとかまともに話せるまでに回復した。
いつかきっと、多重人格も治るときが来るだろう。
彼の傍には、『四葉』という名の愛する人がいるのだから。
終わり
もどりますか?