永遠の願い


二人の少年と少女が、踏み切りで電車を待っている。
「花穂、今日はどこに行きたい?」
「花穂は、お兄ちゃまと一緒ならどこでもいいよ」
とても仲の良い兄妹といった感じで、少年と少女は会話をしている。
どちらも、相手といるのが楽しくて仕方がないといった感じだ。
「あはは、嬉しいことを言ってくれるなぁ」
「もう、花穂は本気なんだよ?」
花穂と呼ばれた少女の言葉に、わざと茶化すような言葉をかける少年。
少年なりの照れ隠しといったところだろう。
花穂の方も、そんな兄の反応があらかじめわかっていたかのように、嬉しそうに言葉を返す。
「おい、あれ!」
少年達の側にいた男性が、電車が迫り来る踏み切りの中に、一人の少女が入ってしまったのに気がついた。
「あ! 花穂!?」
少年が少女に気付いた時には、隣にいた花穂が、踏み切りの中に走り込んでいた。
ほぼ同時に、電車が少女と花穂のいたところを通過する。
「か、花穂!?」
電車が通過した瞬間、周囲に鈍く大きな音が響いた。
少年は、あまりに唐突な出来事に対応できていない。
「花穂……? 花穂ぉぉ!」
少年が事態に気付いたのは、無惨な姿になってしまった花穂の姿を発見したときだった。
「そ、そんな……あ、ああああ!」
少年の大きな叫び声が、電車が通り過ぎた踏み切りで響いた。



虚ろな目をして、壁を見つめる一人の少年がいる。
その目からは、生気が全く感じられない。
「……花穂」
少年が、一番愛しいと思っている相手の名をつぶやく。
「……花穂、どうして死んでしまったんだ」
二度目の少女の名前を呼んだとき、少年の目に涙があふれた。
流れる涙は、全く途切れる様子がない。
「……どうして。僕が代わりに死んでいれば良かったのに」
だが、今さらそう思ったところで、死んだ花穂は帰ってはこない。
少年は、それがわかっていてもなお、花穂の死を認められずにいた。
「……?」
泣き疲れて壁を見つめていた少年の前で、突然淡い光が溢れ出す。
「な、なんだ……?」
驚く少年に構わず、光は、人間の形を形作っていく。
やがて、その光は、少年のよく知っている人物へと変化した。
「……か、花穂?」
「……お兄ちゃま?」
突然現れた光の中から現れたのは、紛れもなく、少年が愛した花穂の姿だった。
一つ違うことと言えば、花穂の体は、人間とは違い、浮いていて透けていることだった。
「ど、どうして」
驚きが強すぎて、少年は上手く言葉をまとめられなかった。
「花穂にもわからないよ」
花穂の方も、どうして自分が、こうしてまた少年の前に姿を現すことができたのかがわかっていない。
だが、二人にとって、理由なんてどうでも良かった。
もう一度会えて嬉しい、その思いだけが、二人の心を支配していた。
「花穂……花穂。花穂!」
「お兄ちゃま……お兄ちゃま。お兄ちゃま!」
二人は、周りを気にせず抱き合った。
突然の別れのせいで、会えなくなってしまった時間を取り戻すように。
「今の花穂は、幽霊なのか?」
宙に浮いていたことから、花穂が幽霊になったのだと思った少年は、そう花穂に質問した。
「花穂にもわからないんだ。気がついたら、こうしてお兄ちゃまの前にいたの」
花穂にも、自分がどういう存在になってしまったのかはわかっていないようだった。
「幽霊でもなんでも、もう一度会えて嬉しいよ、花穂」
「……うん。花穂も嬉しいよ、お兄ちゃま」
二人は、再び無言で抱き合った。
もう二度と会えないと思っていた。
だが、理由はどうあれ、こうしてもう一度会うことができた。
その思いだけが、今の二人を支配していた。



