監禁地獄
- a fake story "Ms.StrengeLove" -


彼女の異常な愛情。
あるいは、何故私は他の男に関心を持つのをやめお兄さまを愛すようになったか。


 影葉蛍は暗闇の中で目を覚ました。
 これはきっと悪い夢なんだと、そう思い込みたくなるような光景が、目覚めるたびに彼の周りを取り囲んでいる。
明かりと呼べるほどの光はこの部屋に存在しない。
窓には光を通さない板が打ち付けられていて、そのすき間から僅かに差し込む光が、この部屋にある物の輪郭を曖昧ながら浮きださせていた。
 彼は簡素な椅子の上に縛り付けられていた。
背もたれの裏側に腕を回され、手錠で固定されている。
身動きは出来ないに等しい、体を動かそうとすれば間接が逆に捻れ、冷たく硬い金属が手首に食い込み、痛みを感じる。
 そろそろ一週間が経つのだろうか。
 部屋は常に薄暗く、時刻を特定できるものも無い。時間や日付の感覚などとおに消えうせていた。
時間が流れていくごとに、日付が自分の知らないところで変わっていくごとに、感覚が少しずつ無くなっていく。
「希望」や「怒り」すら、失ってしまった。
 それは、自分が無機物へと変わっていくかのように。
 足音が聞こえ、彼は俯いていた頭を上げた。
 「監禁者」が来た。
 この場所で起こる唯一のイベント、面会の時間だ。

 その日、彼は一人決意する。
 今日こそは。これで終わりにしよう……。

「お兄さま、調子はいかが?」
 少女が目の前に立っている。
 少女の名は咲耶。彼女が「監禁者」であり、蛍の妹でもあった。
「とてもいいようには見えないだろ? 最悪だよ、咲耶……」
 皮肉を口にすると、咲耶は無言で蛍の頬を平手で叩いた。
 痛みを感じるが、うめき声すらあげる気にならなかった。
「分かってないのね、みんなお兄さまが悪いんだから……。 ねぇ、お兄さま……?」
 一瞬彼女を睨み付けようかと思った。
「ああ……、そうだな……」
 咲耶の言葉に歯向かう気も既に起こりはしない。彼の声には諦めの色が濃厚に滲んでいた。
 これで……終わりに……。
「あら、ようやく正直になったみたいね。 ……あの女のことは忘れるって、約束して」
「……ああ、忘れるよ。 もう二度と会わない、彼女とは別れる、それで……それでいい……?」
 咲耶の顔に少しだけ笑みがこぼれる。顔を引きよせて、耳許でささやく。
「いい子ね、お兄さま……。 もう一つ、私に言いなさい」
「何を……?」
 咲耶のことは昔から知っている。だから、何を要求してくるのか察しはついていた。
「『愛してる』と言って」
 そう言うと思ったよ……。
 咲耶を怒らせない程度に溜息を付く、そして決心する。どうせ、断る理由もない。
「あ……、あい、してる……」
 咲耶はさも嬉しそうに「にこり」と笑う。先ほどまでその目に宿っていた狂気に歪んだ瞳、表情とは違う笑顔だった。
「やっと分かってくれたのね。 私もよ、お兄さま……。愛してる」
 咲耶の吐息が耳許にかかる。咲耶にとってはロマンティックな一瞬、蛍にとっては全てを諦めた一瞬に、二人の唇が重なる。歯と歯がカチリと硬い音が口の中に響いた。
 歯の間から咲耶の舌が忍び込む。彼は抵抗できずそれを許した。彼女は少しの間、「愛する人」の唇を味わった。

 その一瞬に彼の中の何かが死んだ。

「……どうして、お兄さまはあんな女と付き合ったりしたの?」
「……どうしてだろう……わからな、いよ……」
 彼女には抵抗できない、いや、すべきでは無い。いわば僕は彼女に囚われている囚人。
禁固期間が過ぎ、今実刑がおりたようなものなんだ……、と。
 さも恋人同士のように二人は体を密着させている。
 実際は、咲耶が一方的に身をよせ、抱き締めている。
 その顔にまたも影が落ちて、体を離す。また殴るのか、あるいはこのまま去っていくのか……。
 分かっていたさ。そう簡単に咲耶が許すなんて……。
「……話して、お兄さま」
「話す、よ。……だから、手錠……、外してくれないか」
 もっとも、本気で期待したわけでは無い。
「頼むよ、咲耶。 本気で……悪かった、謝るよ……だから……」
「そうね……。 大好きなお兄さまのお願いだし……」
 咲耶は蛍の背後へと周り
「……聞いてあげてもいいわ」
 手錠に手を触れながら言った。

