死神と呼ばれる少女


暗い家。
日の光すら差し込むことのない、暗き闇に包まれた家。
家中の窓という窓のカーテンは閉めきられ、夜中になっても電気がつくことはない。
そのうえ、家中の扉という扉には鍵が掛けられ、誰が訪れようと開くことはない。
そんな家に、1人で住んでいる少年がいる。
数年前の『事件』によって、大切な『妹』を失って以来、少年が自分の家から出ることはほとんどなくなった。
……俗に言う、『ひきこもり』である。





「……雛子」
暗い部屋の中で壁にもたれながら座っている、生きているのかさえ定かではない少年が、愛していた『妹』の名前を呟く。
……とはいえ、今に始まったことではない。
『事件』が起こった後、この家に引っ越して来たときから、ずっとこの調子なのだ。
毎日毎日、いるはずもない『妹』の名前を呟き、『事件』のことを思い出しては、虚無感に襲われる。
そして、『事件』のことを忘れようと眠り、起きてまた『妹』の名前を呟き、『事件』のことを思い出す……という、永久に終わりのない悪循環が続いている。
その日もまた例外ではなく、少年は、深い眠りに落ちていった。





その日少年は、家に雛子を残したまま、買い物に出かけていた。
戸締りも火の元のチェックも済ませてきたから、雛子1人でも心配はない。
何も心配はない。何事もなく、何気ない1日が進んでいく……はずだった。
しかし、現実は、少年の心に重くのしかかってきた。

意気揚々と帰宅した少年を待っていたのは、オレンジと赤が混ざったような色の炎をあげて燃えている、自分の家だった。

「雛子!」
慌てて、家の中に残してきた雛子を助けに行こうとするが、近くにいた消防隊員らしき男によって、阻まれてしまう。
「はなせぇ! 雛子が! 中に雛子が!」
「ダメだ! 今中に入ったら、キミの命まで危ない!」
「そんなことは知るかぁ! 僕は雛子を助ける! はなせぇ!」
完全に我を忘れて叫びながら、必死で、自分を押さえつけている男を振り払おうとするが、極普通の中学生である少年が、訓練を積んだ大人の男に、力でかなうはずもなかった。
「あきらめるんだ。これほどの火だ。雛子という人は、おそらくもう、生きてはいないだろう」
「雛子、雛子、雛子ぉぉ!」
少年の叫びも空しく、炎は、家が全焼するまで消えることはなかった。



「雛子? どこにいるんだ?」
炎が完全に消え去り、すでに跡形もない家の跡地で、雛子の姿を探す少年。
わずかな希望を胸に秘めて、雛子を探し続けていた少年は、絶望的な物を見つけてしまう。
「これは、雛子のリボン?」
ほとんど燃えてしまったらしく、原形こそ留めてはいないものの、少年の見つけた布のような物は、色といい形といい質感といい、雛子が常に身に付けていたリボンそのものだった。
「雛子……うぅ……雛……子……」
少年の流した大粒の涙が、ぼろぼろと、家の床だった場所にこぼれ落ちていく。
「……雛子……雛子……雛子……」
愛する妹の名前を呼びながら、ただ、泣き続ける少年。
いくら泣いても、自然と溢れてくる涙を止めることは出来なかった。