次の日、二人は久しぶりに買い物に出かけた。
だが、花穂の姿は、少年以外には見えていないようだった。
「やっぱり花穂、幽霊なのかなぁ」
自分のことがいまだにわかっていない花穂が、少し悲しそうな声でそう言った。
「幽霊でもなんでも、花穂は花穂さ」
「……うん、ありがとう、お兄ちゃま」
遠目に見たら、少年が一人で話しているように見えてしまうだろう。
だが、少年の方は花穂のことしか見えていないようで、周りを気にする様子はなかった。
それはやはり、花穂のことを愛しているがゆえだろう。
「さて、何から探そうかな」
「今日は何を作るの? お兄ちゃま?」
「僕が作れる料理は限られてるからね。久しぶりにカレーでも作ろうかなと思って」
事実、少年のできる唯一の料理がカレーだった。
花穂が生きていた頃は、花穂が料理を作ってくれたため、少年はほとんど料理を作ったことがなかった。
「ごめんね、お兄ちゃま。花穂、役に立てなくて」
昨日わかったことだが、花穂はどうやら、少年以外のものに触れられないらしかった。
当然、料理もできるはずがない。
そのことで、花穂は少し悲しそうな顔をして少年に話しかけた。
「花穂がいてくれるだけで僕は満足だよ」
これが、少年の心の底からの本音だった。
事実、花穂がいなかった数日の少年は、生きた抜け殻のような状態だった。
花穂に再び会えたことで、少年は一気に生気を取り戻した。
「ありがとう、お兄ちゃま。花穂も、またお兄ちゃまに会えて嬉しいよ」
「僕もだよ、花穂」
そのまま見れば、ラブラブなカップルが買い物をしているように見えるだろう。
だが、花穂の姿が見えていない他の人間には、少年は、一人で会話をする変な人間に見えているだろう。
しかし、少年の方は、全くそんなことは気にしていない。
花穂といられれば幸せ、という様子が、見ているだけでわかる。
「さて、これで一通り買い終わったかな」
「そうだね、お兄ちゃま」
やがて、買い物を終えた二人は、店を出て帰路に着いた。
家に着くまでの時間、二人の会話は止まらなかった。



数日後、二人は遊園地に来ていた。
「さて、どれに乗ろうか、花穂」
「花穂は、お兄ちゃまが乗りたいのでいいよ」
遊園地に来た理由の一つは、花穂の状態の変化にあった。
現れた次の日は、少年以外のものに触れなかった花穂だったが、 少年と一緒に過ごしているうちに、無機物にも触れるようになったのだ。
そこで少年が、「どこに行きたい?」と花穂に聞いたところ、 「お兄ちゃまの行きたいところがいいな」という答えが返ってきたので、 考えに考えた結果、遊園地に行くことに決めたのだった。
「じゃあ、コーヒーカップでも乗ろうか?」
「うん、花穂それでいいよ、お兄ちゃま」
コーヒーカップの前に来た少年は、フリーパスを見せ、花穂と一緒にコーヒーカップに乗った。
店員に花穂の姿は見えていないから、店員は少年のことを、 一人でコーヒーカップに乗る寂しい客と見たかもしれない。
しばらくして、コーヒーカップが回り出した。
「少しゆっくり回そうか」
「花穂、少し激しくても大丈夫だよ?」
花穂の体を気遣った少年だったが、花穂の返事は、少年が考えていたものとは正反対だった。
「そう? なら、一気に行くよ!」
その言葉と共に、少年は、ゆっくり回していたハンドルを、勢いよく回し始める。
「きゃー! お兄ちゃまぁ!」
激しく回るカップの中で、花穂のはしゃぐ声が高く響き渡っていた。