「僕は……。 ……初めから、ずっと、昔から、咲耶が好きだった……」
 先ほどのキスのせいか、彼の内面で死んだ何かが、今まで彼が語るのを妨げていたものをも取り払った。
 全てを諦めた少年は、僅かに残った自分の全てを投げ出すように語り始めた。
「だったら……どうして……! 私の側を離れたりなんかしたの……!?」
「……落ち着いてよ、咲耶……」
 話している自分の口調は、異常なまでに冷静だった。
「僕は咲耶が好きだった。 だけど、それと同じぐらい、咲耶が恐かったんだ……。 自分とつり合わない、そう思ったから」
「私は……私にはお兄さましか見えてなかった、見てなかったのに……! 馬鹿……。私に相応しいひとはお兄さまだけなんだって、私はずっと思ってたのに!」
「……咲耶、ごめん……。 自信が持てなくて、咲耶が側に居ると、いつも、咲耶には僕なんかよりもっといい奴がって……。 咲耶を忘れようと思った。そのために僕は彼女と付き合った……」
 その台詞を聞いて咲耶は沈黙した。考え深げな表情で、彼女はその言葉を頭の中で繰り返す。
「……やっぱり、お兄さまはお兄さまだわ……」
 その一瞬に彼女が取り戻した笑顔は、まだ二人がただの兄妹だったころ、彼女がよく見せた笑顔だった。
 手錠に彼女が手をかける。鍵を鍵穴に通す音が聞こえた。心臓が高鳴る、待ちつづけた一瞬。
「愛してるわ、お兄さま。ずっとずっと、一緒よ……」
 カチリ。硬い音が小さく響き、腕に食い込む鎖の感覚が消えた。右手が解放され、左手も解放される。
腕が解放されたと同時に、蛍は何気なさそうに今まで腕を縛り付けていた手錠を握りしめた。
 立ち上がる気力なんて残ってない、彼は辛うじて椅子から立ち上がる。
重心がよろめき、とても歩けそうになど無い。

 咲耶はその姿を見て感じとった、とても逃げようなんてできるはずないわ。
彼女はそっと蛍の側に寄ると、彼を支えた。
 そのとき彼女の中にあったのは支配感……彼女なりの深く濃厚な愛情の塊だった。
お兄さまを、もう二度と手放さない。お兄さまは私のもの。私だけのもの。
 お兄さまを一番愛してるのは私。この世界で一番愛してる。
 いつか、お兄さまも分かってくれるはずだわ……。

 蛍の目から光が消えていた。焦点の定まらない瞳であたりを見回す、憎悪、怒り、悲しみ、そう言った感情が彼の中を駆け巡り、黒黒とした混沌の塊が心を満たしていった。
 今にも叫び出しそうだった。この体が壊れるほど、強く、狂ったように叫びたかった。
 手に握った金属の感触、寄り添う咲耶の体から伝わる体温、その全てが憎らしかった。
 とても歩けそうに無い。体中の筋肉がこわばり、動かそうとするたびに痛む。
立っているだけで精一杯の状態。
 彼は咲耶の手を握り返した。温かく、やわらかな肌の感触。細く、一見華奢に見える美しい指先を。
 目の焦点が定まる。蛍は彼女を見つめた……睨み付けるように。瞳に光を取り戻す、彼は全ての力を込めて咲耶を押し倒した。

 表情から蛍の心境を察した咲耶は自らの過ちに気付いた。
 そのときにはもう遅かった。彼女の体は倒され、床に叩きつけられた。
「お兄さま、何を……!?」
 その言葉は、きっと彼には聞こえていないのだろう。

 蛍は、体に力が湧くのを感じた。頭に血が登り、今にも破裂しそうに熱い。
力は残っていないはずなのにも関わらず、一見力に溢れているように感じた。
 そのまま咲耶の上へ馬乗りになる。そして、手錠を彼女の細い手首に掛け、もう一方を彼が今まで座りつづけていた椅子へつなぎ止めた。
「……裏切ったのね!? 私を騙したのね!?」
 咲耶が何かを叫んでいる。
 うるさいんだよ。
「……もう二度と会わない。……別れる……お前とは」
 蛍の声は小さく、うわごとのように聞こえる。
 こんなにあっさりと、あんなチープな演技で彼女を騙せるとは思わなかった。
ひょっとすると、案外咲耶は僕の事を信じていたのかもしれない。
「どうして!? どうして分かってくれないの!? あんな女なんかより、私の方が、ずっと、ずっと……! お兄さまを一番愛してる! 私よりお兄さまを愛してる人なんていないのに!!」
 蛍は無表情のまま、ヒステリックに叫ぶ咲耶を見下ろしていた。
かつて好きになった妹を、やがて彼を愛した女を、そして彼を傷つけた咲耶を、見下ろしていた。
 それだけ彼女に対し複雑な感情を持っているはずなのに、体の下で泣きわめく彼女を見ても、何も感じなかった。
 叫び疲れたのか、やがて部屋は静寂に包まれる。
「……なんで……私じゃいけないの、お兄さま……?」
「……そういうのって……。 誰かを好きになるのって、それは、僕が決めることだろ? 咲耶がどう思ってたって、その人を決めるのは僕だ……。 終わりだよ、咲耶。僕は彼女のところへ帰る」