雛子の『死』を自分の目で確認してからしばらく、少年は、涙が枯れるまで泣き続けていた。



家が火事になった理由は、愉快犯による『放火』だった。
幸い、犯人はすぐに捕まったが、少年の心には、ぽっかりと巨大な穴が空いてしまった。

両親、家、誰よりも愛していた妹。
少年は、10代という若さで、自分の大切な物すべてを失った。





「……夢?」
少年は、過去の『事件』の悪夢を見ていた。
自分の大切な物すべてを失った、絶望が始まった日の悪夢を。
「……雛子」
ふと、愛していた者の名を呟く。
返事がないことは、少年自身が、1番よく分かっていた。
それでも、返事が返ってくるのを期待している自分がいることもまた、事実だった。
『そんなに「雛子」が大事かい?』
突然、少年以外誰もいないはずの部屋から、何者かの声がする。
「誰だ?」
少年がそう言い終わったのとほぼ同時に、風が吹き荒れるような雑音と共に、黒いマントのような物を身にまとった1人の少女が現れる。
「そんなに『雛子』が大事なら、私が『雛子』を生き返らせてあげようか?」
いきなり現れて、とんでもないことをさらりと言い切る少女。
「キミは誰?」
急に目の前に、見ず知らずの少女が現れたのだ。
少年でなくとも、少女が何者なのかを知りたがることだろう。
「私は『千影』。『千の影』と書いて『千影』だよ。一応、『死神』をさせてもらっている」
現れたときから、とことんまでに常識はずれな少女である。
「死神?」
全く状況を飲み込めていない少年だったが、今まで(と言っても、せいぜい数分前だが)の少女の行動や言動を考えれば、無理もないことだろう。
「信じられないかい?」
「信じられるわけがない」
「無理もないことだ。別に、信じてもらおうとは思わないけどね」
本当に、『そんなことはどうでもいい』という顔で話す千影。
極めて、感情変化の少ない少女らしい。
「僕だって、信じようとは思わない。それよリ、本当に『雛子を生き返らせる』なんてことができるのか?」
少年がそう問い掛けると、千影は、思い出したように話を続ける。
「できるよ。キミの『魂』を、私にくれればね」
「魂?」
「そう、『魂』だ。もっとも、『魂』が体から抜けたら、その生物には『死』が待っているけどね」
「……つまりキミは、『雛子を生き返らせる代わりに、僕を殺す』と言っているのか?」
「直訳すれば、そうなるね」
平然とそう言う千影。さすがに、自分で『死神』だと名乗るだけのことはある。
「せっかくのお誘いで悪いけど、雛子と一緒にいられないのなら、僕の『魂』を渡すわけにはいかない。雛子には悪いけどね」
少年は、あっさりと千影の誘いを断った。
一方の千影は、少年が断ることを予め予測していたかのように、『しばらく時間をあげるよ。数時間後にまた来るから、その時までに、よく考えておくんだね』という言葉を残して、壁と同化するように消えていった。

「また来るのか? 何度来ても、結果は同じなのにな」
そうは言うものの、『自分の代わりに雛子に幸せになって欲しい』という気持ちも、少なからず存在していた。
「……僕は、どうするべきなんだろうか? 雛子、もしキミが僕だったら、どうする?」
そんな、答えのない疑問を思い浮かべたりもしながら、少年は再び眠りについた。





雛子が死んだ火事から数日後、少年は、新しい家に来ていた。
住んでいた人間が、次々に『謎の死』をとげているということで、ほとんどただに近い値段で購入することが出来た。
丁度このときから、少年は『ひきこもり』になった。
カーテンは締め切られ、すべての扉という扉の鍵は閉められ、電話すらも置かれていない。

……すべては、少年自身が望んだ、極限までの『孤独』だった。





「また、昔の夢か……」
最近は、眠れば必ずというほど、昔の悪夢を見てしまう。
それでも、眠らなければならないのが、人間の辛いところだろう。
「思い出したく……ないんだけどな」
口ではそう言っていても、もしかしたら少年は、絶対に火事のことを忘れたくないのかもしれない。
「実際は、逆かもしれないよ?」
いつのまにか、少年の部屋の中にいた千影。
鍵が閉まりきっている家の中にどうやって入ったのかは、相変わらず謎である。
「死神? いつからそこにいたんだ?」
「キミが、眠り続けていた時からね。起こすのも可哀相だと思ったから、起きるまで待っていたよ」
なぜか、変なところで、妙に優しい千影。
先程までのような不思議な面を知らなかったら、とても彼女のことを『死神』だと思える者はいないだろう。
……いや、少しだけ見せる『優しさ』こそが、『本当の千影』なのかもしれない。
「さっきの質問の答えだったら、答えは変わらないよ?」
「……ならば、キミの『魂』をもらう代わりに、『雛子』の『魂』を現世に呼び戻してあげようか?」
「……雛子に、もう一度会えるのか?」
その瞬間、少年の目に『希望』という『光』が戻った。
「ああ。少しの間だけならね」
千影のこの言葉で、少年の決意は固まった。
「……いいよ。僕の『魂』を、キミにやる。そのかわり、絶対に約束は守ってくれよ?」
少年にとって、雛子に会えるのなら、自分の命など惜しくはなかった。
「それは心配ないよ。死神は、約束だけは、必ず守るからね」
約束を破るという行為は、死神と呼ばれる者たちにとっての『禁止事項』のような物である。
誰が決めたのかは定かではないが、『必ず約束は守る』ということは、死神たちの間での『暗黙の了解』のような物になっている。
千影の場合も、例外ではない。もし破ってしまえば、過酷な『罰』を受けてしまう。
「少しだけ、待っていてくれ」
言うが早いか、少年の返答を待たずに、千影はどこかに行ってしまう。