コーヒーカップの近くのベンチで、少年がぐったりして座り込んでいた。
「……お兄ちゃま、大丈夫?」
花穂が、心配そうに少年の顔を覗き見る。
カップは、かなりの速度で回っていたのだ。
少年のようになるのが普通だろう。
だが、花穂は、まだ遊び足りないといった感じで余裕を見せている。
「花穂は大丈夫なの?」
「うん、全然平気だよ。花穂、こういうの好きなんだぁ」
花穂は生前、チアリーディングをやっていた。
そのため、激しい動きなどには強い体質なのかもしれない。
「じゃあ、次はどれに乗ろうか? 花穂?」
「花穂は、お兄ちゃまの乗りたいのがいいな」
花穂の中では、少年がなにより優先されるらしい。
何度少年が「どれに乗ろうか」と聞いても、返ってくる返事はいつも、 「お兄ちゃまの乗りたい奴がいい」だった。
少年の中では、自分を頼ってくれて嬉しいという感情と、 もう少し甘えて欲しいという感情が混ざり合っていた。
「それじゃあ、次は少し激しいのに乗ろうか?」
「うん、お兄ちゃま。どれに乗るの?」
「ジェットコースターにでも乗ってみる?」
「ジェットコースターかぁ。花穂、あれって初めてのるんだぁ」
花穂が少年と遊園地に行ったことは、生前にも何度かある。
だが、花穂がジェットコースターに乗るのは、生前から含めても初めてだった。
「そういえばそうだったね。いつも僕が怖がっていたから、乗らなかったんだっけ」
「うん。だから、今日も乗らないと思ってたんだけど。どうして今日は乗る気になったの?」
花穂はいつも遊園地に来るときは、少年が乗ろうと言ったものに乗っていた。
怖がりの少年は、ジェットコースターなどの絶叫系のアトラクションには乗ろうとしなかった。
今日に限ってなぜそう乗ろうと言ったのかは、花穂ではなくても気になるだろう。
「確かに怖いんだけど……ね。たまにはいいかな、と思ってさ」
理由になっているようないないような微妙な言葉で、少年はその場をごまかした。
本当の理由は、花穂が喜んでくれるのが嬉しいから、 だったのだが、あえて少年はそのことを花穂には言わなかった。
面と向かって言うのは恥ずかしかったのだろう。
「さて、着いたね」
「花穂、楽しみだなぁ」
心底楽しそうな花穂と、かなり怯えている少年。
対照的な二人が、ジェットコースターへと乗り込む。
少年の隣には、花穂が乗っている。
少年が、隣をあけてくれるように頼んだのだ。
やがて、静かにジェットコースターが動き出す。
「きゃー! お兄ちゃまぁ! きゃー!」
「う、うわああ!」
ジェットコースターが止まるまで、二人の絶叫が途絶えることはなかった。


その後も二人は、様々な乗り物に乗った。
そのどれでも、二人は終始楽しそうに笑っていた。
好きな人といられる大切な時間を、しっかりとかみしめるように。
「時間的に、次が最後かな」
「そうだね、お兄ちゃま」
夕日の光が、二人の顔を赤く染める。
「最後は、観覧車にでも乗ろうか」
「うん、お兄ちゃま」
そうして二人は、ゆっくりと回転する観覧車へと乗り込んだ。
乗ってからしばらく、二人は、無言で外の景色を眺めていた。
「綺麗な景色だね、お兄ちゃま」
「うん」
二人の間に、優しい時間が流れる。
そんな何気ない日常を送れる幸せを、二人は今再びかみしめる。
「花穂、大好きだよ」
「うん。花穂もお兄ちゃまが大好き」
二人が再び出会ってから、初めてお互いが交わした「好き」という言葉。
長く会えなかったからこそ、その言葉の重みが理解できた。
「あ、もうすぐ下に着くね」
「うん。ちょっと残念だな」
観覧車が下に着くと、二人は名残惜しそうに観覧車から降りた。
そして、こんな幸せがいつまでも続きますように、と願った。