 その一瞬に彼女の中の何かが死んだ。

「うふふふ……あはは……」
 馬鹿な女、哀れな女だ、蛍はそう思う。咲耶の不気味な笑い声が酷く耳障りだ。
 彼は彼女の体から立ち上がった。ドアは開いたままになっている、咲耶が入るときに鍵を開け、内側から鍵はかけられない。開いたままだ。
「ねぇ? おにぃさまぁ? あの女のことは忘れなさいって、私言ったわよねぇ?」
「……何言ってるんだ。お前?」
「うふふ……、あの女なんて、もぉどこにもいないからぁ。 死んだの。私がね、殺したのよ」
 クスクスと笑いを押し殺しながら話すような声。その声と、その内容に、彼は背筋に冷たいものを感じた。
「嘘……だろ……」
「あの女が死ぬところ……是非お兄さまにも見せたかったわ……。 とぉっっても醜い姿で……」
 咲耶の壊れた笑い声が虚ろに響く。それを聞いていると、こっちまでおかしくなりそうだ。
「あの女の体は罪まみれ……。 目玉を……お兄さまを見つめたから。舌を……お兄さまとおしゃべりをしたから……。 お兄さまに触れた腕も、手も、指も、体の全てを……! お兄さまを愛した心臓も……全て罰してあげたわ……」
 震えている。体が震えている。震えが止まらない。口の中で奥歯がカチカチと鳴っている。
体中が燃えるように熱い、なのに震えが収まらない……。
 頭の中に分解される恋人のイメージが有有りと浮かんだ。グロテスクな光景。彼は吐き気を感じた。
体の奥の奥から……熱く煮えたぎった何かが……濁流が……押し寄せてくる。
 彼はその流れに飲み込まれた。
「ぁぁぁぁあああああああ……」
 口から言葉に鳴らない声が洩れているのに気付いた。
自分の口から出る叫びは大きくなっていき、やがてその声は絶叫へと変わった。

「ううぐぅぅあああああああぅがぁぁぁぁああああああ!!!!!」
 悲鳴と、絶叫と、何かがぶつかり合う音と、何か水分を含んだものを潰しているような音が聞こえた。




 ……ええと、僕は何をしていたんだっけ……。
 辺りを見回す、部屋は薄暗くて、まるで閉じ込められているように感じる。
 口の中に鉄の味がする。吐き出してみると、血液だった。
 手が真っ赤に染まっていた。
 ……誰の血? 僕の? 誰かの……?
 手の指を動かそうとすると間接に激痛が走る。指の間接は奇妙に折れ曲がり、明らかに骨折している。
 なかなか視点が定まらない。……薄暗いからだろうか? ものがよく見えない。
 体中が不調を訴え始めた。波のように、それは一気に押し寄せてきた。様々な場所で、様々の種類の痛みが。
 苦痛に呻き、体を折り曲げ、俯く。
 そこで目の前の物体に視点が定まった。
 赤と白が入り交じったような色のぐちゃぐちゃの塊、そこから何か細くて長い糸のようなものが生えていて、その糸もべとべとでぐちゃぐちゃに絡まりあっている。
ところどころ陥没し、血が吹き出している。見てるだけで気分が悪くなる。
 それは元は人ーー人の頭ーーだったことは推測が付いたけれど、誰なのかが何故か思い出せないし、見つめると気分が悪くなる。
誰だっていい。もう見ない方がいいと思う……。
 足の痛みを堪えて立ち上がる。光が見える方へ。外に向かって。
 歩きだす彼の背後で、肉の固まりがビクビクと一瞬痙攣した。頭の奥から、何かが、たぶん記憶が、姿を表そうとしていた。
 ……思い出しちゃいけない。
 蛍は本能的にそう感じ、頭の中のあやふやな記憶を拭い去ると、扉へ這い進むように歩きだした。