数刻後、千影が、1人の幼い少女を連れて戻って来た。
「やあ、待たせたね。約束どうり、『雛子』を連れてきたよ」
幼稚園児ほどしかない(実際に、幼稚園児なのだが)背丈、愛くるしい瞳、トレードマークの赤いリボン。
その少女はまぎれもなく、少年の愛していた、死んだはずの妹『雛子』だった。
「……雛子? 雛子なのか!?」
まるで、迷子になった子供を見つけた親のように、驚きと喜びを同時に味わう少年。
「おにいたま? おにいたまだぁ!」
少年とは打って変わって、雛子の方は、状況を理解することが出来ていない。
「雛子……よかった、また会えて……」
ひきこもり始めてから、初めて涙を流す少年。
本人は、そんなことは気にも留めず、雛子を抱きしめようとする。
しかし、少年の体は雛子の体をすり抜け、鈍い音と共に、雛子の後ろの壁に自分の顔をぶつけてしまった。
「ああ、言い忘れていたけど、霊に実体はないから、触れることは出来ないよ」
「……言うのが遅い」
そう言いながら少年は、ぶつけた鼻を抑えながら、雛子のほうを向く。
「抱きしめられないのは残念だけど、会えただけで十分だ」
少年には、いまだに、死んだはずの雛子が目の前にいることが信じられなかった。
……信じられなかったが、今の幸せを精一杯満喫しようとも思った。
例えその幸せが、ひとときの物だったとしても。




雛子と再開してからしばらく、少年は、雛子と何気ない雑談を交わした。
昔のこと、今のこと、雛子と会えなかった時間のこと。
まるで、会えなかった時間を忘れようとするかのように……少年と雛子は、話し続けた。
幼い雛子が、少年が話すことの意味を理解しているかどうかは定かではなかったが、それも、2人にとっては些細なことだった。
もう1度会うことが出来た。それだけで、十分だった。




やがて、千影の『もう時間だよ』の声と共に、ひとときの幸せは終わりを告げる。
「ごめんね、雛子。もう、時間みたいだ」
必死で涙を堪えながら、雛子に別れの言葉をかける。
「またあえる? おにいたま?」
「ああ、きっとまた会えるよ」
笑顔でそう言う少年。
一点の汚れもないその笑顔は、少年が生まれて初めて見せた、『心からの笑顔』だった。
「最後の別れはすんだかい?」
頃合を見計らって、千影が声をかける。
「ああ、待っててくれてありがとう」
「気にしないでいいよ。それぐらいの私情なら、問題はないからね」
「キミは優しいな。なんとなく、雛子に似てる気がするよ」
外見や性格こそ、その表現方法こそ違えど、雛子と千影には、どこか似通っている『優しさ』がある。
本人たちに自覚がない、『天然』の『優しさ』が。
「……では、約束どうり、キミの命は頂くよ」
そう言って、どこから取り出したのか分からない巨大な鎌のような物を振りかざし、少年に向かって振り下ろす。
鎌が少年を貫いた瞬間、ザシュッという音と共に、少年は絶命した。





「最後に愛する人に会えて、幸せだっただろうね」
どこか寂しげに、そう呟く千影。
「……それにしても、かわいそうな少年だったよ。どうか、安らかなる眠りを」
誰にともなく、そう言い残すと千影は、静かにその場から姿を消した。





幼すぎたために、自分の『死』を理解できないまま死んだ少女。
少女を愛していたために、少女の『死』に耐え切れずに引きこもり続けて死んだ少年。
結局、2人が結ばれることはなかった。
『死神』の力で再開を果たしたとはいえ、所詮そんなものは、ひとときの幸せ。
あとには、『死』という悲しい結末だけが残った。


少年は、満足だったのだろうか?
……きっと、満足だったのだろう。
二度と会えるはずのなかった『最愛の妹』に、死ぬ前にもう一度、会うことが出来たのだから。

終わり




もどりますか?