「ハァッ、ハァッ」
遊園地に行ってから数日後。
少年が、原因不明の高熱を出した。
医者にも行ったが、原因不明だと言われてしまった。
「お兄ちゃま! 大丈夫?」
「ああ、大丈夫……だよ、花穂」
花穂を心配させないための強がりだった。
実際の少年は、熱のせいで意識を保っているだけでも奇跡的だった。
「お兄ちゃま、何かして欲しいことはある?」
「そ……ばに、いて……くれないか?」
しゃべるのも辛いなか、少年が願いを口にする。
その願いは、簡単にして一番、少年を元気にする効果のあるものだった。
「花穂は、ずっとお兄ちゃまと一緒にいるよ」
花穂のその言葉は、今の少年をなによりも安心させるものだった。
「あ……りが、とう。か……ほ」
少年の声は、今にも消えてしまいそうなほど弱々しかった。
花穂は、少年の手を決して離さなかった。
しっかりと握りしめ、少年を安心させていた。
「フフフ」
そのとき、突然、部屋のどこかから女性の声が聞こえてきた。
「……? だ……れだ?」
少年と花穂が、正体不明の声の主をさがす。
刹那、部屋の中に風が吹き荒れ、声の主らしき女性が姿を現した。
「こんにちは、お二人さん」
女性は、少年と花穂をいちべつすると、場違いな挨拶を口にした。
少年と花穂は、突然のことに驚き、呆然としている。
「あら、驚かせてしまったかしら?」
対して、女性は、マイペースな感じで言葉を続ける。
そして、少年と花穂の疑問を解消する説明をしていく。
「突然でごめんなさいね。残念だけど、蛍くんはもう助からないわよ」
少年「蛍」と花穂を見て、完結にそう口にする。
その言葉に、蛍と花穂は驚きを隠せない。
「お兄ちゃまが……助からない?」
「……?」
女性の言葉に、花穂と蛍の顔色が変わる。
その様子をあらかじめ予想していたのか、女性がさらに説明を続ける。
「完結に言うわね。花穂ちゃんと蛍くん。あなたたち二人は、あと数刻でこの世から消滅します」
「……え?」
花穂と蛍の言葉が重なる。
当然だろう。
突然、見ず知らずの女性から、「この世から消える」などと言われたのだ。
この二人でなくとも、間違いなく驚いてしまうだろう。
「奇跡と呼ばれるものには、必ず代償があるものなのよ」
奇跡。
今この言葉を聞いて思い浮かぶことと言えば、一つしかなかった。
死んだはずの花穂が、霊体となり蛍の前に現れた。
女性の言う「奇跡」とは、おそらくこのことを言っているのだろう。
「そんな……お兄ちゃまだけでも助からないんですか?」
「か……ほ、だけで……も、助から……ないん、ですか?」
二人の声が重なる。
こんなときにも関わらず、二人は、互いに自分のことより相手のことを考えている。
「……愛し合ってるのね。でも、残念だけど無理ね」
二人の希望とは裏腹に、無理だと言い切る女性。
その言葉に、花穂と蛍の表情がさらに険しくなる。
「霊体となった花穂ちゃんが今まで存在できたのは、蛍くんの生気を吸収していたから」
「花穂が、お兄ちゃまの生気を……?」
「そう。だけど、今の蛍くんにはもう、花穂ちゃんに与える生命エネルギーが残っていない」
「そんな……花穂の、花穂のせいで」
自分の存在が、蛍の死期を早めていた。
その事実に、花穂の目から涙がこぼれ落ちる。
「か……ほ。な……かないで……くれよ」
「お兄ちゃま……でも、でも」
蛍の声を聞いても、花穂が泣きやむことはない。
そんな花穂に、満身創痍の蛍がささやきかける。
「僕……は、もう……いち、ど、花穂に……会えた、ことが……嬉し、かった」
そこまで言って、いったん息を整える蛍。
そして、一息ついてから、続きを口にする。
「だ……から、花穂……と、いっしょ……に、逝けるなら……本望、だよ」
「だけど……お兄ちゃま」
相変わらず花穂が泣きやむことはない。
全ての罪が自分にあるかのごとく、泣き続けている。
「僕の……最後の、お願い……だよ。最後は……笑って、お別れ……しよう」
「お兄ちゃま! お兄ちゃま! お兄ちゃまぁぁ!」
最後という言葉を聞いて、花穂は、抑えていた感情が爆発してしまったようだ。
蛍の胸を借りて、大声をあげて泣き続けている。
「約束……だよ、花穂」
「……うん、うん。お兄ちゃま」
やがて、全ての涙を出し切ってしまったように、花穂の涙は止まった。
そして、涙を必死にこらえながら、精一杯の笑顔を浮かべた。
「ふふ……いい笑顔……だよ、花穂」
「……うん、お兄ちゃま」
そこで、二人のやりとりを黙って見守っていた女性が、会話に割って入った。
「最後のお別れは済んだかしら?」
「……はい」
また、二人の言葉が重なる。
悲しくないと言えば嘘になる。
これが永遠の別れになるのだから、泣きたくもなるだろう。
だが、二人は笑っていた。
涙をこらえて、精一杯笑っていた。
約束をしたから。
最後は笑顔で別れる、と。
「……どうか来世こそは、この二人に幸せがありますように」
女性はそう言って、花穂と蛍の胸に手を当てる。
刹那、二人の体から白い光があふれ出る。
「さよなら、花穂」
「さよなら、お兄ちゃま」
最後の最後で、また二人の言葉が重なった。
やがて、二人の体が、光と共にゆっくりと消えていった。
最後の二人は、今までにないぐらいの笑顔だった。
「……不運な兄妹に、どうか幸あらんように」
誰にともなくそうつぶやき、女性は暗闇へと消えていった。



『花穂、将来は絶対、お兄ちゃまのお嫁さんになるんだぁ』
『あはは、楽しみにしてるよ、花穂』
それは、一人の少女の特別な願い。
それは、一人の少年の特別な願い。
決して叶うことのない、悲しい悲しい……願い。


終わり



もどりますか?